まだだれも気付いていない「潜在的なニーズ」を見つけるといっても、ただ闇雲に探してみたところで簡単に見つかるはずはない。2012/7にHBR(ハーバード・ビジネス・レビュー)に掲載された"Reversing the Decline in Big Ideas"(ビッグアイデアの減少に歯止めをかける)に次のような記述があった。
 
"The only way out of this innovation gridlock is an expansion in founding team diversity. I believe the missing piece from the DNA in the founding teams of Transformational Companies is now the Domain Expert, who has deep insight into the industry they are trying to disrupt. Without a domain expert attempts at disruption are unimaginative and incremental at best.
There are so many industries ripe for technology startups to disrupt: Education, Health Care, Business, Art and Government just to name a few. But where are the domain experts ready to be paired with a team of rockstar engineers and superstar designers? "

イノベーションの停滞状況から抜け出す唯一の道は、創業者チームの多様性を拡大することだ。私は「変革型企業」の創業者チームのDNAに欠けているものは、彼らが変革を起こそうとしている産業分野に詳しいドメイン・エキスパートであると信じている。ドメイン・エキスパートなしでは変革の企ても想像力に乏しくなり大した成果も期待できない。
教育、ヘルスケア、ビジネス、アート、政府、その他にもテクノロジースタートアップの変革を待っている産業は数多く存在する。しかしロックスター・エンジニアやスーパースター・デザイナーとチームが組めるドメイン・エキスパートはどこにいるのだろうか?

全体の論旨は、新しい企業が既存の市場に変革を起こすためには“Founder Market Fit”(創業者と市場が適合していること)が必要であり、その創業者チームに必要な人材は時代とともに変わってきている。最初はHPやApple、Microsoftなどのように一人か二人のエンジニアと一人のセールスマンがいればよかったが、現在はデザイン思考などで語られているようにデザイナーの時代になった。しかし、それもすでに市場に適合しなくなっているということだ。

まだだれも気付いていない「潜在的なニーズ」を見つけるために、ドメイン・エキスパートとして自分が精通する産業分野があれば、まずはそれに狙いをつけることが最初にやってみる価値のあることだろう。しかし自分が精通する産業分野であることによって、逆にいろいろな先入観に邪魔をされて「潜在的なニーズ」に気付かないという懸念もある。そもそもがドメイン・エキスパートが気付かない「潜在的なニーズ」を探そうというのだから。

自己流だが僕は「実現モデルから抽象モデルを抽出して次の実現モデルを再定義する」という作業を脳内と「ひとりブレスト」で行っている。抽象モデルとは僕の勝手な造語で、ユーザビリティやHCDの分野で使われているメンタルモデル(概念モデル)に似ているようにも思うのだが、どうもこのメンタルモデルというのはいろんな解釈や使われ方があるようでいまいちピンとこない。この自己流の作業は、簡単に言えば「ほんとうにやりたいことは何か?」ということ(抽象モデル)を、実際に今やっている方法(実現モデル)を忘れて考え直してみるというものだ。

人々はニーズを満たすために道具や仕組みを利用して行動をする。しかし、そのニーズはその入手可能な道具や仕組みによって達成できるものに無意識のうちに狭められる形で適合させられている。道具や仕組みの大きなイノベーションがあると、その達成度合が急激に向上するためしばらくの間はニーズが追いつかない。あるいは、その範囲内でいろいろな工夫をしてしまうので、イノベーションにつながるような「潜在的なニーズ」が次の道具や仕組みのイノベーションの前には顕在化しない。

たとえば「どこででも音楽を聴きたい」というニーズに対して、ある時代の実現モデルはソニーのウォークマンだった。それ以前の実現モデルは「携帯ラジオで(放送される)音楽を聞く」というレベルのものしかなかった。「どこででも自分の選んだ音楽を聴きたい」という、より要求レベルの高いニーズはウォークマンが出てから顕在化したように思う。最初は好奇の目で見られたウォークマンのスタイルが一般化すると、それがあたりまえのニーズとなった。新しい実現モデルが誕生してからニーズが顕在化する、まさに"Technology First, Needs Last"だ。そういう意味では、「潜在的なニーズ」は見つけるものではなく、実現モデルによって生み出されるものなのかもしれない。

この「携帯ラジオで(放送される)音楽を聴く」という実現モデルから「どこででも自分の選んだ音楽を聴きたい」という「潜在的なニーズ」を導き出すために、まず「ほんとにやりたいことは何か?」という抽象モデルを抽出する。1つの実現モデルからは複数の抽象モデルが抽出される場合もあると思うが、この場合は「音楽をどこででも聴く」というものになるだろう。この抽象モデルは「音楽」というオブジェクトと「どこででも聴く」というアクションの2つにわけることができる。もちろん「音楽を聴く」という、より上位の抽象モデルが考えられるが、「携帯ラジオで(放送される)音楽を聴く」という実現モデルにおいて、すでに「聴く」というアクションに対して「どこででも」という価値が付加されているので、新しい実現モデルを考えるための抽象モデルとしては「音楽をどこででも聴く」のほうが適切だろう。

脳内で抽象モデルが抽出できたら、その「音楽」というオブジェクトと「どこででも聴く」というアクションのそれぞれについて、現時点で実現されていないことは何かをできるだけ多く(ひとりブレストでプレーンのモレスキンに書きなぐって)考えてみる。もちろんその時点で実現が難しいもので構わない、逆に難しいものでなければ意味がない。「音楽をどこででも聞く」という抽象モデルの、「音楽」というオブジェクトに「自分の選んだ」という新しい価値を付け加えたものが、新しい実現モデルとなるウォークマンが生み出すべき「潜在的なニーズ」だと考えることができると思う。他にも「もっといい音質で(聴く)」とか「ひとりで(聴く)」とか、別の価値もあるかもしれない。

読み返してみると、何をいまさらあたりまえのことをと自分でも思う。これを下のように図示してみると「携帯ラジオで(放送される)音楽を聴く」という実現モデルから抽出する抽象モデルは、実は「携帯ラジオで(放送される)音楽を聴く」という実現モデルが顕在化させた「潜在的なニーズ」そのものだ。しかし「携帯ラジオは、どこででも音楽を聴きたいという潜在的なニーズを顕在化させた」というようなことをいつも意識しているわけではない。実現モデルを「すでに存在するあたりまえのもの」としてではなく見直すという作業が必要だ。

「(自宅で)自分の選んだレコードで音楽を聴く」という実現モデルからも「自分の選んだ音楽を聴く」という別の抽象モデルを抽出して、そのアクションに「どこででも」という価値を付加することによって同じ「潜在的なニーズ」をつくりだすこともできる。そんなふうに面倒くさく考えなくとも「潜在的なニーズ」を考えることはできるだろう。もちろんパッと思いつくならこんな考え方をする必要がない。しかし、いわゆる「アイデアマン」は無意識のうちに脳内でパルスの速度でこんな感じで考えてるんじゃないかと思う。さらにこのように明確な答えを出しておかなくても、もやもやとしたいくつかの「潜在的なニーズ」を抱えていると、前回に書いたビジネスのデザイナーが備えるべきセレンディピティ;
  • 新しい技術やインフラを見たとき、それまで抱いていた「どうしたらこの潜在的なニーズを解決できるだろうか?」という課題の意外な答えを発見する能力
を発揮することができるのだと僕は信じている。

ウォークマンが顕在化させた「どこででも自分の選んだ音楽を聴きたい」というニーズはウォークマンとその周辺のエコシステムによって十分に満たされ、メディアのデジタル化という大きな変化においても「レコードをテープにダビングする」ことが「CDをMDにダビングする」に変化しただけで、デジタルコンバージェンス(産業融合)は起きなかった。磁気テープを生産していた会社がCDやMDを生産し、アナログプレーヤーを作っていた会社がデジタルプレイヤーを作るようになり、音楽をレコードに載せて売っていた会社がCDに載せるようになっただけだった。

人々は相変わらずお店で音楽を購入しMDにダビングして、聴きたい音楽の入ったMDを選んでから出かけた。CDをリビングにディスプレイする家具やMDのキャリングケースなどの周辺ビジネスや、またメディアの容量が少しずつ増加するなどの改善によってCDやMDが増えることによる煩わしさの問題意識が軽減され、「1,000曲をポケットに入れて持ち歩きたい」という「潜在的なニーズ」は顕在化しなかった。

ウォークマンという実現モデルから抽出できる抽象モデルは、ウォークマンが顕在化させた「どこででも自分の選んだ音楽を聴きたい」というニーズそのものだ。あるいは一つ手前の「どこででも音楽を聴きたい」に戻って考えてもよいかもしれない。そこから「どこででもその場で選んで音楽を聴きたい」という「潜在的なニーズ」を導くことができる。ジョブズがウォークマンに衝撃を受けて、必死になってソニーのものづくりを研究をしたというエピソードが何か所かで紹介されているが、iPodというイノベーションによってほんとうのデジタルコンバージェンスを起こした。ジョブズは大相撲などでよくいわれる恩返しをしたことになる。

model

まだだれも気付いていない「潜在的なニーズ」を見つけることができても、実現モデルをつくって世に問うまでその存在を証明できない。あるいは「潜在的なニーズ」は存在しているとしても、自分のつくる実現モデルでは顕在化させられないかもしれない。そこから先はやってみるしかないが、やり方の指南書はLean Startupをはじめとしてたくさんある。まずは安上がりに、休日の昼間に落ち着けるカフェで冷たいヨーロッパのビールでも飲みながら脳内作業とひとりブレストをやってみてはどうだろうか?

記事の更新はTwitter (@kyosukek)でお知らせします。お問い合わせやご相談は、contact に @ibornb.red をつけたアドレスまでメールでお寄せください。
川手恭輔(Internet Born & Bred)