デザイン思考で行こう!

Life will find a way, we'll find a way technology lives.

2013年11月

前回にひき続いて...になるが

D.A.ノーマンのエッセイ"Technology First, Needs Last"に遭遇した時に、その全体の論旨には共感できるものの、なんとなくひっかかる感じがした。"Activity-Centered Design"という彼の提案の発展形あるいはそれを補完する概念として「共感できる」どころか、大賛成なのだが...

というこのブログの原点ともいえる"Technology First, Needs Last"という言葉について、「ノーマンは『技術者でなければ発明はできず画期的な新しい製品も生み出すことはできない』と言っているのではなかった。 」と書いたが、さらに僕なりの解釈を書いてみようと思う。すでにノーマンを引用するまでもなく、自分の中ではイノベーションについてのイメージが明確になりつつあるが、それも「誰のためのデザイン?」の改訂版の中の次の一文でインスパイアされたものだ。

Technology changes the way we do things, but fundamental needs remain unchanged.

技術は人々が何かをする手段を変えるが、その基本的なニーズは不変だ。 

稚拙な日本語訳だが、この本の中で一番ガツンときた文章だった。
何回かこのブログでiPodによるミュージックプレイヤーのイノベーションを例にして、潜在ニーズの見つけ方について僕のアイデアを説明した。もちろん、そのアイデアは間違っているかもしれない、あるいは万能でない1つの方法論に過ぎないかもしれないが、それはそれとして。

model

この「不変である人々の基本的なニーズ」という言葉。一見、「最初に新しい技術による革新があって、ニーズは後からついてくる」という言葉と矛盾するようだが。ミュージックプレイヤーを例にすると「音楽を聴く、楽しむ」ということが人々の基本的なニーズと考えることができる。そして技術の進化で可能になった新しい製品によって「どこでも音楽を聴きたい」「どこでも自分の選んだ音楽を聴きたい」「どこでもその場で選んだ音楽を聴きたい」といったニーズが製品という実現モデルで次第に顕在化した。「音楽を聴く、楽しむ」という基本的なニーズは変わっていないが、技術によってそれぞれの新しいニーズが後からついてきたといえると思う。もちろん、いったんその製品を手にすると人々は「こういうのが欲しかったんだ。」とか「どうしていままでなかったんだろう。」などと言う。それが顕在化した潜在ニーズだ。

カメラメーカーは、写真産業においてカメラメーカーが提供するバリュー自体を再定義し、それに基づいたバリューネットワークを再構築すべきだ。

この本はT.レビットの没後に、それまで彼がハーバードビジネスレビューに寄稿した論文を"Theodore Levitt on Marketing"としてアンソロジーとしてまとめたもので、日本では2007年11月に有賀裕子氏の訳で「T.レビット マーケティング論」として発売された。

T.レビット マーケティング論
セオドア・レビット
ダイヤモンド社
2007-11-02


他の書籍は人に貸して行方不明になったりしているが、僕がソフトウェアエンジニアから(インターネット)マーケティングを志すきっかけになった論文を集めたこの本はちゃんと机の上にある。
その最初の章の「マーケティング近視眼」の先頭に次のような記述がある。

鉄道が衰退したのは、旅客と貨物輸送の需要が減ったためではない。それらの需要は依然として増え続けている。鉄道が危機に見舞われているのは、鉄道以外の手段(自動車、トラック、航空機、さらには電話)に顧客を奪われたからでもない。鉄道会社自体がそうした需要を満たすことを放棄したからなのだ。鉄道会社は自社の事業を、輸送事業ではなく、鉄道事業と考えたために、顧客を他へ追いやってしまったのである。事業の定義を誤った理由は輸送を目的と考えず、鉄道を目的と考えたことにある。顧客中心ではなく、製品中心に考えてしまったのだ。

「マーケティング近視眼」は2001年11号のダイアモンド社のハーバードビジネスレビューに掲載された論文だが1960年にマッキンゼー賞を受賞している。
「鉄道」と「輸送事業」という二つの言葉を言い換えるだけで、いろいろな事業の衰退を形容することができる。写真の需要は依然として増え続けている。スマートフォンのカメラに顧客を奪われたわけではない。カメラメーカー(事業)が生き残り発展するには、自社の事業をカメラ事業ではなく写真事業として、その提供するバリュー自体を再定義し、それに基づいたバリューネットワークを再構築しなければならない。

いったん鉄道事業のためのバリューネットワークを忘れて、「輸送」という顧客の基本ニーズに立ち戻り、そこからその時点で利用可能な技術やインフラを前提に、その「輸送」というドメインにおける新たなバリューを定義する。そしてそのためのバリューネットワークを再構築する。それが事業のイノベーションだ。鉄道事業の例の場合、経営者はジレンマを感じていたのだろうか。iPodにミュージックプレイヤーの事業を奪われた企業の経営者は「自分は工場を持っていたからiPodを(作りたかったけど)作れなかった。」と言っていた。
日本では若い人の自動車離れが報道されている。自動車は目的なのだろうか。それが手段だとすると目的は何だろうか。再定義したバリューの実現モデルは果たして「自動運転自動車」なんだろうか。

もちろんそれも、デザイン思考で行こう!

記事の更新はTwitter (@kyosukek)でお知らせします。
このエントリーをはてなブックマークに追加

新しい製品やビジネスモデルの変革によって世界を変えるのは技術者だけではない。僕もそう考えている。ノーマンのエッセイ"Technology First, Needs Last"に遭遇した時に、なんとなくひっかかったのは、"The inventors will invent, for that is what inventors do" (発明者は発明をするから発明者なのだ)というところ。確かに新しい製品を「発明する」という言い方は間違っていないと思うし、ジョブズの有名な "Apple is going to reinvent the phone"という言葉もある。ただ、技術者でなければ発明はできず画期的な新しい製品も生み出すことはできないと言っているのだ。まあ短いエッセーのなかでの彼独特の表現だとは思うが。この秋に有名な著書『誰のためのデザイン?』の全面改訂版"The Design of Everyday Things: Revised and Expanded Edition"が出版されるようなので、その中でいろいろ物議をかもした"Activity-Centered Design"などと共に詳しく解説されるかもしれない。

その「誰のためのデザイン?」の改訂版には次のような記述がある。

There are two major forms of product innovation: one follows a natural, slow evolutionary process; the other is achieved through radical new development. In general, people tend to think of innovation as being radical, major changes, whereas the most common and powerful form of it is actually small and incremental.

製品のイノベーションには2つの形がある。その1つは自然なゆっくりとした進化のプロセスによって起こるものであり、もう1つはラディカルな新しい発明によって可能になるものだ。一般に、人々はイノベーションをラディカルで大きな変化と考えがちであるが、もっとも一般的でパワフルなイノベーションは実際には小さくインクリメンタルなものだ。
Incremental innovation starts with existing products and makes them better. Radical innovation starts fresh, often driven by new technologies that make possible new capabilities. 

インクリメンタルイノベーションは既存の製品をもとにそれらをよりよくするという取り組みである。それに対しラディカルイノベーションは何もないところからスタートし、何かを可能にする新しい技術によってドライブされることが多い。
The techniques of human-centered design are appropriate to incremental innovation: they cannot lead to radical innovation.

HCDのデザイン手法はインクリメンタルなイノベーションに適している。ラディカルなイノベーションを導くことはできない。

ノーマンが使っているラジカルイノベーションとインクリメンタルイノベーションという表現は、前回の記事で紹介したクリステンセンの定義とはちょっと異なっている。ラディカルな(製品の)イノベーションは、それまでに存在しなかったものが新しい技術の発明によって生み出されるという意味で使われている。ノーマンは「技術者でなければ発明はできず画期的な新しい製品も生み出すことはできない」と言っているのではなかった。新しい発明によってそれまでなかった画期的な新しい製品を生み出すことは技術者の役割だということだった。
デザイン思考やHCDのアプローチでのインクリメンタルなイノベーションによっても、画期的な新しい製品やサービスを生み出すことは可能であり、さらにそれはパワフルすなわち世の中を変えることができるものだ。そして技術者でなくともイノベーションを起こすことができると、ノーマンは言っているのだと思う。

前回「カメラのほんとうのイノベーションはこれからだ!」で、カメラメーカーは写真産業においてカメラメーカーが提供するバリュー自体を再定義してバリューネットワークを再構築すべきだと書いた。要はカメラを再発明するということ。iPodもiPhoneもインクリメンタルなイノベーションによる再発明で世界を変えてしまった。ノーマンの次の言葉が大きなヒントになる。

Apple's success was due to its combination of two factors: brilliant design plus support for the entire activity of music enjoyment.

アップルの成功は、素晴らしいデザインと、音楽というエンターテイメントのすべてのアクティビティをサポートしたという2つの要素によるものだ。

デザイン思考もHCDのアプローチもイノベーションの手段にすぎない。ノーマンは、それに取り組む人間の意識の重要性を訴えているように思う。デザイン思考の元祖IDEOのケリー兄弟が書いた本もそういう意識を呼び起こしてくれる。技術者やビジネスマンは読んでおいて損はない。



Radical innovation is what many people seek, for it is big, spectacular form of change.

ラディカルなイノベーションは、その規模の大きさとスペクタクルな構造の変革を起こすが故に多くの人々が捜し求めているものだ。

ノーマンの言う「ラディカルなイノベーションを探し求めている人々」というのは、イノベーションを起こしたいと思っている人々を指している。"The inventors will invent, for that is what inventors do."(発明者は発明をするから発明者なのだ)という言葉にならって次のように言いたい。

イノベーターはイノベーションを起こすからイノベーターなのだ。

記事の更新はTwitter (@kyosukek)でお知らせします。
このエントリーをはてなブックマークに追加

クリステンセンは、イノベーションを引き起こした技術革新が連続的であるか否かによってインクリメンタルとラディカルに分類するそれまでのイノベーション分類に対し、既存の有力企業(の事業)が存続可能か否かという視点で、そのイノベーションに対応して存続可能なものを持続的イノベーション "Sustaining Innovation"、対応が困難で存続が不可能なものを破壊的イノベーション "Destructive Innovation" とする独自の分類をしている。それらは2つの技術革新とは独立して考えるべきで、次のようなマトリックスで表すことができるとしている。
innovation matrix

イノベーションはこの4つの象限に分類されるとし、「イノベーションのジレンマ」で次のようなことを言っている。

「持続的イノベーション」に最適化された組織では「破壊的イノベーション」を起こすことができず、やがて他者によって起こされた「破壊的イノベーション」によって事業が衰退してしまう。

CCDなどのセンサーという発明によって、カメラがデジタルになるというラディカルな技術のイノベーションが写真産業に起こった。フィルム時代の写真産業の有力なプレイヤーのうち、カメラメーカーの多くは製品のデジタル化に成功したが、フィルムの製造販売や現像とプリントサービス(DPE)を生業にするプレイヤー(フィルムメーカー)にとっては破壊的イノベーションになってしまった。
なぜフィルム時代に最適化された組織すなわちバリューネットワークを構築していたカメラメーカーが、このラディカルなイノベーションに対応し存続することができたのだろうか。カメラメーカーはクリステンセンの第2象限の実例を示したようにも見えるが、カメラメーカーとフィルムメーカーの明暗はクリステンセンの指摘する「最適化された組織の問題」を単純にあてはめただけでは説明がつかない。
 
CCDを利用したデジタルカメラは1995年ごろにカメラメーカーでないカシオから(QV10が)発売されていた(実はその前の年にAppleがQuickTakeというMac専用のデジタルカメラを発売したことを知っている人は少ないかもしれない)。最初はコンピュータへの画像入力デバイスというニッチな存在でしかなく、それがカメラとしてフィルムをベースにした写真産業のエコシステムを破壊し始めるのは2000年になってからだ。画像の記録媒体と記憶媒体がフィルムとDPEから、センサーとシリコンメモリーに変化するという不連続(ラディカル)な技術のイノベーションが起きてから、製品やビジネスモデルのイノベーションが始まるまで5年以上かかっている。センサーなどのデバイスのコストダウンや性能の向上にそれだけの時間が必要だった。その間にカメラメーカーはラディカルな技術イノベーションに対応することができた。逆に電機メーカーなどの異業種からの新規参入組も、レンズやオートフォーカスなどのカメラに必要な技術を取り込むための時間が必要だった。そしてカメラメーカーは2000年に新規参入組と同じスタートラインに立つことができた。
カメラメーカーが自らイノベーションを起こしたのではなく、他者によって仕掛けられたイノベーションに、そのバリューネットワークを対応させることができたといえると思う。

フィルム時代の写真産業は、まさにフィルムを中心とした巨大なエコシステムを形成していた。フィルムメーカーはその中心にいて、川下のDPEサービスを含めて市場の70%以上の利益を独占していた。そのフィルムそのものがバリューを失ってしまったのだから、フィルムメーカーはフィルムメーカーとして生き残ることはできない。フィルム関連事業が破壊されても企業として存続するには、保有する技術やその他の経営資源をつかって新規事業領域に活路を見出すほかに道はなかった。
これはカメラメーカーとフィルムメーカーのバリューネットワークの違いによるものだ。バリューネットワークとは、その企業(事業)が提供するバリューと、それを可能にするために最適化されたプロセスとリソースのネットワークをいう。両者の違いはそのバリューだ。カメラメーカーが提供するバリューは「写真を撮る」すなわちレンズによって画像を結像させてフィルムに記録することであり、フィルムメーカーの提供するバリューは、そのフィルムを提供し画像が記録されたフィルムを現像しプリントして「写真」として完成させるということだ。カメラメーカーにとっては「フィルムに記録する」を「センサーに記録しメモリーに記憶させる」に変える対応ができれば、事業が提供している「写真を撮る」という基本的なバリューを保つことができる。もちろん取り組むべき技術の壁は非常に大きかったが、上述のように5年という猶予もありバリューネットワークの一部を変更することで事業の存続が可能だった。さらにバリューネットワークを強化することによって、フィルムメーカーに代わって写真産業の中心となって事業規模を数倍に拡大することに成功した。
一方でフィルムメーカーは、そのバリューネットワークの起点となるフィルムそのものが消失するという事態に、フィルム事業のバリューネットワークが破壊されてしまった。もしフィルムメーカーがフィルム関連事業しか持たず、そのバリューネットワークに固執してしまい。別の新しいバリューネットワークを構築するという取り組みを怠っていたならば、その企業自体の存続も不可能だっただろう。
 
いったんデジタルコンバージェンスが起きると、その市場は流動的になり参入障壁も低くなるため、それ以前のように安定したバリューネットワークを構築し維持することが難しくなる。逆にバリューネットワークをフレキシブルなものにして技術やインフラの進歩・変化や顧客のニーズの変化に対応できるようにする必要がある。それはその市場において技術やインフラのイノベーションが継続的に起きるようになるからだ。
しかし、コンバージェンス後の市場における競争優位を勝ち取るためには、競合他社に先駆けて強固なバリューネットワークを構築しなければならないのも事実だ。次のイノベーションの前に目の前の競争に敗れてしまう訳にはいかない。実際に、いったんはイノベーションに成功したにもかかわらず、デジタル時代に適合したバリューネットワークを構築することができずに撤退や事業売却するカメラーメーカー(や新規に参入した電機メーカー)が相次いだ。
クリステンセンのイノベーションのジレンマは、安定した強固なバリューネットワークを持つ企業に生じるものであったが、デジタル時代においては、経営者はそもそも安定した強固なバリューネットワークというものを構築すべきか否かという判断を迫られている。フィルムのエコシステムは100年以上にわたって多くの企業に利益をもたらしたが、フィルムメーカーに代わって写真産業の頂点に立ったカメラーメーカーの業績は10年そこそこで陰りが見え始めている。

前述のようにカメラメーカーが提供するバリューは「写真を撮る」というものだ。その「写真を撮る」というバリューを別の形で提供しようとする者が現れた。スマートフォン(のカメラ)だ。 その原点は2000年にソフトバンクモバイル(開始当時はJ-フォン)から発売されたカメラ付携帯電話だ。 やはり10年という長い時間がかかったがカメラ付携帯がスマートフォンという形に変わり、技術のインクリメンタルなイノベーションによって画質も向上しカメラメーカーの提供する「写真を撮る」というバリューを脅かすに至った。しかし、そのアドバンテージのひとつは、クラウドというラディカルなイノベーションとソーシャルネットワークサービスの出現によって、これまでの記録と記憶(保存)媒体に加え、新たに共有という媒体がスマートフォンのカメラのバリューネットワークに組み込まれたことだ。これが写真を撮ることから始まるまったく新しい体験として人々のコミットメントを獲得した。さらにもうひとつのアドバンテージは、スマートフォンのカメラはいつでも傍にあるということだ。人々はカメラを意識して携帯していなくても、スマートフォンは常時携帯している。その結果、スマートフォンのカメラは写真を撮りたいと思ったときにいつでも傍にあるという価値を提供している。

フィルム時代、人々はフィルムを購入しそれをカメラに入れて撮影した後はDEPサービスを利用して「写真」を完成させていた。そしてデジタル化された写真においてもカメラメーカーは「写真を撮った後」に関与することなく「写真を撮る」というバリューの提供を独占し、そのバリューネットワークを「写真を撮る」というバリューに特化させて事業を存続し拡大してきた。 次はカメラメーカーが自らイノベーションをしなければならない。もちろん、写真産業の外に活路を求めてまったく別のバリューネットワークを構築するというのではなく、写真産業においてカメラメーカーが提供するバリュー自体を再定義し、それに基づいたバリューネットワークを再構築することを意味している。

そもそも「デザイン思考」とは何なのか?簡単に言えば、“人々の生活や価値観を深く洞察し、ユーザーが何を潜在的に求めているのかを感知しながら、プロトタイピングを通じて、新しいユーザー体験を提供するイノベーション・プロセス”である。

記事の更新はTwitter (@kyosukek)でお知らせします。お問い合わせやご相談は、contact に @ibornb.red をつけたアドレスまでメールでお寄せください。
川手恭輔(Internet Born & Bred)
このエントリーをはてなブックマークに追加

D.A.ノーマンの「誰のためのデザイン?」の改訂版が発売された。



彼のエッセイ"Technology First, Needs Last"と "Human-Centered Design Considered Harmful" とそれに続くいくつかの投稿で提唱された "Activity-Centered Design" がどのように説明されているかが気になって、ざっと読んでみた。
余談だが、最近はKindle版の書籍を購入するようになり自宅ではiPad、外出先ではiPhoneのKindleアプリで読んでいるのだが非常に便利だ。デジタル・マーケティングやイノベーション関連ばかり乱読しているのでどうしても英文の本ばかりになるが、わからない(多くの)単語をタップするだけで和訳が表示されるのでスムースに読み進むことができる。気になるフレーズはマーカーで印をつけておけば、いつでも一覧表示から確認してその部分にジャンプすることもできる。読み進んだデバイスでの最終ページは、もうひとつのデバイスで開いたときに同期をしてくれる。この新しいユーザー体験が、ついAmazonに行って次の本を探したり、O'Reilly Mediaから毎日のように届くお勧めをクリックしてしまう僕の行動を生み出している。

第6章 Design Thinking と第7章 Design in the World of Business は完全に新しく追加されたとなっている。手元にオリジナルバージョンがなく(これも誰かに貸したはずだが)かなり昔に読んだので、その前の章の内容もあまり覚えていなかったが、読んでいるうちになんとなく思い出した。"Activity-Centered Design"は"Human-Centered Design"を否定して取って代わるような考え方としてではなく、"Human-Centered Design"の方法論として説明されているという印象だ。すなわち文化などによって異なる「個人」ではなく、人々の「行動」によってデザインを決めるべきだということ。"ACTIVITY-CENTERED VERSUS HUMAN-CENTERED DESIGN"という見出しの文節もあるのだが、全体を通してHCDの考え方は変わっていないように思う。
Designers first spend time determining what basic, fundamental (root) issue needs to be addressed. They don't try to search for a solution until they have determined the real problem, and even then, instead of solving that problem, they stop to consider a wide range of potential solutions. Only then will they finally converge upon their proposal. This process is called design thinking.

まずデザイナーは、 取り組むべき基本的で本質的な問題が何であるかを特定することに時間を費やす。そのほんとうの問題を特定するまで、その解決策を探すようなことはしない。さらに問題を特定した後でも、すぐにその問題を解決しようとするのではなく、立ち止まって広い視野で可能な解決策を広い視野で考える。そしてようやく自らの提案に集中する。このプロセスを「デザイン思考」と呼ぶ。
そしてHCDをデザイン思考のための強力な2つのツールの1つと位置付けている。もう1つは"The Double-Diamond Model of Design"と呼ばれ、問題の特定プロセスとその解決策を考えるプロセスにおいて、それぞれをいったん発散させて広い視点で客観的に考えてから結論に収束させるというものだ。そしてその2つのプロセスでHCDのデザイン手法
  1. Observation
  2. Idea generation
  3. Prototyping
  4. Testing
を繰り返して正しい結論を導く。この考え方はEric Riesの  "THE LEAN STARTUP"で提唱されているBuild-Measure-Learnの繰り返しによって、仮説としてのビジネスモデルを検証する手法と同じだ。また、そもそもデザイン思考という考え方を生み出したIDEOの"The Art of Innovation"で解説されている試行錯誤型アプローチとも(当然ながら)同じである。
ノーマンはHCDを否定しているのではなく、あまりにもそれを論理的に解釈したデザインやデザインの教育に対して警鐘を鳴らし、よりHuman-Centeredな取り組みをするべきだと訴えているように思える。

全体を通してHCDを実践はデザイナーの仕事として説明されているが、「ビジネスに携わる人がデザイナーをよく理解する必要などない。彼ら自身がデザイナーになる必要があるのだから。」というロジャー・マーティンの言葉で納得することにする。

この本を読んでいくつか気がついたことがある。この後、書いてみようと思っている。

記事の更新はTwitter (@kyosukek)でお知らせします。お問い合わせやご相談は、contact に @ibornb.red をつけたアドレスまでメールでお寄せください。
川手恭輔(Internet Born & Bred)
このエントリーをはてなブックマークに追加

このページのトップヘ