デザイン思考で行こう!

Life will find a way, we'll find a way technology lives.

2014年08月

20世紀のもっとも偉大なリーダーとされているGEの元CEOジャック・ウェルチが、ニュートロン(中性子爆弾)ジャックと呼ばれていたことをご存知だろうか。このところのソニーの発表や報道をみて思い出した。
製造業のイノベーション戦略を技術とドメインという軸で表したものを、イノベーションのマトリックスとして以前の記事で紹介した。これはアンゾフがその成長マトリックスの多角化について、さらに水平型、垂直型、集中型、修正型の4つに分類していることに注目して考えたものだ。
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,魯▲鵐哨佞水平型の多角化と呼んでいるものに近い。すでに獲得している経営資源やバリューネットワークの多くを活用してプロダクトのイノベーションを行う。写真というドメインにおいてカメラメーカーが新しいデジタル技術を導入し、フィルムカメラからデジタルカメラへのプロダクトイノベーションに成功した事例がある。

△麓社の既存の製品や保有技術に関連した新しい製品によって、別のドメインに参入するというアンゾフの集中型多角化だ。Appleが自社のコンピューター、OS、アプリケーションソフトウェアという製品・技術に関連したiPodという製品によって音楽という新しいドメインに参入したケースがあてはまる。

自社にない新しい技術を獲得して新しいドメインへ参入する、いわゆるコングロマリット化戦略は経営のより上位レベルでM&Aや企業合併などのオプションを含めて検討されるものであり、上記の2つのイノベーション戦略と同じ次元で考えられるものではない。
(以前の記事より) 
企業経営におけるコングロマリット化戦略には賛否両論がある。企業の成長戦略あるいは市場や消費者行動の変化への耐性強化として多角化という選択肢があるが、現業との関連性が薄い事業分野への多角化は、経営資源の分散による経営コストの上昇や企業イメージの希薄化を招くというデメリットもある。すべての戦略に言えることだが、コングロマリット化戦略自体が良いか悪いかではなく、その戦略の進め方やその企業の体質、そして置かれた状況との相性などで成否がわかれる。

ジャック・ウェルチによるGEのコングロマリット化は、多角化による企業規模の拡大を目指すというのではなく、同時に絶え間ない「選択と集中」を行ったことに意義があった。会長に就任するなり、その市場においてNo.1かNo.2になれない事業は売却・閉鎖によって切り離すという方針を打ち出し実行した。競合他社に主導権を握られたお荷物事業を売却し、その売却益を収益に計上するのではなく競争力のある将来的にも成長が見込める事業の競争力強化に投下する。これは会社全体が落ち目になってからではできない。赤字幅を少しでも縮小して、株主の批判と決算を乗り越えなければならないからだ。そして落ち目になってからのリストラクチャリングは外で活躍できる能力をもった優秀な人材から流出していくという結果を招く。

ジャック・ウェルチが会長に就任した1981年には、GEは250億ドルの売り上げと15億ドルの利益を出し40万人の社員を抱えていた。普通の経営者なら、少しでも利益を出している事業から利益を絞り出そうとする。しかし、ジャック・ウェルチは大型タンカーのように巨大化したGEの危うさに気付いていた。大型のタンカーは舵を切ってから実際に船が方向を変えるまでに非常に時間がかかってしまう。市場や顧客の消費行動の変化に気付いてから舵を切ったのでは遅すぎるのだ。ジャック・ウェルチはエアコン事業、炭坑事業、小型家電事業などを次々と売却し、85年までに社員数も30万人までに削減した。85年のRCAの買収をきっかけに、さらにダイナミックに大型の企業買収と売却を繰り返しGEの伝説的な成長が始まる。このあたりはジャック・ウェルチの自叙伝「我が経営」が詳しい。

ニュートロンジャックというあまり聞こえの良くないあだ名は、中性子爆弾が落ちた後は建物は残るが人は残らないという皮肉からきている。GEという企業は残るが不採算な事業とそれに携わる人は残らない。それまでの米国の大企業における終身雇用という経営者と従業員の暗黙の了解はGEによって破られたとされている。企業が破綻してしまえば終身雇用という幻想も破綻する。落ち目になり切羽詰まってからのリストラは、企業に見切りを付けた優秀な人材を失う結果になる。

ジャック・ウェルチは新たな人事評価のシステムを導入した。しかし、システムはあくまでも道具であって、それを運用し実際に評価をするのは人間だ。新しい評価システムを有効にするには、幹部や従業員の意識を徹底的に改革し企業自体の文化を変える必要がある。会社が傾いてからの導入は、コストダウンだけのためだと受け取られてもしょうがない。役員や幹部がのほほんとしていて、一般の社員だけが厳しい評価がなされるようでは期待と逆の結果を生む。GEのような人事評価システムは米国でいくつか開発され、それがコンサルタントによっていくつか日本の企業にも導入されたが、それが成功したという事例を知らない。米国式のシステムをそのまま導入するのではなく、終身雇用の幻想を信じている従業員の意識改革の方法や日本独自の企業文化を変えるためのカスタマイズが必要だろう。

さて、ソニーの状況を振り返ってみよう。下のグラフは7月31日に発表された2014年度 第1四半期の業績発表資料にある。

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MP&Cはスマートフォンなどのモバイル・コミュニケーション、IP&Sはデジカメを中心としたイメージプロダクツ&ソリューション、そしてHE&Sはテレビやオーディオなどのホームエンターテイメント&サウンドを指す。

コンスタントに利益を上げているのは、映画、音楽、金融といった「モノづくり」とまったく関係のない事業だ。略称で書かれたIM&PとIP&SとHE&Sは長いあいだ利益を出せておらす、イノベーションや収益化のシナリオも見えない。アルファベットで略された3つの事業が振るわないのは、それがシンプルに表現できない寄せ集めの事業体であるからということを示していると考えることもできる。ジャック・ウェルチ流に考えれば少しでも良い条件で競合他社などに売却すべき事業ということになるだろう。ゲームはどうだろうか。ゲーム(コンテンツ)の流通も物理メディアからネット配信に変化し、ゲーム機という専用のハードウェアがスマートフォン上のアプリケーションに変わりつつある中で、ハードウェアビジネスからの脱却という大転換をする必要があるだろう。

ソニーの「モノづくり」と関連性のないビジネスへの進出は、盛田昭夫元会長の「企業としてのバランスを保つために必要だ」という強い意志によってすすめられたという。ソニーの大株主であったプルデンシャル生命との合弁会社が設立されたのは1981年4月というジャック・ウェルチがGEの会長に就任した月と同じであるという偶然に驚く。
TVコマーシャルの「日生のおばちゃん」という表現に象徴されるそれまでの外交員による保険勧誘と顧客維持システムに対し、ソニーは金融や財務などのプロフェッショナルによる顧客ニーズ分析に基づく提案型の保険商品の販売という新しいビジネスの形態を開発した。
1999年にソニー損保、2001年にはソニー銀行をスタートさせた。いずれもネット販売を中心に業績を伸ばしたが、特にソニー生命のライフプランナーと呼ばれる営業マンが仲介した住宅ローンがソニー銀行の成長のテコとなった。新しく参入しようと攻める側に立つと、その市場の既存の企業には多くの隙や不十分なところが見える。きっとソニー不動産もソニーというコンスーマブランドの認知度とソニーの他の金融事業との連携によって数年後にはソニーの収益源となるだろう。もっとも、それまでにソニー本体から金融やエンターテイメントが切り離されてしまうかもしれない。
ジャック・ウェルチの行ったGEの多角化戦略は、それが長期に渡って成長する事業を発掘し利益体質を持続したという点で稀に見る成功事例だと言われてる。ソニーの多角化戦略はどのような結果になるのだろうか。

ソニーは「モノづくり」を捨てるべきなのだろうか。センサーなどのデバイス事業は、まだ技術的な優位性を持っているだろう。しかし、新しい経験価値を提供する最終製品を生み出す力を失いつつあるように思える。それはソニーだけの問題ではなく、日本のモノづくり企業全体に言えることだ。そしてそれは技術が足りないからではない。
最近、ソニーでは「新規事業創出部」という組織を中心とした新規事業創出の取り組みが行われているようだ。それは若手社員の自発的な活動から生まれたものだという。しかし、このような取り組みは日本の多くのモノづくり企業にも存在し存在した。いくつかの小さい成功事例がマスコミのネタになることはあるが、それらは企業全体の事業構造や体質を変革するようなものにはなっていない。ソニーでは新規事業オーディションで200件以上の応募があったと報道されているが、そんなに応募があることがおかしい。「若手の自発的取り組み」というのは聞こえが良いが、過保護の環境で片手間に考えたアイデアに付き合っている余裕があるのだろうか。ソニーの技術やバリューチェインを利用できれば、大きく化ける可能性のあるアイデアを持った人々はソニーの外に多勢いる。それらとコンペで競合させるぐらいでなければ、そこからイノベーションは生まれないだろう。

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UI/UXという表記(表現)は誤っているという人がいる。確かにUIとUXは違う(UIデザインはUXデザインに含まれる)ものだろう。しかしUI/UXデザインという表現もそれなりに意味があるように思う。

新しい製品やサービスをデザインするとき、それがどんなものであっても次の2つは明確になっていなければならない。
  • What: それによって何ができるのか 何が得られるのか
  • How: それはどのようにできるのか どのようにして得られるのか
D.A.ノーマンは「誰のためのデザイン?」の改訂版で次のように言っている。
Technology changes the way we do things, but fundamental needs remain unchanged.

技術は人々が何かをする手段を変えるが、その基本的なニーズは不変だ。 
この基本的なニーズがWhatであり、何かをする手段がHowに相当する。
携帯ラジオで番組から流れてくる音楽を聴いたり、Walkmanで音楽を聴いたり、iPodで音楽を聴いたり、その手段は変わっても「いつでも音楽を聴きたい」という基本的なニーズは変わっていない。
このHowを定義し、それを綿密にデザインし、時間をかけて徹底的に品質を高めた製品を市場に投入する。これまでの日本の製造業が得意としてきた事前設計主義によるモノづくりだ。

UXとは、このHowが提供されたときの顧客の経験である。
  • UX: それによって顧客はどのような感情や価値を感じるか
これはB.J.パインとJ.H.ギルモアの"The Experience Economy: Work Is Theater & Every Business a Stage"にある経験価値(Experimental Value)という言葉に相当する。
All prior economic offerings remain at arm's length, outside the buyer, but experiences are inherently.

これまでのすべての経済が提供するものは購入者の外側にあるものだったが、経験は顧客の内側に残るものだ。
顧客の中に生まれるものをデザインすることはできない。デザインするのはあくまでもHowについてだ。これから顧客に提供しようとしている製品やサービスを利用することによって顧客が感じる価値を想像しながらHowをデザインする。しかし、同じHowを経験しても、感じる価値や涌き上がる感情は顧客によって異なる。同じ顧客であってもその状況によっても異なるだろう。それをどこまで想像できるかという想像力の問題になる。

UIデザインはそのHowのデザインの一部である。Howのデザインに関わるすべての人はUXを意識する必要がある。いわゆる(狭義の)UIデザイナーがWebページやモバイルアプリケーションのUIをデザインするとき、Webページの訪問者やモバイルアプリケーションのユーザーがどのような感情や価値を感じるかを想像しながらデザインするということは当たり前のことだ。わざわざUI/UXデザインと言うのは、これまでUXなんて考えていませんでしたと認めているようにも思える。

近年、UXあるいはUXデザインという言葉が普及し、その定義や方法論が活発に議論されるようになった。そしてIDEOによるデザイン思考という方法論が提案され、スタンフォード大学のd.schoolなどでのカリキュラムや、コンサルタントによるワークショップなどによって日本でも注目も高まっている。正確にはUXデザインとデザイン思考は違うものであるが、その考え方や方法論においてはかなり重なる部分がある(僕も時々混同している)。

そのプロセスを経験しノウハウを習得したUIデザイナーがUI/UXデザイナーと名乗るのは良いのではないかと思う。単にUXデザイナーというより、「WebサイトやモバイルアプリケーションなどのUIデザイン」という専門分野を特定しているほうが良心的だ。「私はどんな分野においてもUXデザインできます。」というのはにわかに信じがたい。ある分野のUXへの取り組みのプロジェクトに、その分野に不案内なコンサルタントやファシリテーターがUXデザインやデザイン思考のプロセスをガイドするということはあるだろう。

UXは想像力だと書いた。しかしコンサルタントや社内のプロジェクトが、クライアントやマネージメントに提案を行い実施への資金を獲得しようとするとき、その提案のよりどころが「私が想像しました」では通らない。承認する側も「はいそうですか」では無能に見られてしまうのではないかという不安にかられる。UXデザインやデザイン思考のプロセスを実施した素晴らしいレポートを見せられると、いくつか気の利いた質問をした後にちょっとした条件をつけて承認しやすくなる。もっともレポートの素晴らしさと、プロジェクトの成果とはあまり関係ない。

しかし、これまでに誰も経験したことのないまったく新しいHowが提供しようというとき、そのUXはそのような取り組みで明確にすることができるだろうか。最初は人々は最初は戸惑いネガティブな感情を持つかもしれない。さらに、その新しいHowを実現する技術がまだ不十分であることも考えられる。それを克服しHowが人々に受け入れられたときに人々が感じる価値や感情を追い求めてゆく熱意と、そしてやはり豊かな想像力が必要になる。事前設計主義はすでに破綻している。

記事の更新はTwitter (@kyosukek)でお知らせします。お問い合わせやご相談は、contact に @ibornb.red をつけたアドレスまでメールでお寄せください。
川手恭輔(Internet Born & Bred)
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7/15にAppleがIBMと企業向けアプリケーションで提携するという発表があった。

AppleとIBM、企業のモバイルを一変させるグローバルなパートナーシップを締結

スティーブ・ジョブズのiPod/iPhone/iPadによるコンシューマー・エレクトロニクス市場の破壊的イノベーションの時代が終わり、アップルは「普通のすばらしい会社」へ進み始めた。
そして7/22にはアップルの第3四半期の業績が発表された。それによると前年同期に対してiPhoneの販売台数は3120万台から3520万台に増加し、iPadは1460万台から1330万台に減少したが、全体的にはまずまずの業績のように思える。
 Q3
iPadの販売数は頭打ちになったようだが、IBMとの提携によるビジネス市場への進出によって、もうひと伸びが期待できるだろう。

ティム・クックはコンシューマー・エレクトロニクス市場において「これまでになかったまったく新しい価値」を生み出すことをあきらめたようだ。そんなことは、はじめから考えていなかったのかもしれない。今秋には新しいiPhoneや腕につける健康管理の時計のようなものを発表するだろう。あるいは買収したBeats MusicをiTunes Radioと統合した新しい音楽ストリーミングサービスを始めるかもしれない。アップルなりのデザインやまとめ方で、ちょっとクールな味付けがあるかもしれないが、それらはすでに手垢のついたモノやサービスだ。それらは彼が出すと約束している世界一の製品なのだろうか。

ティム・クックは非常に有能な経営者であり、ジョナサン・アイブも稀にみる優秀なデザイナーだ。二人ともどんな企業においてもすばらしい力を発揮できるだろう。しかし、アップルに次の破壊的なイノベーションをもたらすことはできないように思う。いや、すでに攻める側から攻められる立場に立ったアップルの経営陣や投資家にとって、不確実で大きなリスクのある破壊的なイノベーションの取り組みは必要でないのかもしれない。ジョブズのまき散らした種のうち、芽を出して大きく育った木に水や肥料を与えて、毎年できるだけ多くのリンゴを収穫するほうが安全で確実だ。ジョブズもそのために最適なティム・クックを後継者に指名したのだろう。自分のようなことは自分にしかできないという自尊心がそうさせたのかもしれない。ティム・クックを指名した時点で、アップルにおいて持続的なイノベーションのための最適化が始まった。

しかしどんなに手入れをしても木には寿命がくる。無理な収穫をすれば木は弱るし、台風などで一夜にして倒れてしまうかもしれない。今日のデジタル時代では、そのスピードやリスクは以前とは比べ物にならない。ジョブズが生きている間に芽が出なかったテレビや時計に、いくら水をやっても無駄だと思うし、小さな芽が出たとしてもそれを大きな木に育てるには、経営のノウハウやデーターではなく、偏執的な執念と子供のような感性が必要になる。

ビジネス市場へ参入し、そこからこれまでのような事業成長を獲得するには、中途半端な取り組みで済ますわけにはいかない。コンシューマー市場における継続的なイノベーションのシナリオを着実に実践する一方で、まったく文化の異なるIBMとのタフな取り組みに多くのリソースを投入することになるだろう。これはジョブズには絶対できない(我慢できない)ことだったと思う。アップルがティム・クックという優秀な管理能力を持った経営者の会社になったということの表れだろう。
IBMとの提携は、アップルのファンが抱いていたもやもやとした幻想をきれいに取り払ってしまったのではないだろうか。IBMとの提携がiPhone/iPadの浸透を前提としたものであるならば、Appleは現行事業を否定する破壊的なイノベーションを起こすことは難しくなる。

iPodは音楽プレイヤーと音楽コンテンツの流通市場を破壊し、iPhoneは携帯電話メーカーとキャリアのビジネスモデルを破壊し、さらにゲームやアプリケーションソフトウェアなどのコンテンツ市場にも大きな変革をもたらした。iPadはそれらをさらに加速し、ノートパソコンの市場にも大きなダメージを与えた。ジョブズが生きていたとしたら、次に破壊するものはあったのだろうか。
アップルはすでにコンシューマ・エレクトロニクス市場のトップに立っている。市場に破壊的なイノベーションを起こそうとすれば、少なからず自らの事業を破壊することを覚悟しなければならない。iPhoneによってiPodの事業は衰退した。iPhoneはiPodを飲み込み、パソコン、カメラ、ビデオカメラ、ゲーム機、テレビ、書籍や新聞のリーダーなどありとあらゆるモノを手の中の小さなデバイスに魔法のランプのように飲み込んでしまった。もう飲み込むものは無いようにも思える。しかし、そこから破壊的なイノベーションは始まる。
人々の基本的なニーズは不変で、技術によってその手段が変化してゆく。音楽を聴いたり、ランニングをしたり、写真を撮ったりする目的は人によってそれぞれ異なるだろうが、ひとりの人に注目すると、新しい技術によって提供された製品やサービスによってその方法が変わっても、その基本的なニーズは不変だということだ。技術の進化が無限であれば、人々が何かをする手段も無限に変化する可能性がある。(以前の記事から)
iPodの基本的な部分や機能、そのコンセプトやビジネスモデルは10年以上変わっていない。 iTunesがiPhoneの中の1つのアプリケーションになっても、さらにiOSの中に「音楽」として組み込まれiTunesというアプリケーションが見えなくなっても、クラウドから音楽を購入してダウンロードしてiPhoneで選んで聴くという流れは変わっていない。上述したような音楽ストリーミングサービスを始めるかもしれないが、それもすでに手垢のついてしまったものであり、「これまでになかったまったく新しい価値」を生み出すことにはならないだろう。
音楽を購入してダウンロードして聴くという体験と、定額の料金を支払いストリーミングで自由に好きな音楽を聴くという体験には大きな違いがある。しかしiPhoneのアプリで曲を選択してヘッドホンで聴くという古いスタイルでは、その違いを「これまでになかったまったく新しい(体験)価値」に転換することはできない。

例えば、手の中の魔法のランプから新しい画期的なデバイスを取り出して「iPodを再発明する」ことだ。その価値が市場に理解されるのに2〜3年かかるかもしれない。偏執的な執念と子供のような感性で顧客の思いを積み上げてゆくそのプロセスが、アップルのコンシューマーブランドをさらに強固なものにしていくはずだ。しかし、ティム・クックはSiriやMapの最初のつまずきで少し保守的になっているかもしれない。

少し前に、読もうと思っていた本の日本語翻訳(沈みゆく帝国)が発売された。しかしKindle版の価格(2000円)が単行本の価格と変わらなかったので、結局オリジナルのKindle版を購入して読んだ。

Haunted Empire: Apple After Steve Jobs
Yukari Iwatani Kane
HarperBusiness
2014-03-18


緻密で膨大な取材に基づいて書かれており、サムスンとの特許係争や中国での生産の問題、そしてアップルの人間関係など読み応えがあって非常に面白かった。その内容を否定する意見もあるようだが、取材元なども明確に示されていて僕はけっこう鵜呑みにしている。ティム・クックがわざわざ「ナンセンスだ」とコメントして話題になったが、逆に痛いところを突かれたという印象を与えてしまったようだ。
この本に書かれていることは、他の多くの大企業においてはさほど驚くことではないかもしれない。アップルもそれらの多くの大企業とおなじ「普通のすばらしい会社」になりつつあるのだろう。しかし、今の経営体制では「これまでになかったまったく新しい価値」を生み出すことは難しいだろう。
ジョブズとティム・クックは完璧な補完関係にあった。ティム・クックは自分がジョブズになれないことは一番よく知っているだろうし、なりたいとも思っていないかもしれない。もし万が一、ジョブズの代わりになり得る人材が居たとしても、ティム・クックがそれを認めて受け入れるとは思えない。ティム・クックはジョブズを補完できたが、ジョブズはティム・クックを補完することはできない。

この本を読んで、昨年10月にAmazon.comで195円で購入した本を思い出した。



これを途中まで読んで「Appleは未だにiPodで止まっている」を書いた。一時期Amazon.comから消えていたが、表紙が新しくなり508円になって再登場していた。きっと購入したものはβ版だったのだろう。 1980年からジョブズやアップルに関わっていた多くの人々の短いコメントが時系列に並んでいる。"Haunted Empire"を読んで、もう一度この本を(最後まで)読み返してみようと思った。

Haunted Empire(沈みゆく帝国)では、まるでシスの帝国のように語られてしまったアップルだが、帝国に破壊的なイノベーションをしかけるジェダイのスタートアップは現れるだろうか。

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