CIPA(カメラ映像機器工業会)が毎月発行しているデジタルカメラの生産出荷統計をみると、いまさらながらその落ち込み具合の酷さを実感する。 2010年の約1億2000万台をピークに、あっという間に今年は5000万台に届くかどうかというところまできてしまった。好調だった一眼レフカメラも2012年以降は勢いを失った。早晩、デジタルに取って代わられる前の銀塩カメラの市場規模(4000万台弱)あたりに落ち着いてしまうのかもしれない。半数以上の既存のデジカメメーカーはデジカメ市場からの撤退を検討すべきだろう。「カメラの再発明」をしない限りは。

カメラのほんとうのイノベーションはこれからだ」で書いたように、それは可能だと考えている。しかしそれを、既存のデジカメメーカーが行うか異業種の企業が行うかはわからない。すでに「カメラ」は誰にでもつくれるものになっている。

デジタル化によって写真市場には大きな変化が起きた。しかしデジタル化による同様の革命が起きた他の市場、例えば音楽や通信産業などと異なり、一般の写真市場には未開拓の領域がまだ残されている。
デジタルフォトは、マーケティングや技術のトレンドによって形成されてきた。カメラメーカーの競争は撮る技術にフォーカスされており、写真のもっとも重要な側面の一つである撮った後に写真を楽しむことについては無頓着であった。いま顧客視点から写真というものを見直して、まったく新しいコンセプトを一から創りだすことが求められている。それにはカメラとかインターネットの共有サイトとか通信手段とかの部分的なところにではなく、写真を撮る、すなわち想い出を残そうとする人々の基本的なニーズにフォーカスする必要がある。

私たちは皆、自分の人生や愛するものの写真を撮ったりビデオに収めたりすることが大好きだ。しかし、多くの人々はスマートフォンのカメラを使うようになってしまった。そこでは「画質」ではなく、「何ができるか」とか「どんな付加価値を付けられるか」ということが意味を持っている。スマートフォンのカメラが専用のカメラに完全にとって代わるかどうかということではなく、「いつも傍にあるカメラが一番いいカメラだ」というChase Jarvisの2009年の言葉が実証されたということだろう。
さらに言えば、特にソーシャルメディアでイメージを共有することがより簡単にできるなど、スマートフォンのカメラがカメラより圧倒的に優れている場合がある。

カメラは依然として本質的にダムデバイスで、その基本的な機能は変化していない。これは必ずしも悪いことではない。カメラは写真を撮るデバイスだ。しかし、変わったこともある。我々が撮る写真の量は劇的に増加し、Eメールやソーシャルネットワーク、オンラインストレージサービスなどを利用することによって、写真を即時に共有することも可能になった。厳選された写真だけがプリントされるようになり、その頻度はぜいぜい年に数回に激減した。あるいはプリントなど考えたこともない人も多いかもしれない。

フィルムが現像されプリントされた写真がまとまって戻ってくるときの感動は失われてしまった。写真は管理しなければならない単なるファイルになってしまい、それをカメラからパソコンにダウンロードしたり、それほど素晴らしくもないものも含まれる数ギガバイトの写真を整理したりという、気乗りのしない面倒な仕事をやらなければならなくなった。ほとんどの人にとって、これはじれったくてストレスが溜まるものであり、なによりも退屈で時間を浪費するものだ。

カメラのデジタル化によって、単にフィルムがセンサーに変わったということではなく、もっといろいろなことが可能になるはずだ。デジタル化は、我々が想い出を撮ったり、それを共有したり、保管したりする手段をもっと変化させる可能性を拡大する。
人々は人生の記録のための包括的なソリューションを求めている。
これが「人々が諦めていること」であり潜在的なニーズ」だ。あるソーシャルサービス開発のプロジェクトで、日米の一眼レフユーザーや日常的にスマートフォンのカメラを使う人々を集めてインタビューを行った際、次の質問をしたときにそれを実感した。
ところで、あなたの大切な人生を記録した写真はどこにありますか?
この問いかけには、実に様々な答えが返ってきた。グループインタビューの出席者が互いに質問や意見を言い合い、そして苦笑いをしながらそれぞれが「諦めていること」を告白し始めたのだ。「そうなんだよ、それが問題なんだ。」
今日の写真の問題の一つは、人々が生成した莫大なイメージを管理することだ。 
「人生の記録のための包括的なソリューション」は、スマートフォンのカメラとカメラとの機能的なギャップを埋めようとするのではなく、カメラが持つ基本的な優位点を理解しそれを生かすものでなければならない。人々は依然として旅行や幼稚園の卒業式などの大切なイベントでたくさんの写真を撮るためにカメラを持っていく。

「人生の記録のための包括的なソリューション」は、カメラというモノをデジタルリマスタリングすることによって導くことができるはずだ。
  1. モノに関連する情報やコンテンツをインターネットで扱うことによって可能になる「新しいユーザー体験」を描く
  2. バリュープロポジションを定義する
  3. それを実現する製品「ハード」「ソフト」「サービス」を再定義する 
インターネットにつながったカメラというアイデアは、すでに現実のものとなりつつあり、WiFi機能を備えたカメラも手に入るようになった。これをカメラの他の機能と同じようにカタログ上のスペックにしてしまうのは実に残念なことだ。それは「人生の記録のための包括的なソリューション」の第一歩である。「WiFi機能搭載」と謳うのは、iPodを単なる「MP3再生が可能なハードディスク」と呼ぶことと同じ過ちである。

「大切な人生を記録したすべての写真」がクラウドにあれば、いつでもどこからでもスマートフォンやタブレットのアプリケーションからアクセスすることができる。その前提で可能になるこれまでになかった「新しいユーザー体験」をいろいろ考えることができるだろう。まずはそのアプリケーション(ソフト、サービス)からアイデアを組み上げてゆきコンセプトをデザインする。そのコンセプトを包括的なソリューションに落とし込むために、「ハード」「ソフト」「サービス」の役割を再定義するプロセスは、過去記事「 アプリケーションの時代」を参考にしてほしい。

デジタルフォトの世界に君臨したカメラメーカーは、その市場における支配力を失いつつある。スマートフォンベンダーやソフトウェアの大企業が徐々に写真市場での影響力を強めている。AppleやFacebookなどのサービスは、すでに包括的なソリューションを提供している。それらはいずれカメラメーカーを市場から駆逐してしまうかもしれない。しかし、カメラメーカーが「MP3再生が可能なハードディスク」ではなく、「人生の記録のための包括的なソリューション」を提供するカメラを再発明することによって、もうひと花咲かせることは十分に可能なのだ。 

デジタルフォトはインターネットとの接続という方向に進むことが自然な流れであり、他のコンスーマ市場を見ても明らかなように、真のエンドツーエンドのソリューションを提供した者が常に勝利を収める。それは果たしてカメラメーカーなのかスマートフォンベンダーなのか、はたまたスタートアップなど新しいプレイヤーなのか、それはいずれ明らかになるだろう。

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