デザイン思考で行こう!

Life will find a way, we'll find a way Technology lives.

2015年05月

1. 自転車運転者講習制度

6月1日から「改正道路交通法」が施行され、違反を繰り返す自転車運転者に「安全講習」が義務づけられるようになる。そろそろテレビのニュースやワイドショーなどで取り上げられ、警察による取り締まりの様子が報道されて大きな話題になるだろう。
自転車運転のルール自体が変わるわけではなく、取締りをしやすくするための「罰則」のようなものを設定する。正しくは「罰則」ではなく、悪質・危険な自転車運転者に対して公安委員会から「自転車運転者講習」の受講命令が下されるというものだが、その講習の受講(手数)料が5,700円というところが、反則金のような実質的な効果を発揮することは間違いないだろう。

「悪質・危険な自転車運転者」とは、自転車乗用中につぎのような14種類の危険な行為で、3年以内に「違反切符による取締り」を受けたり「交通事故」を 起こしたりを2回以上繰り返した者を指す。

信号無視や遮断踏切立入り、酒酔い運転などは論外だが、これらのルールを理解し遵守して自転車に乗っている人はどれだけ居るだろうか。12番目の「制動装置(ブレーキ)不良自転車運転」という項目について、競輪で使用されるピストバイクと呼ばれるブレーキがない自転車の取締りが強化され、違反者が摘発されて裁判所に呼び出されて罰金が科せられたということが話題になったことがある。しかし、歩道をベルを鳴らして走っている人が摘発されたという話は聞かない。自動車運転の場合は、いわゆる青切符という反則金の制度があるが、自転車運転の場合は違反で摘発されれば、いきなり裁判所に呼び出されて罰金が科せられる。これまでは警察としても、よほどのことがない限り摘発はしにくかったと思う。

もちろんこの新しい制度は、上記のルールの周知と「悪質・危険な自転車運転」に対する抑止力という意味が大きいと思うが、その取締りなどの報道がきっかけで、「自転車は危険で迷惑だ」という歩行者や自動車の運転者の感情との対立が生まれてしまうことも懸念される。
自転車は基本的に歩道ではなく車道の左側を車と同じ方向にむかって走らなければならない。止むを追えずに歩道を走行する場合でも徐行しなければならない。しかし、日本では自転車が車道の左側を走るためのインフラは整備されていない。そのような環境のままでは、「自転車は車道」というルールを遵守することが徹底されることによって、車道に溢れ出た自転車が新しい問題を生む可能性もある。

2. TOKYOサイクルネットワークプラン

4月7日に特定非営利活動法人「自転車活用推進研究会」という団体から、「東京都における自転車走行空間ネットワーク整備に関する提言書」が、東京都の舛添知事あてに提出された。これは同研究会の「+1 LANE PROJECT〜TOKYO自転車シティ計画」という取り組みのなかで研究され提案されたものだ。東京の自転車レーン(歩道上の自転車歩行者道は含まない)は総延長わずか9kmと、総延長900kmのロンドンや1500kmのニューヨークの100分の1に満たないという。提言は、東京を世界クラスの自転車先進都市にする第一歩として、都心全域と五輪会場を網羅する自転車レーン網「TOKYOサイクルネットワーク」を整備しようというものだ。
 「TOKYOサイクルネットワークプラン」

自転車活用推進研究会によると東京都は前向きに検討を始めたようだ。もしこれが 2020年の東京オリンピック・パラリンピックまでに実現すれば、 「自転車運転者講習」という新しい制度の片・手落ちが解消されるだけでなく、新しいビジネスを生む大きな可能性がでてくる。「自転車は車道を左側通行」というルールが徹底され、それに対応する「自転車レーン」が整備されることが、提言にあるように「自転車先進都市」の第一歩だとすると、次に何を考えるべきだろうか。

3. 自転車先進都市のデザイン

東京は整備された公共交通機関のきめ細かさにおいて、世界でもトップクラスの大都市だろう。点と点を移動するだけなら、電車や地下鉄を利用すれば事足りる場合が多い。自転車も点から点への移動手段であることは間違いないが、上の「TOKYOサイクルネットワークプラン」を見れば、点と点をつなぐ線に意味があるように思えてくる。この線に価値を与えることが「自転車先進都市」をデザインするためのポイントではないだろうか。

線に与える価値とは、その道を自転車で走ることによって得られる価値を意味する。安全性、快適性、便利さ、楽しさ、金銭的な利益、健康、発見、感動などのキーワードが思いつく。その価値を提供することによって自転車の動線が変化する。最寄り駅までの通勤や買い物のための通過するものでしかなかった線が、その体験を楽しむようになり、さらに新しい体験を求めて別の線を通ったり寄り道をするようになる。あるいは点と点の移動ではなく、その線を楽しむこと自体が目的になり得る。線の上に新しい点ができ、線から外れた点が発見され、そこに新しい線ができる。

では、誰がその価値を線に与えるのだろう。
安全性や快適性は、自転車レーンの整備を担当する行政によるところが大きいだろうが、その他については、それによって利益を得るものが価値を提供すべきだろう。ビジネスが絡まなければ限界がある。価値提供をマーケティングとして考えればわかりやすい。

「TOKYOサイクルネットワークプラン」の地図の中心の皇居の周りの道路は一周が約5kmだ。自転車でゆっくり走ると20分から30分ぐらい。そう考えて地図の全体を見ると、自転車で可能になる行動範囲がかなり広いことがわかる。この自転車の特性に着目して、いろいろなビジネスを考えることができるはずだ。

自転車レーンの線分のスポンサーになって、設備や情報を提供する。スポンサーはレーンに愛称をつけることもできる。
線に点を作るために、自転車レーンのところどころに駐輪の設備を用意することは効果的だろう。自転車を係留して、スマートフォンを取り出すと近隣の情報がプッシュされる。自転車が通らなくなって余裕のできた歩道には、カフェのテーブルを並べることができる。行動範囲の広い自転車は、その動線を変えることが比較的容易だ。アリの先遣隊のように、新しい価値を発見して、それをソーシャルネットに発信してもらうしかけを考える。自転車だけでなく歩行者を呼び込んだり、新たに自転車に乗ろうという人を増やすことにもつながるだろう。

もちろん、それらを実現するには行政による規制緩和が必要だ。そして行政(東京都)は、自転車レーンの整備だけでなく、「自転車先進都市」のグランドデザインを描き、情報提供に必要なITの共通基盤を提供することなどもぜひ検討してほしい。それは、民間のIT企業にとってもビジネスを開発するチャンスになり、さらにそのIT基盤を利用した自転車のレンタルサービスなど、新しいサービスを提供しようという起業家も出てくるだろう。

2020年の東京オリンピック・パラリンピックまでにすべてを実現することは難しいかもしれないが、海外からの観光客に「自転車先進都市」に取り組む東京をアピールすることはできるだろう。東京で自転車に乗ることが、これまでになかった体験となって東京に新たな価値が生まれる。

「自転車に乗りに東京に来る」なんてことになったら、すごく面白いんじゃないかと思う。

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川手恭輔(Internet Born & Bred)
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それまでになかった新しいものを創るということ」という記事で紹介した画家 山口晃さんが、5月17日のTBSの情熱大陸でも特集されていた。やはり売れっ子だ。
「見たぞ!ゆるキャラ絵師のマジ顔 画家 山口晃」という微妙なサブタイトルが付けられていたが、「遅筆」で知られる画家の数ヶ月先の個展に向けた取り組みを密着取材するという番組の目論見が、取材スタッフの次の一言で吹き飛んでしまった。

「次の新作の何かを探している(のですか)?」

一般の団体の京都ツアーの案内役をして菊乃井(料亭)での昼食の余興に絵を描いたりするという、画家の奇妙な様子を取材するところまでは和気藹々と、取材スタッフと画家との距離も近くなったようだった。
そして、山間の温泉旅館で逗留をはじめた。絵の道具がないので、文筆家のように、その場で制作をすることはない。
画家が面白い大切と思う独特の発想が形になるまでは、当然ながら人々はそれを理解することができない。その発想と人々の理解とのギャップが大きければ大きいほど、きっと画家は穏やかな表情に秘められた野心を掻き立てられている。
その大きなギャップを埋めるための戦略を徹底的に考え抜き、表現の構想を練り上げる。そのために、実際に描く時間と同じぐらい(あるいはそれ以上)の時間を費やす。
「それまでになかった新しいものを創るということ」より 
縁側で昼寝をしたり、窓の下の渓流を縄張りとするアオサギの様子を観察したりする(きっと)長い時間が流れ、画家がMacBook Airで誰かの絵を眺めているときの質問だった。取材スタッフは、そろそろ画家の言葉が欲しいと思ったのだろう。それは「番組の構成」を考えるとどうしても必要だったのだろうが、不運にも地雷を踏んでしまった。

画家は明らかにうろたえた。
そういうことはあまりしないんですね...
その質問はあまり良くないですね...
そういう考え方は良くない...
危険ですね...この段階で...

カブトムシってサナギの時にいじると死んじゃうんですよ... 
今、そういう時期なので...なかなかね...
いまの質問は、サナギをグッとつつくような...うん、デンジャラスな質問ですよ...
そう言いながら、頭の中で説明のための言葉の塊が浮かんできてしまうのを、必死に打ち消そうとしている。言葉の塊がコンテキストを持ってしまうと、どんどん固まっていってしまう。今はその段階ではない。「画家が面白い大切と思うこと」、あるいはそれをどう表現するかは、画家の中でもまだ明確になっていない。まずはじめに、これまでの自分の枠や既成概念を打ち壊して、ひたすら発散しなければいけない。きっとツアーの案内役を買って出たのも、そんな意図もあったのかもしれない。

画家自身も収拾がつかなくなってしまった。話した言葉を打ち消しながら、後ずさりしながらなお話す。 
「新作のためとか、そういうのとかでは一切ない、ということですらない、ということを言わない...」
取材は数ヶ月間中断した。個展に向けた取り組みを密着取材するという狙いははずれた。しかし、山口晃さんには申し訳ないが、番組としてはすごく面白かった(興味深かった)。
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企業の中で、それまでになかった新しいモノやサービスを創り出そうとするビジネスマン(シリアル・イノベーター)は、もちろんアーティストとは違うアプローチが必要だろう。グループでつくるか独りでつくるかという問題ではない。アーティストは完成するまで人々の評価を必要としない。その構想を説明して意見を聞こうなどとは思わない。そういう見方からすると、スティーブ・ジョブズはアーティストだったのかもしれない。「リーン・スタートアップ」でエリック・リースが提唱している「思いこみは捨てて、顧客から学ぼう!」という考え方とは対照的だ。

「それまでになかった新しいものを創るということ」においては、その構想を固めるまえに、まずこれまでの自分の枠や既成概念を打ち壊すところから始めなければならない。この如何にして「発散」するかというところは、アートとビジネスの両シーンで共通するように思う。 その発散の仕方は人それぞれだろう。いろいろなものを見たり、いろいろなことをしてみるのは、構想のヒントを得るためではない。どんな方向がいいのかはわからないが、とりあえず自分の意識や視座を自分から離れたところに置いてみるためだ。画家はアオサギを観察して、そのスケッチに次のような言葉を書いた。
「生きものらしくないライン ギソウ」
「だからなんなのか」ではなく、観たものをコンテキストを持たない単語や言葉のまま放置するために、スケッチとして書いたのだろう。

このブログのタイトルでもある「デザイン思考」は、2008年6月のHarverd Business ReviewでIDEOのティム・ブラウンが提唱したものだ。
Put simply, design thinking is a discipline that uses the designer's sensibility and methods to match people's needs with what is technologically feasible and what a viable business strategy can convert into customer value and market opportunity.

デザイン思考とは簡単に言えば、技術的に実現可能であり、採り得る事業戦略によって顧客価値と市場機会に転換することができる何かを、デザイナーの感性と手法を用いて人々のニーズに調和させる専門分野である。 
デザイン思考は、どちらかというと問題解決型のアイデア創出とその実現の方法論で、IDEOのコンサルティングでの多くの実践経験を踏まえて「デザイナーの感性と手法」が非常に論理的にプログラムされている。

このブログでは、「それまでになかった新しいユーザー体験」を提供する「ハード」「ソフト」「サービス」による製品を、どのように創り出すかについて考えている。それには問題解決型のアプローチでは限界がある。「それまでになかった新しいユーザー体験」が、「画家が面白い大切と思う独特の発想」に近いものならば、それを創り出すにはやはりアーティストの感性が必要だろう。

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川手恭輔(Internet Born & Bred)
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Apple Watch(アップル・ウォッチ)のような、それまでにない新しい価値を提供しようとするハイテク製品(古!)の普及について論じたものに、社会学者E.M.ロジャースが提唱した「イノベーター理論」がある。商品の購入者を購入する順序によって次の5つのグループに分類する(分類はWikipediaから引用)。
  1. イノベーター(Innovators:革新者)新しいものを進んで採用するグループ。
    彼らは、社会の価値が自分の価値観と相容れないものと考えている。全体の2.5%
  2. アーリーアダプター(Early Adopters:初期採用者)
    社会と価値観を共有しているものの、流行には敏感で、自ら情報収集を行い判断するグループ。オピニオンリーダーとなって他のメンバーに大きな影響力を発揮することがある。全体の13.5%。
  3. アーリーマジョリティ(Early Majority:前期追随者)
    ブリッジピープルとも呼ばれる。新しい様式の採用には比較的慎重なグループ。全体の34.0%。
  4. レイトマジョリティ(Late Majority:後期追随者)
    フォロワーズとも呼ばれる。新しい様式の採用には懐疑的で、周囲の大多数が試している場面を見てから同じ選択をする。全体の34.0%。
  5. ラガード(Laggards:遅滞者)最も保守的なグループ。
    世の中の動きに関心が薄く、流行が一般化するまで採用しない。全体の16.0%。中には、最後まで流行不採用を貫く者もいる。
ハイテク製品のような革新的な商品は、イノベーターとアーリーアダプターのグループに普及すると(彼らがオピニオンリーダーとなって他のグループに大きな影響力を発揮することによって)、急速に広がっていくという理論で、まずイノベーターとアーリーアダプターに購入してもらい使ってもらうことが普及の鍵とされる。イノベーター理論をご存じない方も、スタートアップなどの話題で「アーリーアダプター」という言葉は聞いたことがあるかもしれない。 

これに対して、J.A.ムーアはその著書"Crossing the Chasm(キャズム)"(3rd Editionは日本語Kindle版がある)の中で、この顧客の分類は継承しながらも、特にそのアーリーアダプターとアーリーマジョリティの間には大きな溝(キャズム)があると指摘した。 イノベーターとアーリーアダプターへの普及に注力するだけでは、このキャズムを超えることはできないという。

ハイテク製品は「使いこなす」必要がある。イノベーターやアーリーアダプターは、新しい製品が提供しようとする新しい価値を積極的に理解しようとするだけでなく、それを「使いこなす」こと自体にも価値を感じ、そのために自分の習慣や振る舞いを変えたり新たな作業をすることを厭わない。むしろ、それに喜びを感じる。     
しかし、それはアーリーマジョリティにはあてはまらない。いくらイノベーターやアーリーアダプターが「いいね」と言っても、それだけで自分の習慣や振る舞いを変えたり、新たな作業をしてまでハイテク製品を使いこなしてはくれない。アーリーマジョリティに購入してもらうには、イノベーターやアーリーアダプターとは異なった要求レベルを満たす必要がある。

FacebookなどのSNSの普及については、イノベーター理論があてはまるだろう。人と人とをつなげるネットワークを提供する製品やサービスは、その製品やサービス自体の価値ではなく、そのネットワークにつながった人の数や利用頻度が普及の鍵になる。これをネットワーク外部性という。新しいSNSがイノベーターやアーリーアダプターに徐々に普及しネットワーク外部性があるレベルに達すると、普及のスピードが劇的に速くなる。その間、製品やサービスの改善がなされるかもしれないが、これはキャズム理論とは異なると考えるべきだろう。

アーリーアダプターとアーリーマジョリティの間のキャズムを超えるためには、アーリーマジョリティの視点でROI(対投資効果)を考え直す必要がある。彼らにとってその製品が、対価を払ったり自分の習慣や振る舞いを変更したり、あるいは製品を使うための新たな作業をするなどの投資に値するだけの価値があることを明確にする。コストダウンによって製品価格を下げたり、製品を使うために必要となる作業を排除する努力をする。アーリーアダプターからのフィードバックを分析して、提供しようとしているユニークな価値をさらに洗練させる。そのために、他社のコンテンツやサービスをどう取り込んでいくかという戦略も必要になるだろう。

その製品を使うことによって人々の習慣や振る舞いが変わる。キャズムを超えることによって、それが人々の人生の一部になる(過去記事)

ジョブズは「電話機を再発明する」と言ってiPhoneを発表した。人々はいままで持っていた携帯電話の代わりにiPhoneを購入した。しかし人々は電話機としてではなく、ジョブズの本当の狙いであった「インターネットに繋がったコンピューターを持ち歩くことによって得られる価値」に気づき、それは人々の生活になくてはならないものになった。そして、それはiPhoneにアプリやサービスを提供する企業にとっても大きな価値となり、それらの企業がさらにiPhoneの価値を向上させるという奇跡ともいえる循環を生んだ。 

2007年に最初のiPhoneが米国で発売された。GSMの携帯通話インフラ上でのGPRS/EDGEの2.5Gのデータ通信で、「インターネットに繋がったコンピューターを持ち歩くことによって得られる価値」を提供しようとした。ジョブズの発明にイノベーターたちが飛びついた。2009年にiPhone3Gが発売されると、日本でもアーリーアダプターに拡がり始めた。App Storeも開設されたが、まだパソコンでできること、メールやWebや検索など、「インターネットに繋がったコンピューターを持ち歩く」以上のものではなかった。

iPhoneがアーリーマジョリティに拡がり始めたのは、iPhone4が発売されてからだろう。もちろん通信や機能の改善もあったが、TwitterやInstagramなどの「モバイルでなければできない新しい体験」を提供するSNSサービスのネットワーク外部性の影響が大きかったと思う。アーリーマジョリティに普及するためには、この「他では得ることができない体験」の価値を認めてもらわなければならない。iPhoneから始まったスマートフォンは、すでに多くの人々にとって無くてならない("Must have"な)ものになった。

イノベーター理論とキャズム理論は、それぞれ1962年と1991年に提唱されたもので、現在では人々の「ハイテク機器」の受け止め方は大きく変わっている。またハイテク機器の市場の地理的な拡がりも当時とは比べものにならないが、基本的な理屈は現在でも通用すると思う。しかし、それぞれのグループの割合は地域によって差があるはずだ。また、Apple製品はそのブランドに対する期待で、アーリーアダプターの割合が大きくなっている気がする。
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「Apple Watchはキャズムを超えることができるか?」という問いは(Apple Watchに限らず)ナンセンスだ。それはAppleがApple Watchをどう進化させるかにかかっている。現時点でのアーリーアダプターの評価のうち肯定的なものは、どれもあったら便利("Nice to have")というレベルだ。他の腕時計型の端末でもできそうなことを含めて、良いところを探そうとしているようにも感じる。アーリーアダプターはそういうものだろう。

Apple Watchがキャズムを超えるには、「腕につけた小さなコンピューター」でなければ得られない新しい体験を提供する必要がある。それはiPhoneでは提供できないものでなければならないが、iPhoneとの連携が必要か否かは問題ではない。Apple Watchが欲しいから、スマートフォンをiPhoneに換えるなんてこともあるかもしれない。iPhoneがMacユーザーを増やしたように。

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ある会社から相談を受けて、連休中はもっぱら「自転車のIoT」を「思考」していた。「自転車がインターネットにつながったら」というお題だ。

人々が自転車に乗る基本的な目的は「移動」だ。歩く(走る)のではなく、車でもバスや電車でもなく、なぜ自転車を選択するのか。「移動」が目的ではなく、スポーツやレジャーとして、自転車に乗ること自体を楽しむことが本当の目的の場合もあるだろう。そのような人々は、スマートフォンでナビゲーションアプリを利用したり、ランニングと同様に走った記録をSNSで共有したりしている。

「自転車をインターネットにつなげる」ということは、簡単に言ってしまえば自転車にセンサーを取り付け、そのセンサーで検知した情報をインターネット上のサーバーに送るということだ。そして、その情報をスマートホンのアプリで受け取る(図は下で紹介するスタートアップの資料から拝借している)。

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その情報とは、どんな情報だろう。その情報は、どのような価値を生むのだろうか。

スポーツやレジャーとして自転車に乗ったり、通勤や通学に使う場合でも、それをライフスタイルにしている人々は、ロードバイクやクロスバイク、そして一時期、安全面で話題になったピストバイクなどの比較的高価な自転車に乗っていることが多い。その人たちにとっては、自転車の盗難が大きな心配事だ。欧米の「おしゃれな」会社では、オフィスに自転車を持ち込むことができることが多いが、外に留めておくときは気が気ではない。
日本では「おしゃれな」会社が大きくなって大きなビルに移ると、自転車通勤ができなくなったりする(余談)。

警視庁が把握している数字では、東京都内における自転車の盗難は年間5万件とか6万件とかだが、欧米の大都市においてはその数十倍の盗難があるという。ずばり「自転車泥棒」というタイトルの古い映画でも有名な彼の地では、現在でも盗んだ自転車を売りさばく闇市場があって、それで生活している泥棒もいるほどだ。彼らは大きな袋でボルトカッターやカーボン製の金ノコを持ち歩き、小さなU字ロックやチェーンなどはあっというまに切断してしまう。高額な自転車に目をつけたら、わざわざ自動車のジャッキを持って行って太いU字ロックを破壊することも厭わない。

自転車の盗難防止はビジネスになるIoTアプリケーションだ。

自転車にセンサーを取り付ける。係留してあるはずの自転車が移動したり、振動を検知したりすると、その情報がインターネットを経由して持ち主のスマートホンのアプリに送られ警告を発する。盗まれてしまった自転車の位置をGPSで追跡する。そこまでは誰でも思いつく。

しかし、それは泥棒に簡単に取り外されたり壊したりされないように頑丈でなければならない。走っているときの振動や水濡れなどにも耐える必要がある。そういった条件をつけると、センサーや通信モジュールのための電源が問題になってくる。充電のために簡単に取り外すことができたり、端子が出ていたりしては都合が悪い。
さらに異常を検知したときは即座に通知しなければならないので、WiFiや近接通信ではなく携帯電話網によってインターネットに常時接続している必要がある。

ちょうどそんなことを考えていたときに、5月1日のengadget日本版に「GPS内蔵の自転車盗難防止ペダルConnected Cycle Pedal。SIMスロット搭載、発電機内蔵で単体動作」というタイトルの記事が掲載された。
フランスの Connected Cycle が、自転車盗難防止用の GPS 内蔵スマートペダル「Connected Cycle Pedal」を発表しました。現在はクラウドファンディングサービス Indiegogo で商品化に向けた出資を募集しています。
一般的な大人用の自転車に取り付けることができるペダルで、セルラー通信機能と GPS を内蔵しているため、万が一自転車が盗難にあった場合でもリアルタイムで居場所を追跡できる。さらにペダルを漕ぐことによって発電し蓄電されるので、セルラー通信機能と GPSのために外部から電気を供給する必要がないという。

「そうか、ペダルという手があったか」と感心しながら、記事からリンクされたIndiegogoの製品紹介ページを読んでみると、実は本当に凄いことが隠れていた。

盗難防止と走行の記録ができる世界初の「スマートペダル」として、次のような特徴が挙げられている。
  • 自転車が移動するとスマートホンに通知される
  • GPSによって自転車がどこにあるかがわかる
  • ペダルがインターネットに接続しているので、スマートホンのバッテリーを消耗することなく、あるいはスマートホンを携行していなくても、走った軌跡や状況を自動的に記録する
  • 発電機構を備えているので、充電の必要がない
しかし、驚いたのはHardware Electronical Technologiesという項目の次のような記述だ。
GSM + GPRS connection with a global SIM
UNLIMITED DURATION data plan in the package. The SIM is soldered on the hardware and cannot be removed or used in another appliance.

無期限のデータプランがパッケージに含まれている。SIMはハードウェアにハンダ付けされており、外して他の機器で使用することはできない。
engadget日本版の記事では3G回線でSIMスロット搭載となっているが、そこはちょっと違うようだ。GSM/GPRSという日本以外のほとんどの国で使える2.5Gのパケット通信に対応したグローバルSIMが固定されている。この"UNLIMITED DURATION data plan"というのが凄い。

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ペダルの小売価格が$220で、それに無期限のデータプランが含まれているというのだ。いまクラウドファンディングのIndiegogoで予約すれば、それを$149で購入することができる。
しかし、こんな気になる記述もある。
Exclusive offer for our Indiegogo backers:
The included SIM has an UNLIMITED DURATION data plan included which means you will never pay extra fees.
"Exclusive offer for our Indiegogo backers(Indiegogoでの支援者への限定提供)"として、購入代金以外に通信料金などは一切かからないというのだが、商品化されたあとの一般の購入者は、通信料などが必要になるとはどこにも書かれていない。もしかすると有料になるのかもしれないが、モバイル通信がLTEや4Gへ移行しつつある中で、2.5Gのインフラが空くことを念頭にして携帯通信キャリアと格安の価格設定をすることも期待できる。あるいは、通信料金を盗難保険などにバンドルしたビジネスモデルなども考えられる。

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すでにEU29カ国と米国などで利用できるようになっているとのことだが、GSM/GPRSのインフラがない日本では使うことができない。日本で使えるように3Gに対応するにしても、どの携帯通信キャリアと組むかによっても3Gのハードウェアが異なり、コストアップは避けられない。

このコネクテッド自転車ペダルは、IoT(モノのインターネット)のお手本のような非常によく考えられたプロダクトだ。 現時点でも素晴らしいが、楽しむためのアプリケーションやビジネスモデルを含めて、さらにいろいろな可能性を持っていると思う。

 IoTにはモノをインターネットにつなげるための「通信」が必須だ。このコネクテッド自転車ペダルは、GSM/GPRSというレガシーな通信インフラを利用している。インターネットを介して送受信する情報の量はそれほど多くないだろうから、通信スピードはそれほど速くなくてもいい。必要とするハードウェアの消費電力の低さ(発電のために、漕ぐペダルが重くなってはたまらない)、そして世界中で使うことができるということで採用したのだろう。これは他のIoTにも十分に参考になる。

日本の携帯通信キャリアはこのようなIoTに対するソリューションを考えているだろうか。もしかするとIoTでも日本はガラパゴスになってしまうかもしれない。 

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4月19日のNHK日曜美術館は「画伯!あなたの正体は?ドキュメント・山口晃」という特集だった。山口晃さんは、以前の記事で紹介した「アートにとって価値とは何か」という本の著者の三潴末雄氏のミヅマアートギャラリーに所属する売れっ子アーティストだ。
歴史と現代の時空が混在する大和絵のような劇画のような、不思議でユーモラスな空間や人物を描く。番組は、画家の独特の発想から、それを緻密なデザインによって一枚の絵に仕上げていくプロセスに注目している。

画家は自らの言葉で、製作のモチベーションをノートにメモしていた。
私が面白い(大切)と思うものを誰もそう思わない。 
そう思えるよう表してやる。それが表現。
いくつかの葛藤を経て、画家は「自分の描きたいものを描く」という画家としての原点に再帰した。自分の描きたいものとは、「私が面白い大切と思うもの」であり、描くという行為は、それを人々にも同じように思ってもらうための表現手段だ。

画家が面白い大切と思う独特の発想が形になるまでは、当然ながら人々はそれを理解することができない。その発想と人々の理解とのギャップが大きければ大きいほど、きっと画家は穏やかな表情に秘められた野心を掻き立てられている。
描き始めが一番(時間が)かかる
怖いわけですよ
描かないと宝の山ですから
可能性100%の素晴らしいものがあって
描いていくっていうのはものが出来ていくんじゃなくて
100%の可能性が90%に削られて80%に削られて
可能性がどんどん無くなっていく
可能性を無くして
そういう確定性に変えていく
その大きなギャップを埋めるための戦略を徹底的に考え抜き、表現の構想を練り上げる。そのために、実際に描く時間と同じぐらい(あるいはそれ以上)の時間を費やす。
そこまで周到に準備をしても、初めて真っ白なキャンバスに向かうときは「怖い」と感じるという。

ちょうど1年前の5月5日の、やはりNHK日曜美術館で、大江健三郎さんがフランシス・ベーコンの絵の前で次のように話した。
最初は偶然のように始った絵が1/3ぐらい出来上がると、自分の中に批評性というものが生まれる。描いている(書いている)ものが良いか悪いか、この点は良い、この後半戦はすっかり捨ててやり直さなければいけない、というような態度決定を自分に呼び起す力が、偶然から始まった絵、あるいは偶然からのように始まった小説の草稿にはある。それが僕にとっては一番面白い、小説家であることの驚き悦びに関係しています。 
100%の可能性を削っていきながら、それを確定性に変えていくと、画家自身も初めて自分の表現を体験することになる。画家自身に批評性が生まれ、否が応でもその「構想」が正しかったかを自ら評価することになる。それを「怖い」と感じるのだと思う。

画家にとっては表現の技術は問題にならない。自分の発想を表現という形にする「構想」が、そのスケールや独自性や説得性において画家自身のイメージのレベルに達していたのか。自分自身を誤魔化すわけにはいかない。確定しつつある形が、その代償となった真っ白なキャンバスが持っていた可能性に価するものになっているか。

番組のナレーターが次のように言った。
独りよがりの思いから生まれた絵が見るものの胸を打つ
アートに限らず、それまでになかった新しいモノを創り出すということは、「独りよがりの思い」あるいは「独特の発想」から始まる。それを「独りよがり」で終わらせずに、人々の胸を打つ表現という形にするには、自らに生まれる批評性というものが必要だと思う。しかし、それは決して「見るもの」への媚びではない。

その表現を見るものの側に立つと、その表現しようとするものの独自性に胸を打たれる。その表現の独自性だけではなく、画家が表現しようとした「面白い大切と思うもの」の独自性に感動する。あるいはその表現に出会ったときに、見るもの自身も気づいていなかった潜在的な価値観が呼び覚まされ、「面白い大切と思うもの」そのものに共感するのかもしれない。

ビジネスの世界においても、それまでになかった新しいモノを創り出すためには、「私が面白い大切と思うもの」を持っていなければならない。それは起業家についても大企業で働くシリアル・イノベーターについても言えることだ。モノを創るという行為は、それを人々にも同じように思ってもらうための表現手段だ。その独特の発想が形になるまでは、当然ながら人々はそれを理解することができない。その発想と人々の理解とのギャップが大きければ大きいほど、モノとして表現することが面白くなる。(続く)

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