デザイン思考で行こう!

Life will find a way, we'll find a way technology lives.

2015年06月

ハードウェアのスタートアップを支援する中国・深センのベンチャーキャピタル(アクセラレーター)の HAXLR8R(ハクセラレーター)が公開したハードウェアスタートアップのトレンドという資料のなかに、Beware of those 12 "wares"(これら12の「ウェア」には用心しろ)というリストがのっている。その説明や例を見て、ハードウェアではないが自分にもいくつか心当たりがあって思わず苦笑いしてしまった。スタートアップだけでなく、大企業のプロダクトも例としてあげられている。

シリコンバレーでは、ソフトウェアだけでなくハードウェアのスタートアップも増えてきた。その理由として、3Dプリンターなどによる新しい試作プロセスや、中国の深センなどのグローバルな製造インフラが、起業まもないスタートアップでも利用できるようになったことがあげられる。 そして、通信技術やセンサー技術の進化によってモノのインターネット(IoT)が現実的になり、それがスタートアップのブームを加速している。

しかし、ソフトウェア(やサービス)のスタートアップ比べて、ハードウェアのスタートアップの成功事例は数が少ない。昨年、Googleに買収されたIoTのサーモスタットを作っていたNestや、IPO(新規株式公開)を果たしたGoProなど数えるほどしかない。ハードウェアのスタートアップがベンチャーキャピタルやクラウドファンディングから多額の資金調達をしたという報道も多いが、それはまだスタートアップの成功とは言えないだろう。

ハードウェアにはソフトウェアにない難しさがあり、HAXLR8Rは、多くのスタートアップが12の残念な「ウェア」に挑戦していると指摘する。そのひとつのSOLUTIONware(ソリューションウェア)は、
  • 問題を探しているソリューション(釘を探しているハンマー)
というもので、学術研究(技術シーズ)から生まれたものに多いとされている。

GoProに続いて今年の6月にIPOに成功したフィットネス・ヘルスケア機器のFitbitについてのWedge Infinityの記事(IPOを果たしたFitbit「ウェアラブル」からの発想では新しいことは生まれない )で、Apple Watchもソリューションウェアではないかと書いた。
Apple Watchは、ソリューションをつくってから問題を探しているような印象を受ける。Appleは、iPhone有りきウェアラブル有りきで、素晴らしいデザインの時計をつくった。購入者もApple Watchで解決できる問題を、無理やり見つけようとしているように見えてしまう。例えばこんなことを言っている。

「Apple Watchのおかげて、頻繁に通知が届くたびにポケットからiPhoneを取り出さなくて済む」

Apple Watchが解決しようとする問題は、いったい何なのだろうか。
ソリューションウェアと呼ばれないソリューション・ハードウェアを作るには、作り始める前にニーズとシーズそしてチャンスの3つを明確に定義する必要がある。
needs
例えば、Fitbitは次のようなものだろう。
  • ニーズ:健康(肥満)
  • シーズ:センサー技術の発達
  • チャンス:スマートフォンの普及と健康ブーム
GoProはこうだったと思う。
  • ニーズ:サーフィン中のすごい映像を撮りたい
  • シーズ:デジタルカメラの技術を利用できる
  • チャンス:中国のEMSやサプライチェーンが利用できる
    SNSやYouTubeが普及しマーケティングに活用できる
これら3つを考える、あるいは思いつく順序はまちまちだろう。そして、その3つがそろう前、もしかすると一番初めにソリューションのアイデアを思いつくことも多いだろう。逆にソリューションのイメージがまったくなければ、3つを考えることはできないかもしれない。

しかし、シーズやチャンスだけからソリューションをつくってはいけない。ソリューションウェアの場合は次の図のようになる。
solution
ニーズは「問題」あるいは、このブログでたびたび取り上げてきた「潜在ニーズ」と同義だ。FitbitやGoProが解決しようとする問題は明快で理解しやすい。しかし、その問題(ニーズ)が顕在化していない、人々がその問題に気づいていないこともある。
  • ニーズ:すべての音楽を持っていきたい
  • シーズ:クリックホイールとiTunes(PC/Macソフトウェア)
  • チャンス:インターネットからの音楽ダウンロード販売が現実的になった
iPodが発売されるまでは、人々は音楽CDを持ち歩いていた(日本の場合はCDからダビングしたMDだった)。iPodが発売された後も、このニーズが顕在化するまでに3年かかった。しかし、スティーブ・ジョブズは、はじめからiPodが解決しようとする問題を明確に伝えていた。

 Apple Watchが解決しようとする問題は、いったい何なのだろうか。
  • ニーズ:
  • シーズ:各種センサー技術と拡張性のある通信技術BLE
  • チャンス:市場のウェアラブルへの興味と期待
すでにiOSというプラットホームには、アプリケーションを提供しようとするベンダーが数多く存在するということをチャンスとして追加すべきだろう。彼らが、Apple Watchが探している問題(ニーズ)を見つけてくれるかもしれない。しかし、それはAppleだから期待できることだ。

12の残念な「ウェア」は、ハードウェアスタートアップのトレンドという資料の127ページ(全192ページ)からリストされている。あなたのプロダクトが、残念な「ウェア」になっていないか、もういちど客観的に見直してみてはどうだろうか。

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6月にフィットネス・ヘルスケア機器メーカーのFitbit(フィットビット)がIPO(新規株式公開)を実施し、その公開初日から株価が急騰している。
 

2013年にリストバンド型のいわゆるフィットネス・トラッカー(活動量計)を発売し、 2014年には心拍計を備えたモデルを追加して売り上げを伸ばし1090万台を出荷している。売り上げの伸びも凄いが、その粗利率(48%)の高さも驚きだ。やはりハードウェア企業のIPOは、その企業価値が明快で見ているだけでも気持ちがいい。


IPOを果たしたFitbit「ウェアラブル」からの発想では新しいことは生まれない (Wedge Infinity)
 

いまやその売り上げ規模が、GoogleやAmazonやMicrosoftなどの名だたるIT企業の2倍以上となったAppleは、その7割をiPhoneが占める。もはやiPodやiPhoneのように外の敵に対して破壊的なイノベーションを仕掛けるのではなく、インクリメンタルなイノベーションによって、iPhoneビジネスをさらに成長させる戦略に転換したようだ。Appleといえども自己破壊は難しい(イノベーションのジレンマ)。

時計も、音楽もiPhoneのため
Appleの独占に穴を空ける蟻は出るか?
(Wedge Infinity)
 

かつて、ソニーやホンダのように多くの革新的な製品を生み出してきた日本の製造業から、イノベーションが生まれなくなってしまったと言われはじめて久しい。そこにはいまでも多くの優秀なエンジニアやデザイナーそしてマーケッターがいて、彼らは技術に精通し、顧客の抱えている問題を分析して把握し、市場のニーズやトレンドを十分に理解している。

しかし、きっと新しいものを生み出すための何かが欠けている。その何かはiPodやiPhoneを生み出したスティーブ・ジョブズが持っていたアーティストのような、新しいものを創造しようとする使命感とモチベーションかもしれない。

アートにとっての価値は新しいものを生み出す意欲と使命感だ(Wedge Infinity)

 

「イノベーションの風を読む」というタイトルで新しく連載を始めたWedge Infinityでの最初の記事(Googleフォトがもたらすデジカメの終焉)には多くのアクセスをいただいたようだ。

ちょっとセンセーショナルなタイトルに耳目を集めてしまったようだが、書きたかったことは最後の部分だ。
音楽や写真や本や映像、そして(もしかするとゲームや)コミュニケーションは、人々の生活になくてはならないものだ。技術やインフラの進歩によって、その楽しみ方(HOW)は変化していくが、人々の基本的なニーズは変わらない。目の前で実現されているHOWを忘れて、その基本的なニーズに立ち戻って考えるSJのような人がいる。そのとき利用可能な技術やインフラや社会的な制約を無視して新しいHOWを追い求め、空想のような妄想のようなアイデアを突き詰めていく。そんな取り組みの中から、人々が考えもしなかった新しい体験が生まれてきた。
スマートフォンによって、コンパクト・デジタルカメラは以前のようには売れなくなってしまった。いくつかのプレーヤーはデジタルカメラ事業からの撤退を余儀なくされるだろう。そして、残ったごく少数の企業が、市場に残存する利益を得ていくという構図が残る。それは、技術やインフラの進歩によるビジネスとしての自然な流れではある。

多くの人々はそれに流されてしまうだろうが、果たしてそれでいいのだろうか。

フィルムカメラの時代は、撮影した数日後に現像されプリントされた写真を受け取って、ワクワクしながら袋を開いたものだった。撮影するときも、フィルムの残りの枚数を気にしながら、ここぞというときにシャッターを押した。

デジタルカメラになって、残りの枚数やフィルム代や現像料金も気にする必要がなくなった。電池とメモリーの続く限りいくらでも撮って、パソコンのハードディスクに保管しておけばいい。しかし、せっかく父親の撮った家族の写真や子供の成長記録などの写真は、そのままハードディスクに埋もれてしまっている。家族のために面倒な作業を厭わない父親を持った数少ない幸せな場合を除いて、多くの場合は母親や子供がそれらを見ることが難しくなってしまった。残念ながら、父親はいつかはいなくなってしまう。そのとき、家族の大切な思い出や、自分の幼い頃の写真が失われてしまうという事態が起きる。

人々がデジタルカメラを使うようになって、10年ちょっとしか経っていない。まだ問題は表面化していないのかもしれないが、これからそんなことが当たり前に起こるように思う。VHSのビデオテープの中の思い出が再生できなくなってしまったときのように、人々はそれを諦めてしまうのだろうか。

フィルム時代でも、家族や自分の思い出の写真が集まったアルバムを開くことは滅多になかったかもしれない。しかし、何かのきっかけで見たいと思ったとき、本棚や押入れの中からアルバムを取り出すことができた。もしかすると、一緒にしまわれていた父や母、そして祖父や祖母のアルバムを見つけて、古い写真から新しい発見をすることがあったかもしれない。ものぐさだった家族の遺品の中に、靴箱に無造作に押し込まれた写真を見つけて、一枚一枚取り出して見たこともあったかもしれない。これまで写真が提供してきたいろいろな体験も失われつつある。

昔のようにプリントしておくべきだなどと言うつもりは毛頭ない。技術やインフラが進歩して新しい価値が生まれたが、同時にこのような新しい問題を生み出したまま、それを誰も解決しようとしていない。これは懐古ではなく、ビジネスの大きなチャンスだと考えるべきだ。

コンパクト・デジタルカメラには、まだスマートフォンのカメラに対する優位性が残っている。強力な高倍率の光学ズームや、フラッシュがなくても薄暗いところで綺麗な写真が撮れる高感度、メカニカルシャッターを備えていることによって動きの早い被写体でも歪むことなく撮れることなど。しかし、せっかく撮った写真をPCのハードディスクに移しただけで、ゆっくり見直すことがなければ、人々はその差その価値を感じることはできない。それでは「スマートフォンで撮ればいいや」ということになってしまう。

気軽に簡単に写真が撮れるコンパクト・デジタルカメラの価値がなくなったわけではない。モノに詰め込んだ価値だけに頼ったマーケティング、すなわちグッズ・ドミナント・ロジックの限界を露呈してしまった。そして、スマートフォンのカメラという代替手段が現れるという脅威は、デジタル時代の競争戦略を考える上で、経営者が当然、予見し備えるべきことだった。
いよいよコンパクト・デジタルカメラにも終焉のときがくるのだろうか。今となっては、そう考えるほうが正しいだろう。
その結果、一眼レフとスマートフォンのカメラという選択肢しか残らないとしたら、上に挙げたような問題は解決されないまま、人々は大きな価値を失うことになる。

技術やインフラの進歩によって、写真の楽しみ方(HOW)は変化していくが、家族の写真や子供の成長記録、そして親しい友人との旅行、そんな人生の大切な思い出を写真に撮ろうとする人々の基本的なニーズは変わらない。その基本的なニーズに立ち戻って、現在あるいはちょっと先の技術やインフラで実現できる新しいHOWを見つける。それは既存のコンパクト・デジタルカメラからの足し算や引き算では導くことはできない。しかし幸いなことに、解決すべき問題はすでに見えている。

記事の更新はTwitter (@kyosukek)でお知らせします。お問い合わせやご相談は、contact に @ibornb.red をつけたアドレスまでメールでお寄せください。
川手恭輔(Internet Born & Bred)
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これまで「カメラのほんとうのイノベーションはこれからだ!」や「カメラを再発明しよう」という記事で、自動車産業以外で日本に残された数少ないコンスーマ向けの最終製品を提供する製造業のひとつであるデジタルカメラ産業に、か細い遠吠えのようなエールを送り続けてきた。「パナのDMC-CM1」は、カメラの再発明にあと一歩というところまできている。しかし、残された時間は短い。

Googleフォトがもたらすデジカメの終焉(Wedge Infinity)

 

このブログを始めてからちょうど2年、その記事がBLOGOSに転載されるようになってからもちょうど1年が経過しました。

ここでは、「デザイン思考」というテーマで、自分の取り組みの中で試行錯誤しながら実践していることをベースに、日本の製造業のイノベーションについての私なりの考えを書いてきました。ブログとしてはニッチなテーマですが、そこそこのアクセスをいただき、興味を持っていただいた方からのコンタクトも何件かいただきました。

そのご縁で、昨年は月刊誌Wedgeで「ソニーはなぜGoProを作れなかったか?」と「モノづくりの新潮流 始まったハードウェア・ルネッサンス」の2つの記事を書かせていただきました。また、いくつかの若い会社や新しい取り組みに関わるきっかけにもなりました。

今回、そのWedge社のオンラインメディアWedge Infinityで「イノベーションの風を読む」というタイトルでの連載を担当させていただくことになりました。 

そちらでも、日本の製造業のかかえる問題を中心に書いていくつもりですが、主に新しいサービスや製品にからめた記事になると思います。掲載された記事はfacebookやtwitterでお知らせし、ここでも紹介して補足なども書こうと思います。

引き続きこのブログでは、これまでのようにちょっと理屈っぽいことに加え、少し柔らかいことも書いていきたいと思います。
今後ともよろしくお願いします。
2015年 6月
川手恭輔

 
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パナソニックに続きソニーの業績回復が伝えられている。しかし、これらをはじめとした日本のコンスーマエレクトロニクス企業の構造改革による業績の回復は一時的なものだと考えるべきだ。その業績は目先の利益のための最適化を行った結果でしかなく、先の業績悪化を招いた本質的な問題は解決されていない。

デジタルコンバージェンスの時代

21世紀の産業は、まさにデジタルコンバージェンスの大きな渦の中にいる。デジタルコンバージェンスは、メディアコンバージェンスともいう。デジタル化されたコンテンツやデータを、記録し、伝達し、保管し、表示するためのメディア(媒体)が変化することによって、関連する製品やサービスの市場にイノベーションが起こる。製品がコモディティ化するスピードが速くなり、価格決定権は顧客に移る。異なるジャンルの製品によって、既存の製品の機能が代替されてしまう。その市場に多くの新しいプレーヤーが参入し、これらの変化に適応できなかった企業が姿を消す。我々は、そんなデジタル化によって起こるコンバージェンス(産業融合)のシーンをいくつも目の当たりにしてきた。

アナログレコードがデジタル化によってCDになった。iPodの出現によって、音楽はインターネットで購入してパソコンにダウンロードするものになった。そしてWalkmanに取って代わったはずのiPodですら、iPhoneのアプリケーションのひとつとなって形のないソフトウェアになってしまった。しばらくすると音楽は購入して所有するのではなく、月々の料金を払って好きな曲を選んで聞くものになる。

100年以上続いたフィルムの時代が、デジタルカメラの出現によって終焉を迎えたのは2002年ごろだった。iPhone単独の販売台数がコンパクト・デジタルカメラのそれを上回ったのはその10年後だ。そのときすでに下降線であったコンパクト・デジタルカメラの販売台数は、2014年には3000万台を切るところまで落ち込んでしまった。間もなく、デジタルカメラにも終焉の時がくるのだろうか。

家庭用テレビに配信されていた映像コンテンツも、デジタル化されることによってインターネットを経由してパソコンやスマートフォンにオンデマンドで配信することができるようになった。さらにYouTubeなどで消費者も映像コンテンツを発信するようになり、映像のビジネスモデルにも大きな変化が始まっている。

このように、いったんデジタルコンバージェンスが起きた市場はさらに流動的になる。特にコンスーマエレクトロニクス産業の市場のように、その技術の進歩のスピードが劇的に早くなり、不確実性が非常に高くなってしまった競争環境においては、事業のバリューチェーンの戦略を大きく見直す必要がある。 

バリューチェーンからバリューネットワークへ

音楽、写真、映像などのコンスーマエレクトロニクスの市場で起こった最初のデジタルコンバージェンスに対応し生き残ることができた日本企業は、そのステージにおける競争環境がアナログ時代と同様に安定したものであり、そこで長期的な競争優位を築けるものだと考えてしまった。そしてバリューチェーンから得られる利益を最大化するための垂直統合をすすめ、特に調達購買、生産、流通といったスマイルカーブの最も落ち込んだ部分に多大の投資を行った。

バリューチェーンとは、企業が製品の顧客価値を積み上げてゆくプロセスを示したものだ。下の図は、マイケル・ポーターの「競争優位の戦略」で紹介されているバリューチェーンの考え方を、一般的な製造業にあてはめた例だ(実際にはこれらの活動を支援するための間接的な事業活動も含まれる)。

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一般的な製造業のバリューチェイン

前述のように日本のコンスーマーエレクトロニクス産業の多くは、このバリューチェーンの「調達・購買」から「流通」までのモノの供給部分、いわゆるサプライチェーンを自前で構築し最適化してきた。自社製品の販売が好調で造れば売れるような幸せなときは、自前のサプライチェーンは最適化がしやすく、そこから生まれる利益を徹底的に絞り出すことができる。 

しかし、中国のEMS(電子機器委託製造)などのグローバルな製造インフラが、複数の企業や異なるジャンルの製品を製造するようになると、自社製品を造っているだけの自前のサプライチェーンは、規模の差でコスト面で太刀打ちできなくなった。さらに、市場が縮小したり製品のコモディティ化による価格だけの競争が始まると、バリューチェーン全体がガタガタになってしまった。

Appleは自社の経営リソースを「商品企画」「設計」といったバリューチェーンの上流と、顧客とのタッチポイントである「販売」「保守」をオンライン/オフラインのアップルストアに選択・集中した。しかし「調達・購買」から「流通」までのモノの供給部分についても、製品のコストを下げてバリューを最大化するためにAppleが深く関与している。しかし、Appleにバリューチェーンというフレームワークを当てはめてみること自体がナンセンスなのかもしれない。例えば、iPhoneの価値はAppleが提供する最終製品だけではないことは明らかだ。

日本のコンスーマーエレクトロニクス産業の構造改革は、そのバリューチェーンのフレームワーク自体には手をつけずに、そこから利益を絞り出すために、規模の縮小や徹底的な無駄の排除を行っている。その結果、たとえ製品の販売数量は増えなくても利益率は向上する。円安効果もあって目先の業績は回復し、経営陣が胸を張ることはできる。しかし、目先の利益に最適化した柔軟性のないバリューチェーンでは、次の変化に対応することはできない。

図でもわかるように、バリューチェーンとはバケツリレーのように製品に価値を付加していくモデルだ。しかしデジタルコンバージェンスの時代には、iPhoneの例のように、メーカーが提供する最終製品だけでは顧客価値を実現することはできない。コンテンツやサービスが組み合わされて初めて価値が実現できる。その実現のしくみはバケツリレーではなく、多くの点と点を結んだネットワークのようなイメージになる。そのネットワークの中で、どの点(ノード)に経営資源を集中するか、そして変化に応じて他者のノードとのダイナミックな接続・切断をどのように行うかということがデジタルコンバージェンスの時代に重要な競争戦略となる。同時に、これまでのモノに価値を詰め込むグッズ・ドミナント・ロジックから、コンテンツやサービス側から提供価値を考えるサービス・ドミナント・ロジックへ、その商品戦略を転換していく必要がある。

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