クリステンセンは、イノベーションを引き起こした技術革新が連続的であるか否かによってインクリメンタルとラディカルに分類するそれまでのイノベーション分類に対し、既存の有力企業(の事業)が存続可能か否かという視点で、そのイノベーションに対応して存続可能なものを持続的イノベーション "Sustaining Innovation"、対応が困難で存続が不可能なものを破壊的イノベーション "Destructive Innovation" とする独自の分類をしている。それらは2つの技術革新とは独立して考えるべきで、次のようなマトリックスで表すことができるとしている。
innovation matrix

イノベーションはこの4つの象限に分類されるとし、「イノベーションのジレンマ」で次のようなことを言っている。

「持続的イノベーション」に最適化された組織では「破壊的イノベーション」を起こすことができず、やがて他者によって起こされた「破壊的イノベーション」によって事業が衰退してしまう。

CCDなどのセンサーという発明によって、カメラがデジタルになるというラディカルな技術のイノベーションが写真産業に起こった。フィルム時代の写真産業の有力なプレイヤーのうち、カメラメーカーの多くは製品のデジタル化に成功したが、フィルムの製造販売や現像とプリントサービス(DPE)を生業にするプレイヤー(フィルムメーカー)にとっては破壊的イノベーションになってしまった。
なぜフィルム時代に最適化された組織すなわちバリューネットワークを構築していたカメラメーカーが、このラディカルなイノベーションに対応し存続することができたのだろうか。カメラメーカーはクリステンセンの第2象限の実例を示したようにも見えるが、カメラメーカーとフィルムメーカーの明暗はクリステンセンの指摘する「最適化された組織の問題」を単純にあてはめただけでは説明がつかない。
 
CCDを利用したデジタルカメラは1995年ごろにカメラメーカーでないカシオから(QV10が)発売されていた(実はその前の年にAppleがQuickTakeというMac専用のデジタルカメラを発売したことを知っている人は少ないかもしれない)。最初はコンピュータへの画像入力デバイスというニッチな存在でしかなく、それがカメラとしてフィルムをベースにした写真産業のエコシステムを破壊し始めるのは2000年になってからだ。画像の記録媒体と記憶媒体がフィルムとDPEから、センサーとシリコンメモリーに変化するという不連続(ラディカル)な技術のイノベーションが起きてから、製品やビジネスモデルのイノベーションが始まるまで5年以上かかっている。センサーなどのデバイスのコストダウンや性能の向上にそれだけの時間が必要だった。その間にカメラメーカーはラディカルな技術イノベーションに対応することができた。逆に電機メーカーなどの異業種からの新規参入組も、レンズやオートフォーカスなどのカメラに必要な技術を取り込むための時間が必要だった。そしてカメラメーカーは2000年に新規参入組と同じスタートラインに立つことができた。
カメラメーカーが自らイノベーションを起こしたのではなく、他者によって仕掛けられたイノベーションに、そのバリューネットワークを対応させることができたといえると思う。

フィルム時代の写真産業は、まさにフィルムを中心とした巨大なエコシステムを形成していた。フィルムメーカーはその中心にいて、川下のDPEサービスを含めて市場の70%以上の利益を独占していた。そのフィルムそのものがバリューを失ってしまったのだから、フィルムメーカーはフィルムメーカーとして生き残ることはできない。フィルム関連事業が破壊されても企業として存続するには、保有する技術やその他の経営資源をつかって新規事業領域に活路を見出すほかに道はなかった。
これはカメラメーカーとフィルムメーカーのバリューネットワークの違いによるものだ。バリューネットワークとは、その企業(事業)が提供するバリューと、それを可能にするために最適化されたプロセスとリソースのネットワークをいう。両者の違いはそのバリューだ。カメラメーカーが提供するバリューは「写真を撮る」すなわちレンズによって画像を結像させてフィルムに記録することであり、フィルムメーカーの提供するバリューは、そのフィルムを提供し画像が記録されたフィルムを現像しプリントして「写真」として完成させるということだ。カメラメーカーにとっては「フィルムに記録する」を「センサーに記録しメモリーに記憶させる」に変える対応ができれば、事業が提供している「写真を撮る」という基本的なバリューを保つことができる。もちろん取り組むべき技術の壁は非常に大きかったが、上述のように5年という猶予もありバリューネットワークの一部を変更することで事業の存続が可能だった。さらにバリューネットワークを強化することによって、フィルムメーカーに代わって写真産業の中心となって事業規模を数倍に拡大することに成功した。
一方でフィルムメーカーは、そのバリューネットワークの起点となるフィルムそのものが消失するという事態に、フィルム事業のバリューネットワークが破壊されてしまった。もしフィルムメーカーがフィルム関連事業しか持たず、そのバリューネットワークに固執してしまい。別の新しいバリューネットワークを構築するという取り組みを怠っていたならば、その企業自体の存続も不可能だっただろう。
 
いったんデジタルコンバージェンスが起きると、その市場は流動的になり参入障壁も低くなるため、それ以前のように安定したバリューネットワークを構築し維持することが難しくなる。逆にバリューネットワークをフレキシブルなものにして技術やインフラの進歩・変化や顧客のニーズの変化に対応できるようにする必要がある。それはその市場において技術やインフラのイノベーションが継続的に起きるようになるからだ。
しかし、コンバージェンス後の市場における競争優位を勝ち取るためには、競合他社に先駆けて強固なバリューネットワークを構築しなければならないのも事実だ。次のイノベーションの前に目の前の競争に敗れてしまう訳にはいかない。実際に、いったんはイノベーションに成功したにもかかわらず、デジタル時代に適合したバリューネットワークを構築することができずに撤退や事業売却するカメラーメーカー(や新規に参入した電機メーカー)が相次いだ。
クリステンセンのイノベーションのジレンマは、安定した強固なバリューネットワークを持つ企業に生じるものであったが、デジタル時代においては、経営者はそもそも安定した強固なバリューネットワークというものを構築すべきか否かという判断を迫られている。フィルムのエコシステムは100年以上にわたって多くの企業に利益をもたらしたが、フィルムメーカーに代わって写真産業の頂点に立ったカメラーメーカーの業績は10年そこそこで陰りが見え始めている。

前述のようにカメラメーカーが提供するバリューは「写真を撮る」というものだ。その「写真を撮る」というバリューを別の形で提供しようとする者が現れた。スマートフォン(のカメラ)だ。 その原点は2000年にソフトバンクモバイル(開始当時はJ-フォン)から発売されたカメラ付携帯電話だ。 やはり10年という長い時間がかかったがカメラ付携帯がスマートフォンという形に変わり、技術のインクリメンタルなイノベーションによって画質も向上しカメラメーカーの提供する「写真を撮る」というバリューを脅かすに至った。しかし、そのアドバンテージのひとつは、クラウドというラディカルなイノベーションとソーシャルネットワークサービスの出現によって、これまでの記録と記憶(保存)媒体に加え、新たに共有という媒体がスマートフォンのカメラのバリューネットワークに組み込まれたことだ。これが写真を撮ることから始まるまったく新しい体験として人々のコミットメントを獲得した。さらにもうひとつのアドバンテージは、スマートフォンのカメラはいつでも傍にあるということだ。人々はカメラを意識して携帯していなくても、スマートフォンは常時携帯している。その結果、スマートフォンのカメラは写真を撮りたいと思ったときにいつでも傍にあるという価値を提供している。

フィルム時代、人々はフィルムを購入しそれをカメラに入れて撮影した後はDEPサービスを利用して「写真」を完成させていた。そしてデジタル化された写真においてもカメラメーカーは「写真を撮った後」に関与することなく「写真を撮る」というバリューの提供を独占し、そのバリューネットワークを「写真を撮る」というバリューに特化させて事業を存続し拡大してきた。 次はカメラメーカーが自らイノベーションをしなければならない。もちろん、写真産業の外に活路を求めてまったく別のバリューネットワークを構築するというのではなく、写真産業においてカメラメーカーが提供するバリュー自体を再定義し、それに基づいたバリューネットワークを再構築することを意味している。

そもそも「デザイン思考」とは何なのか?簡単に言えば、“人々の生活や価値観を深く洞察し、ユーザーが何を潜在的に求めているのかを感知しながら、プロトタイピングを通じて、新しいユーザー体験を提供するイノベーション・プロセス”である。

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川手恭輔(Internet Born & Bred)