アイデアはどうしたら思いつくことができるのか。スタンフォード大学の有名なd.school (Institute of Design at Stanford)が提供しているデザイン思考のガイドブック"bootcamp bootleg"に次のように書かれている。
Brainstorming is a great way to come up with a lot of ideas that you would not be able to generate by just sitting down with a pen and paper.

ブレーンストーミングは多くのアイデアを思いつくための素晴らしい方法だ。ペンと紙で机に向かうだけでアイデアを思いつくことはできない。
このガイドブックはブレーンストーミングだけでなく、デザイン思考のための多くのツール(方法論)が紹介されていて非常に面白い。しかし、ひねくれ者はどうしてもブレーンストーミングが苦手だ。それよりもこっちのほうがいい。


残念ながら、Friskを噛むことはアイデアを思いつくための必要条件であっても十分条件ではない。やはり、その前にペンと紙で机に向かう必要がある。これはブレーンストーミングに臨むにあたっても(最低限のマナーとして)必要なことだ。
(素晴らしい)アイデアをどうしたら思いつくことができるのかという問いに答えはない。しかし、そのギリギリのところまで行く方法はある。そして(非常に稀にではあるが)ブレーンストーミングをしたりFriskを噛むことがきっかけになって、素晴らしいアイデアをポロっと思いつく。あるいはセレンディピティという能力によって。だからペンと紙で机に向かって、そのギリギリのところまでは煮詰まっておこう
 
前回と前々回の記事でモノのリマスタリングを行うために、そのモノに関連する情報やコンテンツを洗い出すことについて書いた。そしていろいろな「新しいユーザー体験」を描いてみることに取り掛かる。
モノに関連する情報やコンテンツをインターネットというインフラとその周辺の技術やサービスで扱うことによって可能になる新しいユーザー体験をいくつも描いてみると、きっと顧客(とあなた)が諦めていたことが見えてくる。(前回記事から)
iPodの創り方(1)(2)で、Walkmanという実現モデルのユーザーの行動観察から「どこででもその場で選んだ音楽を聴きたい」という潜在ニーズを導き、その実現モデルとしてのiTunes/iPodについて考察した。そしてブッシュネルの言葉を紹介し、そろそろ誰かが次のiPodを発明してもいい頃だと書いた。
"I actually think iPhone was actually an exchange of iPod ecology."
それも念頭に置いて、モノに関連する情報やコンテンツをインターネットというインフラとその周辺の技術やサービスで扱うことによって可能になる新しいユーザ体験という観点で、もういちどWalkmanからiPodへの変革を見直してみよう。

CD Walmanの場合、コンテンツ(音楽)はミュージックショップで売られており、それを購入しCD Walkmanで音楽を聴くという流れであった。
walkman_org
iPodはこのコンテンツの流れに着目し、iTunesというパソコンのアプリケーションソフトウェアを介在させることによって、コンテンツを提供するサービスからコンテンツを消費するデバイスまでのエンドツーエンドのビジネスモデルを構築し、音楽産業にデジタルコンバージェンスを起こした。音楽というコンテンツの流れを変えることによって新しいユーザー体験を創出した。
iPodで再生中の曲をいいなと思った時、Geniusプレイリストというメニューを選択すると、iPodの中のその曲と同じ傾向の曲が集められたプレイリストが自動的に作成される。全世界のiPodのユーザーが作成したプレイリストの情報が集められたデータベースから生成されたアルゴリズムによって、そのユーザーのiPodの中を分析した結果によって作成されたものだ。iPodのユーザーのプレイリストを作成するという行動の情報を活用して、モノの経験価値を向上させた例だ。なにしろ1,000曲(今ではその数倍)を持ち歩くことができるという価値を最大化するには、単にユーザーが思いついた曲を探して聴けるというだけでは不十分だ。クリックホイールやシャッフルなどの新しいユーザーインタフェースが必要になる。
iPod_org
しかし、Apple(ジョブズ)はソーシャルが苦手だ。あるいは、プロダクト志向の会社(人間)だ。もちろん、常に1,000曲の音楽をポケットに入れて携行することができて、素晴らしいユーザーインターフェイスによって「どこででもその場で選んだ音楽を聴くことができる」iPodという画期的なプロダクトにケチをつけるつもりはまったくない。
CD Walkmanの時代の人々の行動を簡単にいえば、ミュージックショップで音楽CDを購入し、外出するときに持っていくCDを選び、そのCDの音楽を聴くというものだ。そしてその行動に関連する情報として考えられるものは、たとえば購入時にはどんなCDを買ったか、それをどこで買ったかなどであり、音楽を聴いた時には何を聴いたか、それをどう感じたかなどである。
walkman
音楽CDの購入のきっかけや、何を買うかについて参考にする情報は、TVやラジオの音楽番組や、雑誌や友達との会話(口コミ)、そしてぶらっと立ち寄ったミュージックショップ店頭から得ることが多かっただろう。ソーシャルサービス全盛の今となってはあたりまえだが、音楽の趣味嗜好をよく知っている親しい友人の音楽に関連する上述のような情報は、CDを購入したり聴く音楽を選ぶ行動に大きな影響を与える。そしてミュージックプレイヤーはその多くの情報を取得できるほどユーザーの身近にある。これは単にコンテンツ(音楽)ビジネスの売り上げに貢献するというだけでなく、ユーザーにとっても音楽を楽しむための有益な情報になるに違いない。iTMSとiPodのエンドツーエンドのビジネスモデルに、この情報の流れを組み込むことができれば、そのモデルをより強化することができるだろう。この情報の伝え方、共有の仕方をいろいろ考えてみる。どんなタイミングでどんな情報を伝えられたら、どんな価値が生まれるか。ここまではペンと紙で机に向かっていくらでも考えることができる。
すでにCDという物理メディアの購入からデジタルデータの購入への変化によって、音楽を所有するという概念が希薄になっている。ストリーミングによって音楽を聴くいう考え方も市場に受け入れられつつある。ユーザーにとってどちらが便利かという観点での戦いになる。コンテンの流れ方もさらに変化させることも並行して考えなければならない。誰もが誰の仲介も必要としないで自分の音楽を販売することができるようになるだろう。その場を提供するサービスもいろいろな可能性がある。

iTunes Storeのようなデジタル音楽配信サービスが成長する一方で、CDという物理メディアによる音楽の販売は急激に落ち込んだ。日本の場合はアイドルの同じCDを(音楽を聴く以外の目的で)ひとりで複数枚購入するというビックリマンチョコと同じ特殊なビジネスモデルが生まれたために、統計的にはCDの売り上げ規模が維持されているように見えるが実態は違うだろう。デジタル音楽配信サービスによって、単に購入する音楽のメディアが変化しただけでなく、それまでアルバムというまとまった形での音楽の販売が楽曲ごとのばら売りという形に変わってしまった。前にも書いたように、いったんある市場にデジタルコンバージェンスが起こると、その市場は不安定になり次のコンバージェンスが起こりやすくなる。

iTunes Storeの楽曲販売の売り上げに、Spotifyというスウェーデンの音楽ストリーミングサービスがせまってきている。2006年に始まったこのサービスは、音楽を購入するのではなく月額9.9ドルの定額(広告付き無料有り)で聴き放題というモデルを提供する。
SpotifyのiPodに対するアドバンテージは2つある。 
ひとつはiPodは、iPodというハードウェアとiPhoneのアプリ(ミュージック)という限られた環境だけのしくみであるのに対して、SpotifyはiOS、Android、Windows Phone、Blackberry、Symbian向けのアプリが用意され、PCのブラウザにも対応しているほか、オーディオ機器やゲーム機などにもビルトインされていることだ。
もうひとつはSpoifyはFacebookとOpenGraph連携しており、毎月20億ものユーザーの音楽行動がFacebookに投稿されていること。これがどの程度、Facebookの友人の音楽行動に影響を与えているかが非常に興味深い。Apple(ジョブズ)は2010年に鳴り物入りで音楽関連のソーシャルネットPingを始めたが、Facebook連携が不調に終わったこともあって利用者が増えずにすでに閉鎖されてしまっている。

そろそろ誰かが次のiPodを発明してもいい頃だと書いたが、それを行うことができるのはきっとAppleかSonyだろう。そしてそれはiPhoneやAndroidの1つのアプリではなく、iPodやWalkmanという専用のミュージックプレイヤーをリマスタリングすることによって可能になるのではないかと僕は考えている。きっとモノに関連する情報やコンテンツを洗い出し、その流れを変えることによって、だれも思いつかなかったあたらしい価値を生み出すことができないかと取り組んでいると思う。そしてそのアイデアは何かをきっかけにポロっと生まれる。

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