では、ここまでの人間不在デザインを人間中心デザインに転換しよう。
 
HCDでは、まず解決すべき問題を設定し、ユーザー調査とニーズ分析によってユーザーの行動と感情を理解し、設定した問題の原因やユーザーのニーズを発見してからデザインのコンセプトをまとめる。前回紹介したISOで規定されている「人間中心設計(HCD)プロセス」のステップ(とメソッド)は次のように図示できる。
hcd-step
この場合最初の取り組みは、現在の製品やサービスのユーザーの利用状況の理解と明示ということになる。
Tom Kelleyによる"The Art of Innovation: Success Through Innovation the IDEO Way"の中で、IDEOで実施されているデザイン思考のプロセスの5つのステップにおける「利用状況の理解と明示」に相当する取り組みは次のように説明されている。
現実の生活における人々を観察し、何が人々を行動させるのか、さらに何が人々を混乱させるのか、人々は何を好み何を嫌うのか、現在提供されている製品やサービスでは満たされていない潜在ニーズがどこにあるかを探し出す。
これらのアプローチに対して、ここまでのモノのリマスタリングでは、まず「モノに関する情報やコンテンツをインターネットで扱うことによって可能になる「新しいユーザー体験」を描くという、ドメインエキスパートや技術者の思い込みによる完全に人間不在の取り組みから始めている。
  1. モノに関連する情報やコンテンツをインターネットで扱うことによって可能になる「新しいユーザー体験」を描く
  2. バリュープロポジションを定義する
  3. それを実現する製品「ハード」「ソフト」「サービス」を再定義する 
この最初のステップは、さらに次のように細分化する。
dr-step
「コンテンツ・情報の流れの分析・検討」はすでに説明した。そしてFriskを噛んで新しいユーザー体験のアイデアを思いついたら、そのアイデアを視覚化する。
IDEOデザイン思考のプロセスの3番目のステップは次のように説明されている。
それまでになかった新しいコンセプトとそれを使うであろう顧客を視覚化する。 一部の人々は、このステップを未来を予測することだと考えている。そしてこのプロセスの中で最もブレインストーミングを必要とするフェーズである。視覚化はコンピュータを使った演出やシュミレーションの形式をとることが非常に多いが、IDEOでは毎年数千もの模型やプロトタイプも作成されている。新しい製品のカテゴリーの場合は、合成したキャラクターと、ストーリーボードに図で描いたシナリオを使ってユーザー体験を視覚化したりする。場合によっては、まだ存在しない未来の製品が提供されたときの生活をビデオにしたりもする。
ここではコンセプトを「戦略マップ」と「ユーザーストーリー」によって視覚化する(戦略マップについては次回以降に説明する)。
視覚化することは、プロジェクトチームにおいてコンセプトを共通の理解として共有しやすくするという狙いもあるが、IDEOの場合はコンセプトをクライアントに説明(プレゼン)するためのマテリアルであるとも考えられ、その目的に合った表現方法が採られているようだ。ここではまず、HCDのプロセスの「利用者と組織の要求事項の明示」という2番目のステップで用いられているペルソナ/シナリオ法を用いて「まだ存在しない未来の製品が提供されたときの生活」というユーザーストーリーを文章で描いてみよう。すでに製品の機能のイメージはできているかもしれないが、その機能を説明するのではなく、それによって可能になることを書く。たとえばiPodのクリックホイールを例にすると、「親指で円を描くだけでタイトルをスクロールさせて音楽を探すことができる」というのではなく、「片手だけで1000曲の中から好きな音楽をあっという間に選べる」という感じにだ。あるいは最初はクリックホイールというアイデアがまだないときは、「1000曲を持ち歩けばいつでも好きな音楽が聴ける」でいいかもしれない。
この最初のユーザーストーリーを文章で書く目的のひとつは「新しいユーザー体験を描くことの意義」で書いたように、プロジェクトのメンバーで最初に思いついたアイデアを、シナリオを描く過程での気づきで膨らませたり、いろいろなペルソナやユースケースにおいても価値があるかを確認することだ。

そして、この最初のユーザーストーリー、すなわち「まだ存在しない未来の製品が提供されたときの生活」について書いたストーリーをいろいろな人に読んでもらってコメントをもらう。
問題あるいはニーズには、それを解決する(満たす)モノが現れて初めて顕在化するものがある。それまで潜在的なニーズというものは存在しない。それまでになかった新しいコンセプトの製品(モノ)が現れてから、あたかも潜在していたニーズが顕在化したように見えるだけだ。このようなケースでは、「人間中心設計プロセス」のプロセスの「現在の製品やサービスのユーザーの利用状況の理解と明示」からという取り組みは難しい。
そこで、未来の製品やサービスのユーザーの利用状況を現在の人々に見てもらって、自分の「潜在ニーズ」に気づくかどうか試してみようということだ。以前の記事で「共感アンケート」と言ったが、LTF(ルック・トゥ・ザ・フューチャー)と呼ぶことにした。LTFアンケート、LTFインタビューなどと。
LTF
これはリーンスタートアップで提唱されているMVP(Minimum Viable Product:仮説の検証に必要な最低限の機能を持った製品)と同じようにも思えるがLTFはプロダクトではない。MVPもちゃんとした製品やサービスの形をとらなくてもその一部であったり、その機能を表す何か、たとえばペーパーモックやビデオであったりする。LTFは製品やサービスの説明をするものではない。それが提供されたときの人々の生活を表したものだ。そのストーリーを読んでもらい、そこからプロジェクトで狙いをつけた潜在的なニーズを顕在化させる製品やサービスについての気づきやヒントを得ようというのだ。アンケートやインタビューの方法は、HCDやリーンシリーズの書籍に書かれている方法と同様だ。製品やサービスに対する回答者の質問に答えたり、LTFに書いていない情報を提供したり、アイデアの弁護や誘導を行わないようにする。その人の現在の状況と比較してコメントや感想を自由に書いてもらう。

アンケートを前提にすると、模倣されると困るようなことを書くことはできない。しかし、読み手にとってあまりにも抽象的すぎたり理解しにくいものであると、価値のあるコメントが得られなくなりアンケートの意味がなくなってしまう。
インテルのフューチャリスト(未来研究員)によるSFプロトタイプも「その技術は未来にどのように具体的に用いられ、未来の生活として展開していくかを書く」というLTFと同様のものだが、これは社内の技術者が読むために書かれるので技術やアイデアが外部に漏れることはない。ストーリーを描く前にどのような人たちにアンケートに答えてもらうかも考えなければならない。アンケートのバージョンは「片手だけで1000曲の中から好きな音楽をあっという間に選べる」よりは「1000曲を持ち歩けばいつでも好きな音楽が聴ける」のほうがいいだろう。アンケートに「1000曲から音楽をどう探すんだ?」という疑問が帰ってくるかもしれない。あえて抽象化したつもりのない部分にも、同様の疑問や指摘がされるだろう。それらは、技術的に解決したりUX/UIで挑戦したりしなければならない課題なのかもしれない。どのようなコメントであれ、その奥に潜んでいる人々の思いに共感し、コンセプトや想定している機能などと照らし合わせてみる価値がある。この共感はHCDなどでも言われているように、Sympathy(同情)ではなくEmphathy(感情移入)のほうの意味で、アンケートに答えてくれた人になりきってなぜそのようなコメントをしたのかを考えようということだ。問題やニーズを引き出すためや、提供しようとしている体験に価値を感じるかどうかを知るために、とくにコメントをほしい部分に下線をひいたりしてもいい。しかし、そうでないところに多くのコメントが付いたりもする。
これは、実際にやってみると思った以上に面白いはずだ。

考えている製品やサービスによって、ユーザーストーリーのスケールが異なるだろうが、複数のペルソナについて異なったシナリオを描いたほうがいいだろう。1つの方法だが、4人のペルソナに登場してもらい、新しい製品やザービスの価値を伝えるための起承転結となるストーリー構成を考える。最初のペルソナには「問題提起」をしてもらう。もちろん、未来の世界ではその問題は解決されているのだから、その解決された生活を強調して描いて読み手の現在の生活とのギャップを感じて問題に気づいてもらうようにする。
例えば、なにかのきっかけで聴きたくなった曲をすぐに探して聴いているというシーンを描いて、数枚のCDを持ち歩いている現在とのギャップを感じてもらう。気持ちがすぐに変わってどんどん別の曲を探すなどの状況もいいかもしれない。次のペルソナには、1000曲あるはそれ以上の大量の音楽を持ち歩けることによって可能になる体験をいろいろな角度から描き、ペルソナの感じた気持ちすなわち価値を表現する。「転」では、シャッフルなどの機能をイメージして忘れていた音楽との思いがけない出会い、それによっていろいろなことを思い出して、その頃の曲をたどってしまう。要するにコンテンツ(音楽)自体が持つ価値を新しい製品やサービスで最大化することを考えればいいわけだ。そして最後のペルソナには、新しい体験の世界観を伝えてもらうか、さらにその先の展開を想像させるようなストーリーを語ってもらう。もちろん、誇張したり実現性のないことを描くことがナンセンスであることは言うまでもない。ストーリーのバリエーションがみつからないとしたら、まだそのアイデアは人々に問うところまで考えられていないのかもしれない。
このユーザーストーリーを読んで想像力を働かせた人は「そもそも購入していない曲が聴きたくなったらどうするのか?」とか「そんなにあっても何を聴いていいかわからない」とかのコメントをきっとしてくれる。起承転結の構成にしておくと、最初ネガティブなコメントを描いた人が、読み進んだ後半になって違った印象でコメントしてくれたりもする。その流れからインサイトを読み解くにはちょっと想像力と柔軟性が必要かもしれない。
自分が思いついたアイデアにたいするネガティブなコメントは、たとえば「この読者はターゲットじゃないな」などと自分で言い訳をして解決してしまったり無視してしまったりする。そのアイデアを守ろうとするのではなく育てようとする気持ちが重要だ。すべて、思い込みを気づかせてくれる貴重なコメントかもしれないと考えてみよう。

開発者の思い込みといえば、エリック・リースの「リーンスタートアップ〜思い込みを捨てて、顧客から学ぼう〜」というタイトルを思い出すだろう。上にも書いたように、LTFはそこで提案されているMVPと狙いは同じようなものだ。
さらにIDEOの文章をちょっと書き換えてみると、
未来の生活における人々を観察し、何が人々を行動させるのか、さらに何が人々を混乱させるのか、人々は何を好み何を嫌うのか、未来に提供される製品やサービスで満たすべき潜在ニーズがどこにあるかを探し出す。
というように時間が変わっただけ。そして実はHCDのステップと「調査」をするタイミングが変わっただけなのかもしれない。デザイン思考に基づいて考えられたいろいろなメソッドはどんどん活用し応用していこう。

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