それはあなた自身だ。
HBR(ハーバード・ビジネス・レビュー)の記事に次のような記述があった。
"The only way out of this innovation gridlock is an expansion in founding team diversity. I believe the missing piece from the DNA in the founding teams of Transformational Companies is now the Domain Expert, who has deep insight into the industry they are trying to disrupt. Without a domain expert attempts at disruption are unimaginative and incremental at best.
There are so many industries ripe for technology startups to disrupt: Education, Health Care, Business, Art and Government just to name a few. But where are the domain experts ready to be paired with a team of rockstar engineers and superstar designers? "

イノベーションの停滞状況から抜け出す唯一の道は、創業者チームの多様性を拡大することだ。私は「変革型企業」の創業者チームのDNAに欠けているものは、彼らが変革を起こそうとしている産業分野に詳しいドメイン・エキスパートであると信じている。ドメイン・エキスパートなしでは変革の企ても想像力に乏しくなり大した成果も期待できない。
教育、ヘルスケア、ビジネス、アート、政府、その他にもテクノロジースタートアップの変革を待っている産業は数多く存在する。しかしロックスター・エンジニアやスーパースター・デザイナーとチームが組めるドメイン・エキスパートはどこにいるのだろうか?
新しい企業が既存の市場に変革を起こすためには“Founder Market Fit”(創業者と市場が適合していること)が必要であり、その創業者チームに必要な人材は時代とともに変わってきている。最初はHPやApple、Microsoftなどのように一人か二人のエンジニアと一人のセールスマンがいればよかったが、現在はデザイン思考などで語られているようにデザイナーの時代になった。しかし、それもすでに市場に適合しなくなっているという。



Tom Kelleyによるこの本の中で、IDEOにおいて実施されているデザイン思考のプロセスの5つのステップが紹介されている。
  1. その市場、クライアント、テクノロジーを理解し、そして与えられた問題に関して認識されている制約事項を理解 する。後でそれらの制約事項に挑戦することもあるが、まずは現状の認識を理解しておくことが重要だ。

  2. 現実の生活における人々を観察し、何が人々を行動させるのか、さらに何が人々を混乱させるのか、人々は何を好み何を嫌うのか、現在提供されている製品やサービスでは満たされていない潜在ニーズがどこにあるかを探し出す。

  3. それまでになかった新しいコンセプトとそれを使うであろう顧客を視覚化する。 一部の人々は、このステップを未来を予測することだと考えている。そしてこのプロセスの中で最もブレインストーミングを必要とするフェーズである。視覚化はコンピュータを使った演出やシュミレーションの形式をとることが非常に多いが、IDEOでは毎年数千もの模型やプロトタイプも作成されている。新しい製品のカテゴリーの場合は、合成したキャラクターと、ストーリーボードに図で描いたシナリオを使ってユーザー体験を視覚化したりする。場合によっては、まだ存在しない未来の製品が提供されたときの生活をビデオにしたりもする。

  4. プロトタイプを評価し洗練することを何回も素早く繰り返す。最初の頃のプロトタイプは変更することになるので、あまり執着しないようにしている。どんなアイデアでも改良しなければ大したものにはならないので一連の改良を加えることを前提としなければならない。社内のチーム、クライアントのチーム、プロジェクトに直接参加していない有識者、ターゲット市場を形成する人々などからのインプットを得るようにする。何が機能して何が機能していないのか、何が人々を戸惑わせているのか、人々はどのように感じているかなどを注意深く観察し、繰り返しの中で徐々に製品を改良してゆく。

  5. 新しいコンセプトを市場に出すために製品化する。このフェーズはしばしば長期間にわたり、開発プロセスの中でも技術的にもっともチャレンジングだ。しかし、IDEOのこれまでのすべての創造的な仕事は、IDEOが持つ製品化を成功させる力への信頼の証しだと信じている。
(原書"The Art of Innovation: Success Through Innovation the IDEO Way"からの訳)
1の「理解」について「市場、クライアント、技術などに関する制約事項を理解する」との解釈が見受けられるが、認識されている制約事項は「与えられた問題に関して」であり、クライアントや技術などの制約事項とするとちょっと意味がおかしくなってしまうように思う。

注意しなければならないのは、このプロセスはあくまでも多くの優秀なエンジニアとインダスリアルデザイナーを擁したIDEOで行われているということだ。心理学、建築学、経営学、言語学、生物学といった分野のバックグランドをもつメンバーも多いそうだ。IDEOはデザイン・コンサルティングファーム(会社)で、多くのクライアントは大企業であり、その経営層からの経営戦略に関わる案件を手掛けている。プロセスの1と5のステップは、それを前提としたものであるが、しかし1から5のすべてのステップとタレントが揃ってこそ、IDEOのこれまでのすべての創造的な仕事という成果をあげることができたのだ。

2008年6月のHarvard Business ReviewでTim Brownが次のように書いている。 
Put simply, design thinking is a discipline that uses the designer's sensibility and methods to match people's needs with what is technologically feasible and what a viable business strategy can convert into customer value and market opportunity.

デザイン思考とは簡単に言えば、採り得る事業戦略によって顧客価値と市場機会に転換することができ、かつ技術的に実現可能である何かを、デザイナーの感性と手法を用いて人々のニーズに調和させる専門分野である。 
IDEOにおいては、インダスリアルデザイナーだけでなく、エンジニアあるいはそれ以外を専門とする人も含めてメンバーのすべてが、この「デザイナーの感性と手法」を備えてえいるということだろう。

IDEOのデザイン思考やそのプロセスは、 広く学ばれ実践されている。その中心にいるスタンフォード大学のデザインスクール「d.school(Institute of Design at Stanford)」 によるテキストの日本語翻訳版「デザイン思考家が知っておくべき39のメソッド -the d.school bootcamp bootleg-」が一般社団法人デザイン思考研究所から提供されている。そこではデザイン思考の5ステップが次のようになっている。
  1. Empathize:共感
  2. Define:問題定義
  3. Ideate:創造
  4. Prototype:プロトタイプ
  5. Test:テスト
このテキストでは、オリジナルのステップの1(理解)と5(製品化)が消えてしまっている。2(観察)が共感と問題提起に分割され、3(視覚化)が創造となり、4(プロトタイプ)がプロトタイプとテストに分割されている。一見するとオリジナルの1(理解)と共感が対応するように思えるが、1(理解)はコンサルタントから見てのクライアント、すなわち製品やサービスを提供する側の状況を理解するということであり、d.schoolのテキストにおける共感は製品やサービスを利用する人々の気持ちになりきって考えるためのステップである。デザインスクールのカリキュラムやワークショップのテキストとして、その2つが扱いにくいということは理解できるが、この消えてしまった2つはデザイン思考において非常に重要なステップだと思う。
コンサルティングとしてクライアントの経営課題に取り組む場合でも、自社のイノベーションに取り組む場合でも、その会社(自社)の事業の市場や関連するテクノロジーを理解し、そして直面する経営課題に関して認識されている制約事項を理解 することなくしては始まらない。

デザイン思考と人間中心のデザイン(HCD)とはどこが違うのかという質問を受けて、自分もその関係をちゃんと理解していないことに気付いた。イノベーションを起こすための3ステップ・ツールキット〜人間中心デザイン思考:Human-Centered Design Thinking〜 by IDEO.orgという資料が前出の一般社団法人デザイン思考研究所で提供されていることからも混乱してしまう。
実は人間中心のデザインプロセスはISOで規定されている(ISO 13407, JIS X 8530)。 それによると「人間中心設計プロセス」とは「製品(インタラクティブ・システム)のユーザビリティ改善について規定した プロセス規格」とかなり限定されている。そしてそのプロセスのステップ(とメソッド)は、
  1. 利用状況の理解と明示(コンテクスト調査法)
  2. 利用者と組織の要求事項の明示(ペルソナ/シナリオ法)
  3. 設計による解決策の作成(プロトタイプ作成)
  4. 要求事項に対する設計の評価(ユーザビリティ・テスト)
となっている。これはd.schoolのテキストのプロセスと同様だ。「HCDの手法はインクリメンタルなイノベーションに適している。ラディカルなイノベーションを導くことはできない。」とノーマンが言っている。ラディカルなイノベーションのためには、IDEOのオリジナルのデザイン思考のプロセスとそれに取り組むメンバーの高いスキルが必須となる。
勝手な解釈だが、デザイン思考とは考え方"Mindset"でありプロセスは規定していない。ISOで規定されているHCDやd.schoolのテキストのステップやメソッドは、デザイン思考に基づいて、インタラクティブ・システムやそのほかの製品やサービスのユーザビリティ改善のために考えられたプロセスであり、IDEOで用いられているプロセスも同様にデザイン思考に基づいて考えられたプロセスの1つだと考えるとしっくりする。

最初に戻ろう。

ドメイン・エキスパートはあなた自身だ。あなたは、あなたが変革を起こそうとしている自社の属する産業分野に詳しいはずだ。そしてさらに、その産業分野に関連する技術についてもおおよそ把握している。あなたはすでにIDEOのデザイン思考のオリジナルのステップの1(理解)はクリアしている。しかし、これまではあなたの顧客のことをあまり気にしていなかった。あなたがエンジニアであってもビジネスパーソンであっても、IDEOのスタッフのようにデザイン思考の考え方を身につけることによって、あなたはあなたの顧客になりきる(Empathize)ことができるようになる。
たったこれだけのことを言いたかっただけなのだが、例によって引用とその勝手な分析が長くなってしまった。

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