スティーブ・ジョブズのメッセージは数多く紹介されているが、2001年にiPodを発表した時にジョブズが言った次のフレーズが印象的だった。
"a part of everyone's life" 
AppleがなぜiPodで音楽の市場に挑戦するのか、それは音楽が「人々の人生の一部だから」だという文脈だった。人々は(ジョブズも)皆、音楽が大好きだという意味もあるが、それ以上にAppleという企業が挑戦する価値があるほど「大きな市場」だということだ。 
iPodは人々の音楽を楽しむという基本的ニーズ(What)に着目し、その手段(How)を変えて、新しい経験価値を提供した。

ジョブズは「電話機を再発明する」と言ってiPhoneを発表した。人々はいままで持っていた携帯電話の代わりにiPhoneを購入した。しかし人々は電話機としてではなく、ジョブズの本当の狙いであった「インターネットに繋がったコンピューターを持ち歩くことによって得られる価値」に気づき、それは人々の生活になくてはならないものになった。そして、それはiPhoneにアプリやサービスを提供する企業にとっても大きな価値となり、それらの企業がさらにiPhoneの価値を向上させるという奇跡ともいえる循環を生んだ。 

パーソナル・コンピューターという世紀の発明は人々の基本的なニーズ(What)の手段(How)を変えたのではなく、いろいろなWhatのためのHow(アプリケーション)を提供するためのプラットホームという新しい存在を生み出した。多くの人々にとってパーソナル・コンピューターは家の中やオフィスで使うものであったが、iPhoneは「インターネットに繋がったコンピューターを持ち歩く」ことを可能にし、プラットホームとしての主役の座をパーソナル・コンピューターから奪った。そして音楽を楽しむためのiPodというHowを、そのプラットホーム上に取り込んでしまった。 

時は流れて、Appleは時計を発売する。これはすでにジョブズの仕業ではないだろう。2/10に米国で開催されたTechnology and Internet Conferenceでティム・クックは次のように言った(Mac Rumorsより)。 
"We want to change the way you live your life." 
 
アップルは人々の生活を変えたいのだ。
人々が時計をする基本的なニーズはなんだろう。その機能に着目すると、正確な時間を知ることだろう。「時間に従って生活をする」という基本的なニーズのために時間を知る手段(How)として時計をする。あるいはファッションやステータスを表すものとしての時計を考えると、その基本的なニーズは自己表現や自己顕示であったりする。

時間を知るための手段はスマートホンなどの別の手段で置き換えられつつあり、時計をしない人も増えている。Appleはファッションやステータスシンボルとしての時計の市場を狙っているのだろうか。 

プラットホームとしての価値を提供しようとしているのであれば、「インターネットに繋がった身体に付けるコンピューター」として、iPhoneにはない新しい価値を提供しなければならない。 
He also pointed out the feature that pings people when they've been sitting for too long, which he sees in use on a daily basis at Apple. During meetings, he says, towards the end of the hour, people will begin standing up as their Apple Watch alerts them to do so. "A lot of doctors believe sitting is the new cancer," he said. "Arguably, activity is good for all of us." Cook says that he is "super excited" about third-party apps that are being developed for the Apple Watch.

クックは、人々があまりに長いあいだ座っているのはAppleの社内で日常的にみられることだが、それを知らせてくれる機能があると言った。会議で終わりの時間が近づくと、みなApple Watchのアラームに促されて立ち上がる。多くの医者が座っていることは癌の原因になると信じている。動くことは間違いなく、誰にとっても良いことだ。そして、Apple Watchのために3rdパーティが開発しているアプリに「非常に興奮している」と続けた。
"sitting is the new canser"というフレーズは英語圏でも話題になったが、この意訳でいいようだ。 いかにもクックらしい論理的な考え方だが、事例に説得力がなく私はワクワク(興奮)しない。 これが「人々の生活を変える」ということなのか。この例は、すでにAppleのホームページで紹介されているスタンド(ジョジョとは無関係;笑)という機能によるもので、3rdパーティが開発中のほんとうにワクワクするアプリについては言及できないという事情があるのかもしれないが。 

健康を維持したいということが、人々にとって基本的なニーズであることは間違いないだろう。しかし多くの人は、普段は仕事や快楽を優先してしまい、気が向いた時だけ、あるいは言い訳程度に健康に気を使う。ヘルシー(?)な食事を出すレストランに行ったり、テレビショッピングで健康食品やグッズを買ったりして気休めをする。しかし気まぐれな人々は、それらに通い続けたり、使い続けたりはしない。 

あたりまえだが、Apple Watchをつけているからといって健康が維持できるわけではない。一日にどれだけ立っていたかを計測して「これであなたが癌になる確率が23%になりました」と表示してくれたら、もしかするとApple Watchを使い続けるかもしれない。

Apple Watchが「インターネットに繋がった身体に付けるコンピューター」としてのプラットホームで、そのキラーアプリケーションが健康とフィットネスであるならば、3rdパーティに頼るだけでなく、人々が使い続けたくなる、これまでになかった健康とフィットネスのサービスをApple自身がつくるべきだろう。

それはきっと、Apple Watchという製品ありきの発想ではなく、どんな人にどんな時に、健康やフィットネスについてのどんな情報が価値があるだろうかというところから始めなければならない。そのために、人々の活動や身体の状況のどんな情報を検知して収集する必要があるか。そのためのウェアラブルなデバイスはどうあるべきかと考えた場合、それはApple Watchという形になるのだろうか。 

昨年、取材で訪問したMisfit社でShineというフィットネス+スリープモニターをいただいたので、しばらくつけてみた。非常にスリムで装着感も良く、電池式で充電の必要もなく、防水なので24時間つけっぱなしにできる。iPhoneアプリと同期して、一日の活動量と睡眠の状況を教えてくれる。あらためて自分の睡眠が短く浅いことを認識できた。しかし、それだけなのだ。もちろん、それらの情報を認識することは健康を維持するためには重要なことだが、知らせるだけでは「インターネットに繋がった身体に付けるコンピューター」の価値がない。体重計や万歩計と変わらない。自分の睡眠不足をSNSで自慢しようなどとは思わない。健康診断の問診の時に、医師にそれを見せたが、医師も「もっと睡眠をとったほうがいいですね」「ストレスがあるのでしょうか」などという一般的な質問とアドバイスをくれただけだった。 

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私はけっこう運動好きで、帰宅後にジムでマシントレーニングをしたり、トレッドミルで走ったり、毎週末には必ずテニスをするのだが、Misfitで記録される活動量は自分の感覚と大きく異なる。左手にはめたデバイスは右手のスイングは検知してくれないし、どんな重さのダンベルをあげても左手が動いた距離とスピードでしか評価されない。それでも飽きっぽい自分が二ヶ月近く使ったのは、ウェアラブルというものを試さなければという職業上の義務を感じたからかもしれない。今では、古いタグホイヤーが元の位置に復帰している。

Apple WatchにしてもMisfitにしても、他の健康グッズのようにしばらくすると放置されてしまうものにならないためには、「健康やフィットネスについてのどんな情報が、人々にとって価値があるだろうか」というサービス側からの視点で考えるべきだと思う。「健康やフィットネス」と一絡げにせずに、いろいろな人々のいろいろなニーズやモチベーションごとに細分化された情報を提供するサービスを育て、その情報を提供するために必要な、人々の活動や身体の状況の情報を得るためのデバイスをつくる。 

それが、人々の人生の一部になることを目指すのであれば。 

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