前回(シーズ起点のデザイン思考の始め方)、シーズ起点で考えた革新的な技術によって実現が可能になる画期的なアイデアから「釘を探すハンマー(ニーズを顕在化できない製品)」をつくってしまわないために、機能領域から顧客領域に遡上して、そのアイデアが解決しようとしている問題やニーズを明確に定義する必要があると書きました。今回はiPodを例にして、そのプロセスをたどってみます。

デジタルという技術革新があった         

アップルは2001年1月にサンフランシスコで開催されたマックワールドエキスポでiTunesを発表しました。このときジョブズは同時にデジタルハブという構想も披露し、「Macは浸透しつつあるデジタルライフスタイルにおけるデジタルハブとなって、いろいろなデジタルデバイスに素晴らしい価値を与えるだろう」と言いました。音楽に関していえば、この時点ではまだiPodは存在しておらず、CDから音楽をMacにコピーしてiTunesで管理し、曲を編集したプレイリストをCD-Rに焼き付けてCDウォークマンで楽しむという提案でした。
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その頃、人々は外で音楽を聴くためには、購入したCDの中から自分が選んだ数枚を持っていかなければなりませんでした(アメリカではMDは普及しませんでした)。音楽がデジタル化されても、そのメディアがレコードやテープからCDやMDに変わっただけで、ウォークマンがCDウォークマンやMDウォークマンになっても、その顧客の体験に大きな変化をもたらすことはありませんでした。デジタルが「イノベーションを起こすためには、ラディカル(不連続)な技術革新が必要だ」というノーマンの言葉にあるラディカルな技術革新であったにも関わらず、音楽ビジネスの分野にはまだイノベーションは起きていませんでした。

すでに1999年にはラスベガスのコンピュータ関連の展示会で、ソニーがメモリースティックウォークマンを発表しており、それ以前にもシリコンメモリーを使った携帯型音楽プレーヤーが発売されていました。しかし使用するメモリーの容量では1〜2枚のCDの音楽を格納することしかできず、CDに加えて新しいメディアの管理という余計な作業も増える結果になっていました。特にメモリースティックウォークマンで使用するMagicGateメモリースティックは価格も高く、ほんの数枚のメモリースティックを使い回さなければならないという状況でした。

技術シーズからの発想

「ポケットに1,000曲」というキャッチコピーで初代iPodが発表されるのは2001年の10月になります。もちろん、iTunesとデジタルハブ構想を発表したとき、すでにiPodという新しいデジタル機器のイメージはできていたはずです。
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Design Crazy: Good Looks, Hot Tempers, and True Genius at Apple [Kindle版]に、発売後のiPodの販売が伸び悩んでいるときに、周囲がiTunesをWindowsにも展開すべきだとジョブズに進言したときの興味深いエピソードが紹介されています。
我々は、WindowsにiTunesを提供することについてスティーブと多くの議論をしたが、最終的にフィルと私は「(あなたが反対しても)我々はやりますよ」と言った。スティーブは「くそったれ!好きなようにするがいいさ、責任はとれよ!」といって部屋から飛び出していってしまった。
iTunesは、ジョブズが2000年にCEOに復帰した直後にアップルがその権利を買収したSound Jam MPというソフトを元に、アップルに移籍したその開発者たちが開発したそうです。きっとジョブズはSound Jam MPを見たとき、「これはMacの価値を向上させるために使えそうだ」と思ったのでしょう。赤字を垂れ流していたアップルのCEOに復帰したばかりのジョブズにとって、Macの価値を最大化して販売を伸ばすことが最大の課題だったはずです。それは製造業のイノベーション戦略マトリックスに示した、,凌靴靴さ蚕僉淵妊献織襦砲砲茲辰得宿覆鬟ぅ離戞璽轡腑鵑垢襦Macを単なるコンピュータではなくデジタルライフスタイルにおけるデジタルハブにするという戦略です。
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(製造業のイノベーション戦略マトリックス)

顧客領域に遡上する

では顧客領域に遡上して「観察」を行い、「CDから音楽をMacにコピーしてiTunesで管理し、プレイリストに編集した曲をCD-Rに焼き付けてCDウォークマンで楽しむ」というシーズ(Sound Jam MP)起点のアイデアが解決しようとしている問題やニーズを考えてみましょう。実際にジョブズまたはアップルの誰かが、いつiPodという製品のアイデアを思いついたのかはわかりませんが「顧客領域への遡上」する意義を説明するために、iTunesというアイデアを発想した時点ではまだそこに至っていないと仮定します。
  • 現実の生活における人々を「観察」し、何が人々を行動させるのか、さらに何が人々を混乱させるのか、人々は何を好み何を嫌うのか、現在提供されている製品やサービスでは満たされていない潜在ニーズがどこにあるかを探し出す
ウォークマンなどの携帯型音楽プレーヤーのユーザーの、変わることのない基本的なニーズは「どこででも音楽を聴きたい」というものでしょう。ウォークマンの出現の以前の「製品やサービス」は、放送される音楽を携帯ラジオで聞くというレベルのものでした。そしてウォークマンは、どこででも「自分の選んだ」音楽を聴きたいという潜在ニーズを顕在化しました。しかしその後、音楽がデジタル化されてウォークマンがCDウォークマンやMDウォークマンになり、メディアの可搬性、ダビングの速度や質が向上するなどの改善はありましたが、ユーザーの体験に大きな変化をもたらすことはありませんでした。
 
iTunesが解決しようとする、現在提供されている製品(CDウォークマン)のユーザーが抱えている問題は「たくさんあるCDを管理できない」というものでしょう。音楽をコンピュータで管理することによって、それを解決しようというアイデアです。iTunesでは曲ごとのメタデータから自動的に作成したデータベースによって、ユーザーはアーティスト名やジャンルなどから曲を探して選んだ曲でプレイリストを編集することができます。しかし、それはユーザーの体験に大きな変化をもたらすものになるのでしょうか。 

ユーザーの基本的なニーズが「どこででも音楽を聴きたい」というものであるならば、音楽を聴くときの体験が重要です。iTunesによって、その前に必要な作業を改善することはできるでしょうが、「持ってきたCD」で音楽を聴くという体験には大きな変化はなさそうです。依然として「持ってこなかったCD」の音楽を聴くことはできません。保有しているすべての音楽をコンピュータで管理することによって、持って出かける曲を選ぶという作業が変化します。その作業を行うユーザーになりきって「観察」すると、そこに新たな問題が見えてきます。
  • iTunesのユーザーを「観察」し、何が人々を行動させるのか、さらに何が人々を混乱させるのか、人々は何を好み何を嫌うのか、iTunesでは満たされていない潜在ニーズがどこにあるかを探し出す
音楽が一覧で見えるようになり、検索したり整理したりすることが容易になると、持って出かける音楽の選択肢が格段に増えることになります。そのプレイリストを作成してCD-Rに焼き付ける作業が増えるだけでなく、「持ってこなかった曲」を意識(後悔)することも多くなるでしょう。これまでは、そんな音楽を所有していることすら忘れていたのですから。iTunesで音楽の一覧を見て曲を選ぶ行為と、その曲を携帯型音楽プレーヤーで聴くという行為との時間差が問題なのです。すべての音楽を持ち歩いて「聴く曲をその場で選びたい」という潜在ニーズが見えてきます。 

機能領域で考えるべきこと

現在提供されている製品のユーザーが抱えている問題は、「たくさんあるCDを管理できない」ことだという仮説を持って顧客領域に遡上しましたが、そこで「聴く曲をその場で選びたい」という潜在ニーズを発見しました。それはiTunesという「コンピュータで音楽を管理する」というアイデアが存在したからこそ発見できました。

さらに、音楽を聴くときの体験が価値だとすれば、その前に行うことはすべて「なくてもいい作業」だと考えることができます。CDを買いに行くこと、それをMacにコピーすること、プレイリストを作成すること、CD-Rに焼き付けること、そしてCD-Rを持ち歩くことなど、それらのすべてが作業です。購入する音楽を選ぶことすら、なくてもいい作業なのかもしれません。「どこででも音楽を聴きたい」という基本的なニーズには、それらの作業をなくして欲しいという潜在ニーズが隠れているのです。もちろん、それは顕在化するまで存在しないニーズです。

それらの顧客領域からのインプットから、機能領域では「コンピュータで音楽を管理する」という最初のアイデアに次の2つを追加することになります。
  • 携帯型音楽プレーヤーにすべての曲を入れて持ち歩く
  • インターネットで音楽を販売する
ここで、持っているCDのすべての音楽を携帯型音楽プレーヤーに入れることができると、「膨大な数の曲の中から探して選ばなければならない」という新たな問題が発生することに気づくでしょう。それは次の実体領域(設計フェーズ)への要求仕様になります。実体領域では、その時点での技術やコストの制約から持ち運べる音楽は1,000曲になりましたが、スクロールホイールという技術を応用して指一本で曲を選ぶという操作を提供しました。
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"Say hello to iPod. 1,000 songs in your pocket."
 
さらに、CD数枚分とかではなく1,000曲の音楽を持ち運ぶことができるとしたら、まったく新しいユーザー体験を提供できるのではないかと考えた人がいたようです。そして「ユーザーが曲を探して選ぶ」のではなく、iPod
が選んだ曲を流せばいいという発想の転換がありました。まったくランダムなシャッフルモードから、ユーザーが気に入った一曲に関連性のある曲をiPod 選ぶジーニアスというプレイリストまで。シャッフルモードで聞いていて、普段なら選ぶことがなかったはずの曲が、その時の環境や気持ちなどで印象が全く違うものになっていたことはないでしょうか。CDを買って一度しか聞かなかったようなアルバムの記憶にない一曲がかかって、そこからそのアーティストの曲の探索を始めたことがなかったでしょうか。 これは、まさにこれまでになかった新しい体験でした。

イノベーションは黒魔術か?

最初にお断りしたように今回は、シーズ起点で考えた画期的なアイデアが解決しようとしている問題やニーズを明確に定義するプロセスをiPodを例として説明しました。それは、おそらくiPodを発想したジョブズやアップルの誰かの実際の思考プロセスとは異なるでしょう。しかし彼らは、シーズとニーズとを調和させるために多くの時間と努力を注いだはずです。
イノベーションは決して黒魔術などではありません。

インターネットでの音楽の販売は、技術的問題ではなく既存のバリューチェインにおける既得権を守ろうという抵抗勢力との戦いに時間がかかりましたが、アップルは2003年4月にiTunes Music Storeをオープンしました。そして、その10月にようやくWindowsへのiTunesの提供を開始しMacの呪縛から解放されたiPodのブレイクが始まりました。
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結果的にiPodの販売は2008年の5483万台にまで成長し、その後のiPhoneにつながるアップルの驚異的なイノベーションの先駆けになりました。アップルコンピュータだった社名からコンピュータという言葉を消した(2007年1月)ことに象徴されるように、製造業のイノベーション戦略マトリックスの△了業のイノベーションに成功しました。

ジョブズのメッセージは数多く紹介されていますが、iPodを発表したときのフレーズは特に印象的でした。
"a part of everyone's life" 
アップルがなぜiPodで音楽の市場に挑戦するのか、それは音楽が「人々の人生の一部だから」だという文脈でした。人々は(ジョブズも)皆、音楽が大好きだという言葉どおりの意味もあるでしょうが、それ以上にアップルという企業が挑戦する価値があるほど「大きな市場」だということを言ったのだと思います。


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