5月7日の日本経済新聞(電子版)に、『勝てるか ジーンズをはいたパナソニック』という記事が掲載された。
パナソニックは4月からジーンズやスニーカーでの勤務を解禁した。朝礼で松下幸之助がつくった「七精神」を唱和する従来のスタイルを徐々に変えようとしている。自らもチノパンをはいて旗を振る社長の津賀一宏(61)はスタートアップに転職した「辞めパナ」を呼び戻したり、外部の力で社内起業を促したりなど必死だ。ジーンズをはいたパナソニックは中身も変われるのか。
このような書き出しで、パナソニックの幹部が考える「パナソニックが魅力的な商品をなかなか出せない原因」と、それを打破するための取り組みが紹介されている。

確かに、パナソニックのイノベーションへの渇望と本気は、他の多くの報道からも伝わってくる。しかし、この記事に書かれているような原因や問題は、日本の大手メーカーの中にいるものであれば誰もが認識していながら、長い間放置されてカチンカチンに固まってしまったものだ。

もちろん、自由な服装での勤務は、社員に(一部のオジサンを除いて)歓迎されるだろう。しかし、それが「とりあえず、スタートアップを真似てみよう」という発想によるものであれば間違っている。そもそも、大企業がスタートアップに学ぶべきことはあまりない。

スタートアップは、野心がジーンズをはいてフーディーをかぶっている。世界を変えてやろう、一攫千金、有名になりたい、そして、もちろん人々が困っていることを解決するといった、さまざまな野心が、ほんの数パーセントという成功の確率への挑戦にスタートアップを駆り立てる。その不確実性と非効率さを、多くの痛みを乗り越えてリストラを断行してきた大企業が受け入れるはずがない。

顧客に問うという間違い

記事中にある「社員のアイデアを素早く商品化して小ロット生産で市場に出し、顧客の声を聞きながら完成度を増す」という考え方は、エリック・リースの「リーンスタートアップ」 の表面的な解釈(誤解)によるものと思われる。

確かに、エリック・リースは、プロダクト・マーケット・フィット、つまりプロダクトを、狙う市場を満足させることができるものに育てるために、プロトタイプの段階から実際の顧客に使ってもらって、「構築 - 計測 - 学習」のサイクルを繰り返すことが重要だと説いた。しかし、それはウェブサービスやスマートフォンのアプリを想定した話であり、そのままハードウェア製品に適用することはできない。外部から人材を招き入れて導入するという、「アジャイル(素早い)」と呼ばれる開発手法も同様だ。

ウェブサービスやアプリのビジネスモデルは、プロダクトの利用が完全に無料であったりフリーミアムであったりする。プロトタイプや、必要な最小限の機能だけを実装したプロダクトを、多くのユーザーに使ってもらうことが比較的容易だ。 改良したプロダクトを公開すること(構築)も、ウェブサービスであれば毎日でも可能だ。

しかし、ハードウェア製品で「構築 - 計測 - 学習」のサイクルを繰り返すために必要な時間とコストは、ウェブサービスやアプリのようなソフトウェアとは比べものにならない。その上、顧客に使ってもらうには、製品を購入してもらわなければならない。イノベーターやアーリーアダプターと呼ばれる初期ユーザーを想定したものであったとしても、要求されるプロダクトの完成度は、はるかに高いものだ。だから、ハードウェアのスタートアップはハードだと言われている。

リーンスタートアップの本質は、早く失敗すること、プロダクトがダメなものであることを資金を使い果たす前に知ることであり、よいプロダクトをつくるための方法論ではない。顧客は「使わない」、ハードウェア製品の場合は「買わない」という無為の行為によって、プロダクトがダメなことを教えてくれるだけだ。しかし、何がダメなのかは教えてくれない。「使わない」理由を訊いて改良しても、顧客は別の「使わない」理由を考え出す。
社員のアイデアを商品化するまでに幾重もの難関がある。社内会議をクリアするために複数のプランのプレゼンテーションやそのための資料を作り、上司の承認をとらなければならない。
スタートアップでも、ベンチャーキャピタルなどからの資金を得るために、自らのアイデアを売り込み、その可能性を理解してもらわなければならない。もし、パナソニックの社内のしくみが問題なのであれば(おそらく問題だ)、まず企画や開発のプロセス全体を刷新して、「社員のアイデア」に限らず、全てのプロダクトを「素早く商品化」できるようにすべきだろう。

日本メーカーが、サウス・バイ・サウスウエスト(SXSW)というショーにプロトタイプやコンセプトモデルを出展することも流行りだが、そのようなスタートアップのお祭りで評判がよくても何の意味もない。「社内で評価されなくてもいい。社外から反響があれば製品化しよう」。プロダクトが提供しようとする価値を、社内では評価することができないから顧客に丸投げする。日本を代表するメーカーが、そこまで自信をなくしてしまっているのか。

提供しようとする価値への自信

プロダクト・マーケット・フィットとは、プロダクトとマーケットとのギャップを埋めるプロセス。プロダクトとはメーカーが提供しようとする価値を形にしたものであり、マーケットとはその形から顧客が得られる価値だ。ギャップとは「提供しようとする価値 > 顧客が得られる価値」であり、それは「形」を改善して顧客が得られる価値を向上することによって埋める。

「提供しようとする価値 = 顧客が得られる価値」になっても、マーケットがプロダクトを受け入れない場合は、提供しようとする価値が間違っているということだ。しかし、提供しようとする価値が明確でなかったり、それにメーカーが自信を持っていなければ、いったい何を「形」にし、どのようにプロダクト・マーケット・フィットをしようというのだろうか。

SXSWに出展され、おもわぬ好評を得たという「料理をしながら栄養とカロリーがわかるレンジのような箱」は、どのような価値を提供しようとしているのだろうか。「料理をしながら栄養とカロリーがわかる」というのは機能であり価値ではない。思いついたアイデアで、先に「形」をつくってしまうと、その価値に自信を持つことができない。

メーカーは提供しようとする価値を明確にし、それを社内で共有して「形」にし、自信と責任を持ってプロダクト・マーケット・フィットに取り組まなければならない。新しい価値を提供しようとする製品のプロダクト・マーケット・フィットには時間とコストがかかる。その価値が十分に共有されていなければ、社内に不協和音が生まれて、途中で投げ出してしまいかねない。

ディスラプションへの野心

戦後、欧米のメーカーという明確な目標があって、その目標に追いつき追い越すことに成功した日本のメーカーは、85年のプラザ合意後の円高不況で、グローバルな競争力が急速に低下した。そして、次の目標を見出せないまま、リーマンショックとその後の円高に遭遇して壊滅的な状況に陥ってしまった。

最近になって、金融緩和政策によって誘導された円安とリストラによって、表面的には業績が回復したように見えるが、実は、パナソニックに限らず、日本のコンシューマ・エレクトロニクス製品のメーカーから「魅力的な商品をつくる」力が完全に失われている。多くのメーカーは、生産のコストダウンや海外シフトに気を取られ、競争のパラダイムが生産の力からソフトウェアの力に急速に移りつつあることに気がつかなかった。

製品のイノベーションというと、それまでまったく存在しなかった製品を発明することと考えがちだが、人々の生活に大きな影響を与えるような製品は、iPhoneやiPodのように既存の製品を置き換えるものであることが多い。新しい製品を発明する時代は過ぎた。現代はインターネットとモバイルというグローバルなビジネスの基盤が整備されている。その基盤の上で、ソフトウェアの力によって、すでに大きな市場と多くの顧客を獲得している製品を、再発明して置き換える時代だ。パナソニックは、その対象となる多くの製品事業を抱えている。

パナソニックが「魅力的な商品をつくる」には、自社の製品を置き換えてやろうという野心が必要だ。それは、既存事業を破壊し再構築するディスラプションを招くことになる。長い間放置されてカチンカチンに固まってしまった「パナソニックが魅力的な商品をなかなか出せない原因」を破壊するには、トップは胆力を持ってハンマーを振るう必要があるが、その前に、再構築後のビジョン(目標)を示して社員の野心を掻き立てなければならない。

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川手恭輔(Internet Born & Bred)