デザイン思考で行こう!

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カテゴリ: モノづくりのデザイン思考

モノづくりのデザイン思考 (連載 1)

大企業(特に製造業)のイノベーションに関して、多くの人々は悲観的です。その理由については、クリステンセンの「イノベーションのジレンマ」をはじめとしてすでに多くの分析がなされています。例えば、成功し大きく成長した企業がさらなる成長のために最適化した組織は、病原菌が侵入したときの白血球のように、イノベーションを拒絶し死滅させてしまうといったものです。

日本の大手製造業の「イノベーション」や「新規事業」というタイトルがついた組織の人とお会いすることがあります。会社の期待を背負って創設された組織だと思うのですが、それらの方々は、既存の事業の企画や開発や販売に携わっていたという方が多いようです。経営陣は、そういった言葉のついた組織をつくるだけで変革が起きると期待しているように思えます。任されたほうも組織の名前以外に明確な方向性を示されていませんから、まずは何をしましょうかというところから始めるしかありません。コンサルティング会社と高い契約をして、現状分析やアイデア出しのブレーンストーミングなどの活動によって、提案書を作成したり、コンセプトのビデオを作ったりする取り組みを数回繰り返したところで、経営陣が飽きてしまって組織が自然に消滅していきます。あるいはフェーズ2などといった延命によって時間が浪費されてしまうこともあります。

特に自社の既存事業を破壊しようとするイノベーションの場合は、既存事業から強い拒絶反応が起こるのは当然でしょう。その拒絶反応を抑えて病原菌を育てることができるのは経営者だけです。経営者は「イノベーション」とかのタイトルがついた組織を作る前に、まず育てるべき病原菌を探す必要があります。

アップルはiPodによって、それまでソニーが独占してきた携帯型音楽プレーヤーの市場に参入しました。それはウォークマンというハードウェアだけでなく、音楽をCDという物理的なメディアで販売するというビジネスモデルをも破壊しました。音楽はインターネットで購入してパソコンやiPodにダウンロードするものになりました。

しかし、ひとつの時代を築いたiPodは「音楽」というアプリとしてその機能をiPhoneに吸収されてしまいました。売り上げが激減したiPodという製品はアップルの事業としては「その他」に分類され、単独での販売数の発表はされなくなりました。アップルはiPodという製品事業を自ら破壊し、iPhoneというさらに大きな事業を立ち上げることに成功しました。もしiPodの事業を守るために、iPhoneに「音楽」という標準アプリを入れなかったとしたらiPhoneの成功はなかったかもしれません。

イノベーションはスティーブ・ジョブズのような特別な才能を持った人間だけが操ることができる黒魔術なのでしょうか。

アイディアを次々と生み出す人々の多くは、組織をどのように動かせばアイディアをかたちにできるかを知らない。とりわけ前例のない画期的なアイディアを実行する方法を知らず、多くの場合、アイディアは放っておいてもイノベーションに繋がるという理解しがたい考え方に染まっているようだ。このような偏見では、着想とイノベーションは同義語になる。この種の考え方にとりわけ強く毒されているのが、ブレーンストーミングの信奉者で、自分たちの流儀こそが企業を救うと信じて疑わない。

セオドア・レビットの「T.レビット マーケティング論 」の「アイデアマンの大罪」という章にこう書かれています。イノベーションに挑戦する企業が、画期的なアイデアを見つけ出して、それを実現するためのプロセスや方法論はないのでしょうか。

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お断り これは連載のために過去の記事を書き直したものです。

モノづくりのデザイン思考 (連載 2)

私たちは、日々の生活の中でそれぞれの生活をデザインしています。周囲のだれかと同じようにデザインしたいのでしょうか、コンセプトや目標をもってデザインするのでしょうか、または何らかの制約の中でデザインしているのでしょうか。私たちはどのような価値観で自分の生活をデザインしているのでしょう。

モノをつくって世の中に提供するということは、人々のそういった取り組みの手助けとなるツールを提供するということです。個々のデザインのコンセプトや目標を理解し、それに合ったモノを提供し、絶えず変化する人々の価値観をひたすら追い続けることがモノづくりです。あるいは新しいモノが人々の為すデザインにそれまで気がつかなかったひらめきを与え、さらに人々の価値観や行動を大きく変化させたりもします。それはイノベーションと呼ばれています。

製品のコモディティ化や経済のグローバル化が急速に進み、 単一の製品や技術のみで差別化をはかり、そのアドバンテージを長期間にわたって維持してゆくことが難しくなったという状況が、とくに日本の製造業において困難な事態を引き起こしています。そして単に製品やサービスの機能ではなく、それらを使ったり利用したりすることによって得られる経験価値を提供すべきだということがずいぶん前から言われ続けてきました。

コモディティとは、品質などの属性が均一化して差異がなくなり、相場によって大量に取引されるようになった農産物や天然資源などの商品を指します。工業製品やサービスがコモディティ商品になることはありませんが、市場において競合との差別化が困難になり事業利益が下落する状況をコモディティ化と言います。

B.J.パインは1999年に発刊された「経験経済」の中で、経済価値はコモディディからプロダクト(製品)、サービス、そしてエクスペリエンス(経験)に進化すると言っています。これまでのすべての経済が提供するものは購入者から離れた外に存在するモノでしたが、経験は顧客の中に生まれます。モノやサービスだけを提供するのではなく、それを利用することによってそれぞれの顧客が感じることができる豊かな経験を提供する企業を、パインはステージャーと名付けました。経済価値がコモディディから、製品、サービス、経験へと進化するならば、製造業は自らをステージャーに変革して行かなければなりません。

経験価値に着目したマーチャンダイジングによって製品価値の向上に成功した数少ない製造業の1つがナイキです。ナイキは広告宣伝やディーラー向けの施策などの販売促進活動において、運動靴という単なるモノではなく、そのモノを使用することによって得られるアスリートの経験を商品として徹底的に訴求しました。しかし、製造業がマーチャンダイジングだけでコモディティ化に対抗することには限界があります。ナイキにしてもNike Airなどの差別化技術があって初めて、経験価値に着目したマーチャンダイジングが成功したと考えるべきでしょう。

2006年にナイキはNike+iPodを発売しました。ゴムと皮と布でできているランニングシューズが(iPod nanoとパソコンのiTunesを介してですが)インターネットにつながったのです。まさにモノのインターネット(IoT)でした。ランニングの時間や走行距離、消費カロリー、ペースなどがランニングシューズ(に仕込まれたセンサー)からiPod nanoに送られ、ランニング後にiPod nanoをパソコンに接続すると、iTunes経由でnikeplus.comというウェブ・サイトにランニングのデータが自動的にアップロードされます。nikeplus.comでは、そのデータを活用してランニングの履歴や設定した目標の達成度合いなどがビジュアルに表示されるだけでなく、ランニング仲間や世界中の見知らぬランナーたちと成果を競うなどしてモチベーションを高めることができます。

ランニングシューズというモノがインターネットにつながることによって、モノを提供するナイキという製造業が、iPod nanoというデバイスのアプリケーションやウェブ・サービスで、モノを使用する時の顧客の経験に積極的に関与することが可能なりました。かつては地味で孤独なスポーツであったランニング自体の経験価値までも向上させ、ランニングの人気を飛躍的に高めてシューズだけでなくランニング関連グッズの市場を拡大しました。ナイキの「第一級のスポーツ価値の追求」「最高のスポーツ芸術価値」「芸術としてのスポーツの蘇生」という経営理念は、まさにスポーツの経験のステージャーたろうとするものでしょう。

「コモディディから製品、サービス、経験に進化」という順序にも表れているように、経験を提供する企業(ステージャー)はサービスを提供する企業の発展形として論じられることが多いようです。経験を提供する企業の例の多くがディズニーランドやスターバックスなどのサービス業者であることからも、製造業が積極的に経験を提供することは難しかったことがわかります。

インターネットが出現するまで、一般消費者向けの製品をつくる製造業は造った製品を流通業に販売するだけで、その製品を購入した顧客との接点はほとんど持っていませんでした。接点といえばテレビなどのマスメディアを利用した広告という一方的なものばかりで、双方向性のあるものは顧客が困った時に電話をかけてくるコールセンターぐらいでした。これでは流通業やサービス業のように顧客の経験に関与することができず、経験経済の時代に製造業が生き残ることは困難です。

しかし、インターネットによって製造業が顧客との接点を持つことが容易になりました。人々は、インターネットにつながったスマートフォンを常に携帯し、ニュースや音楽や動画やゲームなどのコンテンツを消費し、そしてソーシャルネットを利用して、友人や家族や見知らぬ人と頻繁にコミュニケーションを行っています。

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モノづくりのデザイン思考 (連載 3)

イノベーションを引き起こした技術革新が連続的であるか否かによってインクリメンタル(連続)とラディカル(不連続)に分類するそれまでのイノベーション分類に対し、クリステンセンは既存の有力企業の事業が存続可能か否かという視点から、そのイノベーションに対応して存続可能なものを持続的イノベーション 、対応が困難で存続が不可能なものを破壊的イノベーションとする独自の軸を加えて、イノベーションを図のようなマトリックスの4つの象限に分類しています。持続的イノベーションに最適化された組織では破壊的イノベーションを起こすことができず、そのジレンマに陥った組織の事業は、やがて他者によって起こされた破壊的イノベーションによって衰退してしまう。

innovation matrix
(クリステンセンのイノベーション分類)

CCDなどの発明によって、画像の記録媒体と記憶媒体がフィルムと印画紙から、センサーとシリコンメモリーに変化するというラディカルな技術革新が写真産業に起こりました。フィルム時代の写真産業の有力なプレイヤーのうち、カメラメーカーの多くは製品をデジタル化することに成功しましたが、フィルムの製造販売や現像とプリントサービスを生業にするプレイヤー(フィルムメーカー)にとっては破壊的イノベーションになってしまいました。

フィルム時代に最適化された組織すなわちバリューネットワークを構築していたカメラメーカーは、なぜこのラディカルな技術革新に対応し存続することができたのでしょうか。カメラメーカーはクリステンセンの第2象限の実例を示したようにも見えますが、カメラメーカーとフィルムメーカーの明暗は、クリステンセンの指摘する「最適化された組織の問題」を単純に当てはめただけでは説明がつきません。
 
CCDを利用したデジタルカメラは1995年ごろに、当時カメラメーカーではなかったカシオからQV10という製品が発売されていました(実はその前の年に、アップルがQuickTakeという、マッキントッシュ・コンピュータ専用のデジタルカメラを発売したことを知っている人は少ないかもしれません)。最初はコンピュータへの画像入力デバイスというニッチな存在でしかなく、それがカメラとして、フィルムをベースにした写真産業のエコシステムを破壊し始めるのは2000年になってからです。

ラディカルな技術革新が起きてから、製品やビジネスモデルのイノベーションが始まるまで5年以上かかっています。センサーなどのデバイスのコストダウンや技術の向上にそれだけの時間が必要だったのです。その間にカメラメーカーはラディカルな技術革新に対応することができました。逆に電機メーカーなどの異業種からの新規参入組も、レンズやオートフォーカスなどのカメラに必要な技術を取り込むための時間が必要でした。そしてカメラメーカーは21世紀の初めに、新規参入組と同じスタートラインに立つことができました。

フィルム時代の写真産業は、フィルムを核とした巨大なエコシステムを形成していました。フィルムメーカーはその中心にいて、川下のDPEサービスを含めて市場の70%以上の利益を独占していました。そのフィルムそのものがなくなってしまったのですから、フィルムメーカーはフィルムメーカーとして生き残ることはできません。フィルム関連事業が破壊されても企業として存続するには、保有する技術やその他の経営資源をつかって新規事業領域に活路を見出すほかに道はありませんでした。

カメラメーカーは自らイノベーションを起こしたのではなく、他者によって仕掛けられたイノベーションに、そのバリューネットワークを変化させることによって対応することができたといえるでしょう。バリューネットワークとは、企業やその事業が提供する価値と、それを可能にするために最適化されたプロセスとリソースのネットワークを指します。

カメラメーカーが人々に提供する価値は写真を撮ること、すなわちレンズによって画像を結像させてフィルムに記録することで、フィルムメーカーの提供する価値は、そのフィルムを提供し画像が記録されたフィルムを現像し印画紙にプリントして、写真として完成させるというものでした。カメラメーカーにとっては「フィルムに記録する」という部分を「センサーに記録しメモリーに記憶させる」に変える対応ができれば、事業が提供している写真を撮るという基本的な価値を保つことができます。もちろん取り組むべき技術の壁は非常に高かったでしょうが、前述のように5年という猶予もあって、バリューネットワークの一部を変更することで事業の存続が可能でした。さらにバリューネットワークを強化することによって、フィルムメーカーに代わって写真産業の中心となって事業規模を数倍に拡大することに成功しました。

一方でフィルムメーカーは、そのバリューネットワークの核となっていたフィルムそのものが消失するという事態に、フィルム事業のバリューネットワーク自体が破壊されてしまいました。もしフィルムメーカーがフィルム関連事業しか持たず、そのバリューネットワークに固執してしまい、別の新しいバリューネットワークを構築するという取り組みを怠っていたならば、その企業自体の存続も不可能だったでしょう。富士フィルムは存続に成功しましたがコダックは破壊されてしまいました。

イノベーションには、自社の事業をイノベーションして革新的な製品を生み出すという意味と、市場にイノベーションを起こすという意味の2つがあります。自社の革新的な製品が市場にイノベーションを起こし、それが他社にとって破壊的なものになったとしても、それは結果であり目的ではないでしょう。

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モノづくりのデザイン思考 (連載 4)

コンテンツや情報がデジタル化され、それを記録したり保存したり伝達したりするメディア(媒体)が変化するとき、その対応に遅れをとった企業が衰退したり、新たなプレイヤーがその市場に参入したりする状況をデジタル・コンバージェンス(産業融合)あるいはメディア・コンバージェンスと言います。そのとき、その市場に破壊的なイノベーションが起こることがあり、それはデジタル・ディスラプション(創造のための破壊)と呼ばれています。

いったんデジタル・ディスラプションが起きた市場は流動的になり、さらなる変化を起こしやすくなります。 私たちはカメラや携帯音楽プレーヤーの例でそれを目の当たりにしてきました。ウォークマンに取って代わったiPodも、あっというまにアプリケーションの一つとしてiPhoneに吸収されてしまいました。デジタル・ディスラプションが起きた市場では、技術やインフラの革新が継続的に起きるようなるため参入障壁も低くなり、以前のように安定したバリューネットワークを構築し維持することが難しくなります。

クリステンセンのイノベーションのジレンマは、安定した強固なバリューネットワークを持つ企業に生じるものでしたが、デジタル時代においては、経営者はそもそも安定した強固なバリューネットワークというものを構築すべきか否かという判断を迫られています。フィルムのエコシステムは100年以上にわたって多くの企業に利益をもたらしましたが、フィルムメーカーに代わって写真産業の頂点に立ったカメラーメーカーの業績は10年そこそこで陰りが見え始めています。
鉄道が衰退したのは、旅客と貨物輸送の需要が減ったためではない。それらの需要は依然として増え続けている。鉄道が危機に見舞われているのは、鉄道以外の手段(自動車、トラック、航空機、さらには電話)に顧客を奪われたからでもない。鉄道会社自体がそうした需要を満たすことを放棄したからなのだ。鉄道会社は自社の事業を、輸送事業ではなく、鉄道事業と考えたために、顧客を他へ追いやってしまったのである。事業の定義を誤った理由は輸送を目的と考えず、鉄道を目的と考えたことにある。顧客中心ではなく、製品中心に考えてしまったのだ。- T.レビット マーケティング論 
いったん鉄道事業のためのバリューネットワークを忘れて、輸送という市場の顧客の基本的なニーズに立ち戻り、そこから利用可能な新しい技術やインフラを前提に、その輸送という市場ドメインにおける新たな提供価値を定義する。そして、そのためのバリューネットワークを再構築します。鉄道と輸送事業という二つの言葉を言い換えるだけで、いろいろな事業の衰退を形容することができます。

カメラメーカーが提供してきた価値は、写真を撮るという機能価値でした。その写真という市場で新しい価値を提供しようとするものが現れました。スマートフォン(のカメラ)です。 その原点は2000年にソフトバンクモバイル(当時はジェイフォン)から発売されたカメラ付携帯電話です。 やはり10年という長い時間がかかりましたが、カメラ付携帯がスマートフォンという形に変わり、技術のインクリメンタルな進歩によって画質も向上し、カメラメーカーが提供する写真を撮るという価値を脅かすに至りました。

スマートフォンのカメラは、インターネットにつながっています。それによって、フェイスブックやインスタグラムなどのソーシャルネットワークサービスという共有のための新しい媒体を、スマートフォンのカメラのバリューネットワークに組み込むことができました。そして写真を撮ることから始まる、まったく新しい経験を提供し多くの人々に受け入れられました。

フィルム時代には、人々は購入したフィルムをカメラに入れて撮影した後、DPEサービスを利用して写真を完成させていました。カメラメーカーはデジタル化された写真においても、写真を撮った後の顧客の経験に関与することなく写真を撮るという機能価値の提供だけに集中し、そのバリューネットワークを最適化させて事業を存続し拡大してきました。 

写真を撮るという需要は増え続けています。しかしカメラメーカー(事業)が生き残り発展するには、写真を撮る顧客の基本的なニーズに立ち戻って、自社の事業をカメラ事業ではなく写真事業として、提供する価値を顧客中心で再定義する必要があります。もちろん、これはカメラメーカーに限った話ではありません。

特に電子機器のコモディティ化のスピードは速く、インクリメンタルな技術革新によって過去の製品を陳腐化させ、顧客に短期間での買い替えを促すことができる期間も短くなってしまいました。その期間が過ぎると、どんなにすばらしい技術やデザインで過去製品や他社製品との差別化をしようとしても、人々はその差を価値として感じることができなくなります。 それはその製品のコンセプトの賞味期限が過ぎてしまったからです。

デジタルカメラがフィルムカメラに取って代わったとき、 iPodがそれまでの携帯音楽プレーヤーを過去のものにしたとき、あるいはiPhoneが携帯電話を再発明したときを思い出してみてください。いずれもそれまでの製品によって人々のニーズは満たされているようでした。フィルムカメラも携帯音楽プレーヤーも携帯電話も人々の生活の中にとけ込んで、数年経って不具合が出たときに買い替えるようなものになっていました。しかしそのときも、人々は無意識のうちに新しい経験を提供してくれるモノの登場を待っていたのです。そして、その希望は叶えられました。 

デジタルカメラや携帯音楽プレーヤーや、それらを飲み込んだスマートフォンまでもが必要にして十分なものとなったいま、人々はさらに新しい経験を提供してくれるモノの登場を待ち望んでいるはずです。しかしそれに気付いて、その潜在ニーズを満たすのは、デジタルカメラや携帯音楽プレーヤーやスマートフォンのビジネスのチャンピオンではないかもしれません。その前の時代もそうであったように、チャンピオンはさらなる高機能化や多機能化とコストダウンによって、賞味期限が過ぎてしまったビジネスの停滞状況を打開できると信じて、破壊的なイノベーションを仕掛けてくるチャレンジャーの影におびえながら防御を固めてようとしています。

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モノづくりのデザイン思考 (連載 5)

製品のコモディティ化や経済のグローバル化が急速に進み、単一の製品や技術のみで差別化をはかり、そのアドバンテージを長期間にわたって維持して行くことが難しくなりました。製品を提供する企業は、その製品自体の価値だけでなく、製品を使う過程で顧客が感じる価値にも着目した事業戦略や商品戦略を考えるべきだと言われてきました。そのためには、製品のデザインに経験のデザインを含める必要があります。

製品のデザインに経験のデザインを含めるとはどのようなことでしょうか。まず、経験を提供する企業の例として紹介されることが多いスターバックスを見てみましょう。

世界中のどこにあっても一目でスターバックスとわかるが、それぞれがローカライズされている店に入ると、制服を着たフレンドリーな店員が明るく挨拶をしてくれる。トールラテを注文し、マジックペンで自分の名前が書かれたカップを受け取ってちょっと小さめの椅子に腰をかけ、パソコンを開いて仕事をして過ごす。特にラテの味がスターバックでなければならないということはない。

あるいは毎朝、スーツを着て沢山の書類を抱えてスマートフォンで電話をしながらグランデを注文し、そのままあわただしく店を出てゆく。ラテを飲み干して緑のマークのついたカップを捨てるまでの経験もスターバックスが提供する価値だ。ラテの味が同じであるなら別のコーヒーショップで買ってもいいはずだが、スーツ姿のビジネス(ウー)マンは、自分のライフスタイルにはスターバックスが提供する経験が「欠かせないもの」だと考えている。

スターバックスは、それまでなかった新しい経験をデザインしています。スターバックスに限らず、サービス業ではコンバージョンやリテンションなどのマーケティング施策として、顧客により良い経験を提供する必要があります。しかしスターバックスの場合は、経験そのものが商品であると言ってもいいでしょう。スターバックスのラテは、ブランディング戦略によって差別化がはかられてはいるものの、どう見てもミルクとコーヒーだけのコモディティ商品です。顧客はより意識的に、そのデザインされた経験に対価を払っています。
 
スターバックスのようなサービス業(小売業)は、店舗という顧客接点を持ち、その「空間」と顧客がそこで費やす「時間」という閉領域での顧客の経験をデザインします。Webのホームページというチャネルも、経験を提供する「空間」の延長として考える(デザインする)ことができます。

これまで一般消費者向けの製品をつくる製造業は、造った製品を流通業に販売するだけで、その製品を購入した顧客との接点はほとんど持っていませんでしたが、インターネットによって製造業も顧客との接点を持つことができるようになりました。しかし製造業の経験のデザインとは、顧客接点での経験をデザインすることではありません。

コンテンツや情報がデジタル化され、それを記録したり保存したり伝達したりするメディア(媒体)が変化したことによって、破壊的なイノベーションが起きた市場があります。iPodをきっかけに、音楽とその関連市場は大きく変化してきました。デジタルカメラによってフィルム産業は完全に破壊されてしまいました。これらの製品やサービスは、音楽や写真という「コンテンツ」の流れを変えることによって、それまでにない新しい経験を人々に提供したのです。

Nike+は破壊的なイノベーションを起こすことはありませんでしたが、ランニングシューズ(に仕込まれたセンサー)から、ランニングの時間や走行距離や消費カロリーやペースなどの「情報」がインターネットに送られ、それらをランニング仲間や世界中の見知らぬランナーたちと共有してランニングのモチベーションを高めることができるという、それまでにない新しい経験を人々に提供しました。
技術は人々が何かをする手段を変えるが、その基本的なニーズは不変だ - D.A.ノーマン
人々の基本的なニーズは不変で、技術によってその手段が変化してゆく。音楽を聴いたり、写真を撮ったり、ランニングをしたりする目的は人によってそれぞれ異なるでしょうが、ひとりの人に注目すると、新しい技術によって提供された製品やサービスによってその方法が変わっても、その基本的なニーズは不変だということです。技術の進化が無限であれば、人々が何かをする手段も無限に変化する可能性があるはずです。

デジタル化されたコンテンツや情報を記録したり保存したり伝達したりするメディアの技術の進化のスピードは速く、人々が何かをする新しい手段とともに新しい経験が次々と提供されてきました。iPhoneの音楽アプリはiPodを飲み込み、そしてストリーミング配信サービスがそれに取って代わろうとしています。

サービス業では「空間」と「時間」の閉領域での経験をデザインしますが、製造業では顧客が製品を使うところから「空間」と「時間」を大きく拡張して、製品に関連するコンテンツや情報の新しい流れをつくることによって新しい経験をデザインします。

携帯音楽プレーヤーで音楽を聴く顧客は、その音楽をどのように知って、なぜそれを聴こうと思ったのでしょうか。その音楽はどのように入手するのでしょうか。そしてその音楽を聴いた後の「空間」と「時間」で、新しい経験を提供することはできないでしょうか。音楽というコンテンツとそれに関連する情報以外に、活用できる情報が隠れていないでしょうか。カメラで写真を撮る顧客は、なぜその写真を撮ろうと思ったのでしょうか。そしてその目的は達成できたでしょうか。

製品のデザインに経験のデザインを含めるということは、製品に関連するコンテンツや情報の新しい流れをつくるためのサービスをインターネットを使って提供するということだけでなく、その流れに合わせて製品自体も再定義するということを意味しています。

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モノづくりのデザイン思考 (連載 6)

顧客中心のデザインプロセスあるいはイノベーションプロセスとして「デザイン思考」というアプローチがあります。これは米国の有名なデザイン会社であるIDEOや、スタンフォード大学のデザインスクール(d.school)などにおいて提唱されたもので、その考え方や方法論が広く学ばれ実践されています。

D.A.ノーマンは、エンジニアとビジネスパーソンに対するデザイナーという軸で、デザイン思考を次のように説明しています。
まずデザイナーは、 取り組むべき基本的で本質的な問題が何であるかを特定することに時間を費やす。そのほんとうの問題を特定するまで、その解決策を探すようなことはしない。さらに問題を特定した後でも、すぐにその問題を解決しようとするのではなく、立ち止まって広い視野で可能な解決策を広い視野で考える。そしてようやく自らの提案に集中する。このプロセスをデザイン思考と呼ぶ。
例えば、ビジネスパーソンが「CDウォークマンが大きすぎるから小さくしてくれ」とか「CDがかさばるから携行しやすくしてくれ」などと言う。それを受けたデザイナーは、それにまともに対応するのではなく、顧客が「大きすぎる」とか「かさばる」といった不満を言うのはなぜだろうと、その裏にある取り組むべき基本的で本質的な問題は何かを考えることから始めるということです。

設計工学において(主に機械工学で)用いられているプロセス論に図に示すようなものがあります。
Axiomatic
出所:公理的設計 , Nam Pyo Suh

顧客領域で明確に定義した顧客ニーズを、機能領域において要求仕様に落とし、それを実体領域で設計してプロセス領域で生産する。機能領域の要求仕様は顧客領域の顧客ニーズの写像であるべきですが、エンジニアは機能領域から関わることが多く、すでに他者によって要求仕様が指定されていたり、あるいは利用可能な技術の視点からエンジニアによって、顧客領域であるはずの顧客ニーズが設定されてしまったりもします。N.P.スーの著書「公理的設計 - 複雑なシステムの単純化設計」の中でも顧客領域についてはほとんど触れられていません。

この顧客領域から顧客中心で取り組もうというのがデザイン思考です。そしてその考え方はデザイナーの世界から提案され、大学やデザイン学校の先進的なカリキュラムとなっていますが、まだ設計工学(デザイン・エンジニアリング)の世界には浸透していないようです。そのため、デザイン思考はデザイナーによって語られ用いられ、 デザイナーが顧客領域に関与できるサービス業やウェブ・サービスなどの分野で成果物を生むにとどまっています。
製品のイノベーションには2つの形がある。その1つは自然な、ゆっくりとした進化のプロセスによって起こるものであり、もう1つはラディカル(不連続)な新しい発明によって可能になるものだ。一般に、人々はイノベーションをラディカルで大きな変化と考えがちであるが、もっとも一般的でパワフルなイノベーションは実際には小さくインクリメンタルなものだ。 
 
インクリメンタルなイノベーションは既存の製品をもとにそれらをよりよくするという取り組みである。それに対しラディカルなイノベーションは何もないところからスタートし、何かを可能にする新しい技術によってドライブされることが多い。 
ノーマンはさらに「顧客中心のデザイン手法はインクリメンタルなイノベーションに適しているが、ラディカルなイノベーションを導くことはできない」と述べています。しかし、技術だけからの発想では「釘を探すハンマー」と揶揄されるようなニーズのない、あるいはニーズを顕在化することができない製品やサービスをつくってしまうことにもなりかねなません。

製品が革新的であるか否かと、それを可能にした技術がラディカルなものかインクリメンタルなものかとは関係がありません。それは、1979年に発売された初代ウォークマンを開発するきっかけになったエピソードからもわかります。
そもそもは井深(大、ソニー創業者)さんが海外出張に行く際に、飛行機の中で自由に音楽を聞きたいということで、「何かおもしろいものはないか?」と、当時テープレコーダーを作っていた私の部署に、ふらりと来たことがきっかけだったんだ。

私たちは現場で、既にソニーが発売していたモノラルタイプの小型テープレコーダーを、ステレオタイプに改造して遊んでいたんだよ。手のひらに乗るほど小さな機器だったんだけれど、ヘッドフォンにつなぐといい音が出せたんだよね。

それを井深さんに頼まれて、飛行機に持ち込めるような形にした試作品を作ったんだ。小さくしたままステレオ化するために、スピーカーと録音機能を外して、再生専用機にした。これが初代ウォークマンの試作機だよ。

井深さんから相談を受けた大曽根さんは(飛行機の中だけでなく)歩きながら音楽を聴くという、それまでになかった新しい経験を人々に提供する革新的な製品を創り出しました。

IDEOの共同創業者のティム・ブラウンは、デザイン思考を「採り得る事業戦略によって顧客価値と市場機会に転換することができ、かつ技術的に実現可能な製品やサービスを、デザイナーの感性と手法を用いて人々のニーズに調和させる専門分野である」と定義しています。すなわちデザイン思考とは、何らかのシーズと人々のニーズとを調和させてプロダクトをつくるための方法論であり、そのシーズは「技術的に実現可能なもの」「顧客価値と市場機会に転換できるもの」ということです。前者はプロダクトのアイデア、後者は技術やデータやコンテンツなどの企業の保有資産と考えるとわかりやすいと思います。この顧客中心のデザイン思考の考え方は、革新的な製品を生み出そうとするときにもきっと役に立ちます。

技術も必ずしも自前のものである必要はないでしょう。逆に自前の技術にこだわると、それが足かせになって画期的なアイデアの実現を妨害してしまうこともあります。デジタルとインターネットの現代においては、複数の技術を組み合わせて応用することが求められます。事実、iPhoneには日本の多くの革新的な技術が使われています。

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モノづくりのデザイン思考 (連載 7)

製造業の成長戦略については、経済学者のH・イゴール・アンゾフが1957年にハーバード・ビジネス・レビュー誌に寄稿した論文の中で示した成長マトリックスで俯瞰することができます。
アンゾフ
(アンゾフの成長マトリックス)

このうち「市場浸透」「市場開拓」「製品開発」の3つは拡大化戦略と呼ばれています。「市場浸透」は現在の市場で販売促進活動を行い、そして「市場開拓」は海外展開などによって新たな顧客を開拓し、いずれも主に販売部門の取り組みによって既存の製品の販売を伸ばすための戦略です。「製品開発」は製品のモデルチェンジやバリエーションの拡大などによって、既存の製品の買い替えや新規購入を促進しようとする戦略で、こちらは主に開発部門の取り組みになります。これらの3つが企業の部門レベルの戦略であるのに対し、アンゾフは、残る「多角化」を企業が全社的な戦略として取り組むべきものと位置付けています。

1984年に日経ビジネスから発刊された「会社の寿命」では、企業の寿命、1つの企業が繁栄を謳歌できる期間はわずか30年とされています。もちろん30年以上続いている会社はたくさんあるので、それは1つの事業の寿命を意味していると考えるべきでしょう。「盛者必衰の理」という副題の通り、運良く大きく成長した事業も、やがて成熟期を経て衰退していくことは避けられません。会社を存続させるには、多角化によって次の事業を継続的に育てていかなければなりません。
成長カーブ
(事業の成長カーブ)

製造業の多角化戦略は、技術とドメインという軸で表すことができます。アンゾフの成長マトリックスにおける「市場」は主に地理的な市場を指していますが、こちらでは製品や事業の領域を意味する「ドメイン」という言葉を使います。
多角化
(多角化戦略)

アンゾフは「多角化」を、さらに「水平型」「垂直型」「集中型」「集成型」の4つに分類しています。,魯▲鵐哨佞水平型の多角化と呼んでいるものに近いもので、すでに獲得している経営資源やバリューネットワークの多くを活用して、革新的な技術の開発や導入によって製品のイノベーションに取り組みます。写真というドメインにおいてカメラメーカーが新しいデジタル技術を導入し、フィルムカメラからデジタルカメラへの製品のイノベーションに成功した事例があてはまります。

△麓社の既存の製品や保有技術を応用した新しい製品によって、別のドメインに参入するという集中型の多角化です。富士フィルムは写真市場で培った化学などの技術を駆使して液晶フィルムや医薬のドメインにシフトし、アップルは自社のコンピュータ、OS、アプリケーションソフトウェアという製品・技術に関連したiPodという製品によって音楽という新しいドメインに参入しました。

M&Aや企業合併などによって、自社にない新しい技術を獲得して新しい事業ドメインへ参入する、いわゆるコングロマリット(複合企業)化戦略には賛否両論があるようです。現業との関連性が薄くシナジーが期待できない事業ドメインへの多角化は、経営資源の分散による経営コストの上昇や企業イメージの希薄化を招くというデメリットがあるとされています。しかしすべての戦略にいえることですが、コングロマリット化戦略自体が良いか悪いかではなく、その戦略の進め方やその企業の体質、そして置かれた状況との相性などで成否が分かれます。

ジャック・ウェルチの行ったGEのコングロマリット化戦略は、それが長期に渡って成長する事業を発掘し利益体質を持続したという点で稀に見る成功事例だと言われています。そのM&Aは企業規模の拡大を目指すというものではなく、同時に絶え間ない「選択と集中」を行うことにその狙いがありました。

ジャック・ウェルチが会長に就任した1981年には、GEは250億ドルの売り上げと15億ドルの利益を出し40万人もの社員を抱えていました。会長に就任するなり、その市場においてNo.1かNo.2になれない事業は売却・閉鎖によって切り離すという方針を打ち出し実行しました。エアコン事業、炭坑事業、小型家電事業などを次々と売却し、85年までに社員数も30万人までに削減しました。その年のRCAの買収をきっかけに、ダイナミックに大型の企業買収と売却を繰り返すことによって成し得たGEの伝説的な成長は、ジャック・ウェルチの自叙伝『我が経営』に詳しく書かれています。

普通の経営者なら、少しでも利益を出している事業から利益を絞り出そうとするでしょう。しかしジャック・ウェルチは、競合他社に主導権を握られたり賞味期限の過ぎた事業は未練なく売却しました。そしてその売却益は収益に計上するのではなく、競争力があり将来的にも成長が見込める事業の強化やM&Aに投下して事業の新陳代謝を行う。これは会社全体が落ち目になってからではできないでしょう。赤字幅を少しでも縮小するために売却益を収益に計上して、株主の批判と決算を乗り越えなければならないからです。日本の製造業による事業の縮小や売却の多くは、この残念なケースになってしまっています。
図3
(事業成長の2つのフェーズ)

新たに誕生した事業を大きく成長させるためには、オペレーショナル・エクセレンスが求められます。オペレーショナル・エクセレンスとは、研究開発、企画、生産、サプライチェーンなどの企業を構成するあらゆる業務の高度(エクセレント)な遂行能力を言います。オペレーショナル・エクセレンスは高効率、高生産性を追求し、現場においても徹底的に無駄とリスクの排除を行います。GEのM&Aによる多角化にはイノベーションのフェーズは存在しないので、オペレーショナル・エクセレンスに集中することができます。
図4
(M&Aによる事業の新陳代謝)

オペレーショナル・エクセレンスとイノベーションは共存が非常に困難です。オペレーショナル・エクセレンスは、新しい事業を創造するための試行錯誤を伴うイノベーションの取り組みを無駄とリスクとして排除しようとするからです。ひとつの事業を大きく成長させることに成功した企業が、このジレンマを克服して次の成長を目指してイノベーションに取り組むのか、GEのようなコングロマリット化戦略を採るのかは、二者択一の経営戦略のように思えます。

ジャック・ウェルチは、ニュートロン(中性子爆弾)ジャックというあまり聞こえの良くないあだ名をつけられていたと言われています。それは中性子爆弾が落ちた後は建物は残るが人は残らないという皮肉からきています。GEという企業は残るが見切りをつけられた事業とそれに携わる人は残らないからです。

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お断り これは連載のために過去の記事を書き直したものです。

モノづくりのデザイン思考 (連載 8)

製品のコモディティ化や経済のグローバル化が急速に進み、 単一の製品や技術のみで差別化をはかり、そのアドバンテージを長期間にわたって維持してゆくことが難しい時代になりました。その困難を克服するためには、一般消費者向けの商品をつくる製造業は製品だけではなく、それを利用することによってそれぞれの顧客が感じることができる豊かな経験を提供していかなければなりません。

デジタル化されたコンテンツや情報を記録したり保存したり伝達したりするメディア(媒体)の変化が、市場に破壊的なイノベーションを起こしてきました。音楽市場に破壊的なイノベーションを起こしたiPodは、音楽というコンテンツの流れを変えることによって、人々にそれまでになかった新しい経験を提供しました。

かつて音楽はミュージックショップでCDという物理メディアで売られており、外出先で音楽を楽しみたい人は、選んだCDを持ち出して携帯型のCDプレーヤーで音楽を聴いていました。MDが普及していた日本では、MDにコピーして携帯型のMDプレーヤーで聴いていた人も多かったと思います。

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2001年1月のマックワールドエキスポで、スティーブ・ジョブズは「Macはデジタル時代のライフスタイルにおけるハブとなって、いろいろなデバイスに素晴らしい価値を与えるだろう」とiTunesというMac用のアプリケーションソフトウェアを紹介しました。それは、iTunesを使ってCDの音楽をMacに取り込んで「管理」し、「編集」した音楽をCD-Rに焼き付けて携帯型のCDプレーヤーで楽しむことができるという提案でした。

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アップルは、音楽というコンテンツの流れに「管理」と「編集」のための新しい機能を追加しました。そして2001年10月にiPodが発売され、1,000曲の音楽と編集したプレイリストをそのまま持ち運べるようになりました。スクロールホイールという画期的なユーザーインタフェースを備えたiPodは「どこででも(1,000曲の中から)その場で選んだ音楽を聴くことができる」という新しいユーザー体験を提供しました。
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2003年4月にiTunes Music Storeが開始されると、CDによる音楽の売り上げは徐々に落ち込んでいきました。デジタル音楽配信サービスによって、単に購入する音楽のメディアやビジネスモデルが変化しただけでなく、それまでアルバムというまとまった形で購入していた音楽は、好きな楽曲だけを選んで購入して楽しむものになり、それによって人々の音楽経験も大きく変化しました。

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そしてウォークマンに取って代わったiPodも、あっというまにアプリケーションの一つとしてiPhoneに吸収されてしまい、さらにストリーミング配信がインターネットによる音楽配信サービスの主流になりつつあります。

デジタル・メディアが変化するとき、その対応に遅れをとった企業が衰退したり、新たなプレイヤーがその市場に参入したりする状況をデジタル・コンバージェンス(産業融合)と呼びます。いったんデジタル・コンバージェンスが起きた市場では、技術やインフラの革新が継続的に起きるようになり、さらなる変化を起こしやすくなります。 その市場の次の変化を自ら起こし勝者となるには、製品(モノ)が提供する機能的な価値だけでなく、その製品に関連して経験する「コト」によって顧客が得られる価値にまで視点を拡張して製品をデザインする必要があります。

これまで一般消費者向けの商品をつくる製造業は、造った製品を流通業に販売するだけで、その製品を購入した顧客との接点はほとんど持っておらず、顧客の経験に積極的に関与することができませんでした。しかし、インターネットによって製造業が顧客との接点を持つことが容易になりました。人々は、インターネットにつながったスマートフォンを常に携帯し、ニュースや音楽や動画やゲームなどのコンテンツを消費し、そしてソーシャルネットを利用して、友人や家族や見知らぬ人と頻繁にコミュニケーションを行っています。

この接点を活用して、製品に関連するコンテンツや情報の新しい流れをつくり、その流れに合わせて製品を再定義することによって、製品のデザインに経験のデザインを含めることができます。この連載(モノづくりのデザイン思考)では、その考え方を「モノのデジタル・リマスタリング」と呼び、イノベーションに挑戦する企業(製造業)が、新しい経験価値をデザインするための方法として、前回の多角化戦略の図で示した水平型の多角化を念頭に考えて行きます。

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モノづくりのデザイン思考 (連載 9)

人々の基本的なニーズは不変で、新しく生まれた技術によって、その手段だけが変化して行きます。技術の進化が無限であれば、人々が何かをする手段も無限に変化する可能性があります。

イノベーションを起こすためには、製品やサービスを利用する人々の基本的なニーズを再認識して、そのために提供されている現在の製品やサービス(手段)はどれも未完成で、変えることが可能なものだと信じることが必要です。この考え方で「デザイン思考」を補完して、イノベーションの取り組みに活用することができます。

デザイン思考とその具体的なプロセスは広く学ばれ実践されていますが、IDEOで実施されているプロセスは次のようなものです。
  1. その市場、クライアント、テクノロジー、そして与えられた問題に関して認識されている制約事項を「理解」する
  2. 現実の生活における人々を「観察」し、現在提供されている製品やサービスでは満たされていない潜在ニーズがどこにあるかを探し出す
  3. それまでになかった新しいコンセプトとそれを使うであろう顧客を「視覚化」する 
  4. 「プロトタイプ」を評価し洗練することを何回も素早く繰り返す
  5.  新しいコンセプトを市場に出すために「製品化」する
「理解」は、IDEOのようなコンサルティング会社として、クライアントすなわち製品やサービスを提供する側の状況を理解するということです。コンサルタントとしてクライアントの経営課題に取り組む場合でも、自社の製品やサービスのイノベーションに取り組む場合でも、その会社(自社)の事業の市場や関連するテクノロジーを理解し、そして直面する経営課題に関して認識されている制約事項を理解することなくしては始まりません。もちろん、制約事項に捉われていたのではイノベーションのジレンマに陥ってしまいます。

デザイン思考のプロセスはニーズの発見を起点にしています。現実の生活における人々を「観察」し、何が人々を行動させるのか、さらに何が人々を混乱させるのか、人々は何を好み何を嫌うのか、現在提供されている製品やサービスでは満たされていない潜在ニーズがどこにあるかを探し出す。

しかし問題あるいはニーズは、それを解決する(満たす)答えが現れて初めて顕在化することがあります。それまで潜在ニーズというものは存在しない。iPodやiPhoneのような画期的な製品の場合、答えが提供されてから新たなニーズが生まれたと考えるべきでしょう。
かつては「必要は発明の母」であり、人々が必要と求めるものが先にあり、科学者や企業はそれを察知して発明にいそしむのが常であった。生活や生産からの要求を技術者が追いかけていたのだ。ところが、今や「発明は必要の母」となった。人々は新たに発明されたものを見て、実は必要性があったのだと錯覚して生活に取り入れるようになったからだ。企業が提供する科学・技術に先導され、余分なものでも必要と感じて買いこむというふうに順序が逆転したのである。
科学と人間の不協和音(池内 了)
「人は形にして見せて貰うまで、自分は何が欲しいのかわからないものだ」と言ったスティーブ・ジョブズは、どのようにしてiPodやiPhoneのアイデアを思いついたのでしょう。

D.A.ノーマンは「誰のためのデザイン?」の改訂版で次のように述べています。
インクリメンタルなイノベーションは既存の製品をもとにそれらをよりよくするという取り組みである。それに対しラディカルなイノベーションは何もないところからスタートし、何かを可能にする新しい技術によってドライブされることが多い。HCD(人間中心設計プロセス)のデザイン手法はインクリメンタルなイノベーションに適している。ラディカルなイノベーションを導くことはできない。
ISOで規定されているHCDやデザイン思考のプロセスは、インタラクティブ・システムや、そのほかの製品やサービスのユーザビリティ改善のために考えられたものです。ノーマンはそれらの取り組みをヒル(丘)クライミングと呼び「ヒルクライミングは、登り始めた丘の頂上を発見することができるかもしれないが、最良の丘を上っているとは限らない。別の丘を登るためには、それを可能にする新しい技術が必要だ」と言っています。

イノベーションに取り組む人が「存在しない潜在ニーズ」に気づくためには、まず新しい技術を発見しなければなりません。それには利用可能な技術を見極めて応用する力が必要になります。

すでにiPodやiPhoneの前に、メモリーを内蔵した携帯型の音楽プレーヤーやスマートフォンは存在していたので、ジョブズは、それらを変えることによって、それまでにない新しい経験を提供できると考えたのだと思います。「登り始めた丘を登る」ということは経験の改善を目指す取り組みを指し、そして「別の丘を登る」とは新しい経験を創り出すことを意味しています。ジョブズは、変えるための新しい技術(シーズ)を先に発見していたはずです。

音楽や写真やコミュニケーションやゲームなどのコンテンツや関連する情報がデジタル化されることによって、それらの市場にデジタル・コンバージェンス(産業融合)が起きました。いったんデジタル・コンバージェンスが起きた市場では、さらなる変化を起こしやすくなります。 それはアナログ時代に比べて、メディアの技術革新が頻繁に起こるようになったからです。ウォークマンに取って代わったiPodも、あっというまにアプリケーションの一つとしてiPhoneに吸収されてしまい、さらにストリーミング配信がインターネットを利用した音楽配信サービスの主流になりつつあります。「外出先で音楽を楽しみたい」という人々の基本的なニーズは不変ですが、音楽を記録し保管し伝送するメディアの進化によって、音楽を楽しむための新しい手段が次々に生まれています。

いま、自社の製品やサービスのイノベーションすなわち「別の丘を登る」ために必要な新しい技術として、デジタル化された情報やコンテンツを記録し保管し伝送し表示するメディアの進歩に注目すべきです。製品やサービスに関連する情報やコンテンツの新しい流れを作ることができないか。昨日までは難しかったことが、明日には可能になるかもしれない。それによって、これまでにない新しい経験を提供できないだろうか。製品やサービスに関連するコンテンツや情報の新しい流れをデザインし、その流れに合わせて製品やサービスを再定義する。

IDEOの共同創業者のティム・ブラウンは、デザイン思考とは、何らかのシーズと人々のニーズとを調和させてプロダクトをつくるための方法論だと定義しています。「視覚化」のステップでは、ストーリーボードやビデオなどを使って、まだ存在しない未来の製品やサービスが提供されたときの人々の生活や行動を「視覚化」します。それによって未来の人々の経験を客観的に「観察」し、シーズとニーズが調和しているかを検証することができます。

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お断り これは連載のために過去の記事を書き直したものです。

モノづくりのデザイン思考 (連載 10)

大幅に書き直してWedge Infinityに寄稿としましたので、こちらをご覧ください。

  • データを認識し予測や分類を行うAI
  • ディープラーニングは三度目の正直 
  • 金脈は行動のディープラーニング
  • ディープラーニングが世界を飲み込む

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