デザイン思考で行こう!

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前回、次のようなことを書いた。
エリック・リースは、その著書『リーン・スタートアップ』で、プロダクト・マーケット・フィット、つまりプロダクトを、狙う市場を満足させることができるものに育てるために、プロトタイプの段階から実際の顧客に使ってもらって、「構築 - 計測 - 学習」のサイクルを繰り返すことが重要だと説いた。しかし、それはウェブサービスやスマートフォンのアプリを想定した話であり、そのままハードウェア製品に適用することはできない。

ハードウェア製品で「構築 - 計測 - 学習」のサイクルを繰り返すために必要な時間とコストは、ウェブサービスやアプリのようなソフトウェアとは比べものにならない。その上、顧客に使ってもらうには、製品を購入してもらわなければならない。イノベーターやアーリーアダプターと呼ばれる初期ユーザーを想定したものであったとしても、要求されるプロダクトの完成度は、はるかに高いものだ。だから、ハードウェアのスタートアップはハードだと言われている。
(ジーンズをはいたパナソニックに必要な自信と野心)
しかし、ハードウェアスタートアップにリーンスタートアップは難しいかもしれないが、メーカーがリーンなイノベーションに取り組む方法はある。

イノベーションとは不確実性への挑戦だ。リーンスタートアップは、スタートアップが、その不確実な状況を克服するための方法論だが、メーカーが製品のイノベーションに取り組むときの不確実性を克服するには、製品をつくる前に顧客を獲得しておけばよい。

カシオ計算機は、2018年3月期の決算説明会の場で、デジタルカメラ市場からの撤退を表明した。カシオは、1995年に発売したQV-10で、デジタルカメラ産業の先駆けとなったメーカーだ。しかし、誰もがスマートフォンを持ち、いつでも写真を撮ることができるようになったという状況の変化のなかで、デジカメという製品をイノベーションし、新しい顧客価値を生み出すことができなかった。

今後、カシオは、完成品に集中するのではなく、カメラ性能を違うジャンルの製品に活かしたり、他社の完成品のためのモジュールとして提供したりなどの道を探って行くようだ。これは、自社の保有技術を応用した新しい製品(やモジュール)によって、新しい事業ドメインに進出するというイノベーション戦略だ(図の◆法
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しかし、すでに他のカメラメーカーも同様の取り組みを始めている。カシオの「保有技術」に競争力があるのか、あるいは、他社とは違う事業ドメインに進出するのか。その辺りは明らかにされていない。

リーンイノベーションは、新しい技術を導入して既存製品をイノベーションするための一つの方法だ(図の 法
すでに、インターネットとモバイルというグローバルなビジネスの基盤が整備されている。その上に、ソフトウェアの力によって、さまざまな「ハードウェア製品が扱うコンテンツや関連するデータの流れを変える新しいサービス」をつくることができる。
(メーカーが生き残るために必要なたった一つのこと)
新しい技術とは、インターネットとモバイルというビジネス基盤の上に、新しいサービス、すなわちアプリケーションをつくるためのソフトウェアの力だ。まず、そのアプリケーションを無償で提供し、いったん製品(ハードウェア)のことは忘れて、多くのユーザーを獲得することに注力する。

そのアプリケーションが十分なユーザー(数と質)を獲得できてから、そのアプリケーションに必要なハードウェアをつくる。それまでになかった革新的な製品が市場に提供されたとき、最初は、その価値が理解されず市場に受け入れられるまでに時間がかかる。しかし、そのアプリケーションのユーザーは、その製品の価値をすぐに理解することができるはずだ。

カナダのマーケティング・コンサルティング会社であるツィスト・イメージのミッチ・ジョエルが、その著書Ctrl Alt Deleteのなかで功利主義マーケティングという考え方を提唱している。功利主義(Utilitarianism)とは、自分の利益になることは社会全体にとっても利益になり、逆もまた然りであるというものだ。
功利主義マーケティングは、次にビジネスを大きく変えてしまうものになるだろう。功利主義マーケティングとは広告に関することではなく、メッセージングに関することでも、顧客との直接的な対話に関することでもない。それは真の価値と実利の提供に関することだ。それは消費者がいつも使いたくなるだけでなく、それを使うことによって多くの価値を得ることができる何かであり、それは彼らの生活において大きな注目の的となるだろう。我々が暮らしているこのメディアや広告が溢れた世界において、あなたのブランドはそのような興味をかきたて注目を集めることができるだろうか。(英文を翻訳)
メーカーは、その製品によって機能的価値を提供する。そして、その製品に関連する別の機能的価値をマーケティングとして提供することによって、市場の信頼と評判を獲得しようという考え方だ。

アプリケーションによって、「その製品に関連する別の機能的価値をマーケティングとして提供する」ことに、製品をつくる前に取り組む。そのアプリケーションは、「真の価値と実利」を提供するものでなければならない。それによって、製品をつくる前に顧客を獲得できるだけでなく、アプリケーションのユーザーを獲得する過程において、提供しようとする製品の顧客と顧客価値が明確になり、不確実性を排除することができる。

デジカメに関連するもので、アプリケーションで提供できる機能価値とは何か。いったんデジカメを捨てたカシオは、ゼロから考え直すことができるかもしれない。パナソニックはどうだろうか。その辺は次回に。

お問い合わせやご相談は、contact に @ibornb.red をつけたアドレスまで

川手恭輔(Internet Born & Bred)

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5月7日の日本経済新聞(電子版)に、『勝てるか ジーンズをはいたパナソニック』という記事が掲載された。
パナソニックは4月からジーンズやスニーカーでの勤務を解禁した。朝礼で松下幸之助がつくった「七精神」を唱和する従来のスタイルを徐々に変えようとしている。自らもチノパンをはいて旗を振る社長の津賀一宏(61)はスタートアップに転職した「辞めパナ」を呼び戻したり、外部の力で社内起業を促したりなど必死だ。ジーンズをはいたパナソニックは中身も変われるのか。
このような書き出しで、パナソニックの幹部が考える「パナソニックが魅力的な商品をなかなか出せない原因」と、それを打破するための取り組みが紹介されている。

確かに、パナソニックのイノベーションへの渇望と本気は、他の多くの報道からも伝わってくる。しかし、この記事に書かれているような原因や問題は、日本の大手メーカーの中にいるものであれば誰もが認識していながら、長い間放置されてカチンカチンに固まってしまったものだ。

もちろん、自由な服装での勤務は、社員に(一部のオジサンを除いて)歓迎されるだろう。しかし、それが「とりあえず、スタートアップを真似てみよう」という発想によるものであれば間違っている。そもそも、大企業がスタートアップに学ぶべきことはあまりない。

スタートアップは、野心がジーンズをはいてフーディーをかぶっている。世界を変えてやろう、一攫千金、有名になりたい、そして、もちろん人々が困っていることを解決するといった、さまざまな野心が、ほんの数パーセントという成功の確率への挑戦にスタートアップを駆り立てる。その不確実性と非効率さを、多くの痛みを乗り越えてリストラを断行してきた大企業が受け入れるはずがない。

顧客に問うという間違い

記事中にある「社員のアイデアを素早く商品化して小ロット生産で市場に出し、顧客の声を聞きながら完成度を増す」という考え方は、エリック・リースの「リーンスタートアップ」 の表面的な解釈(誤解)によるものと思われる。

確かに、エリック・リースは、プロダクト・マーケット・フィット、つまりプロダクトを、狙う市場を満足させることができるものに育てるために、プロトタイプの段階から実際の顧客に使ってもらって、「構築 - 計測 - 学習」のサイクルを繰り返すことが重要だと説いた。しかし、それはウェブサービスやスマートフォンのアプリを想定した話であり、そのままハードウェア製品に適用することはできない。外部から人材を招き入れて導入するという、「アジャイル(素早い)」と呼ばれる開発手法も同様だ。

ウェブサービスやアプリのビジネスモデルは、プロダクトの利用が完全に無料であったりフリーミアムであったりする。プロトタイプや、必要な最小限の機能だけを実装したプロダクトを、多くのユーザーに使ってもらうことが比較的容易だ。 改良したプロダクトを公開すること(構築)も、ウェブサービスであれば毎日でも可能だ。

しかし、ハードウェア製品で「構築 - 計測 - 学習」のサイクルを繰り返すために必要な時間とコストは、ウェブサービスやアプリのようなソフトウェアとは比べものにならない。その上、顧客に使ってもらうには、製品を購入してもらわなければならない。イノベーターやアーリーアダプターと呼ばれる初期ユーザーを想定したものであったとしても、要求されるプロダクトの完成度は、はるかに高いものだ。だから、ハードウェアのスタートアップはハードだと言われている。

リーンスタートアップの本質は、早く失敗すること、プロダクトがダメなものであることを資金を使い果たす前に知ることであり、よいプロダクトをつくるための方法論ではない。顧客は「使わない」、ハードウェア製品の場合は「買わない」という無為の行為によって、プロダクトがダメなことを教えてくれるだけだ。しかし、何がダメなのかは教えてくれない。「使わない」理由を訊いて改良しても、顧客は別の「使わない」理由を考え出す。
社員のアイデアを商品化するまでに幾重もの難関がある。社内会議をクリアするために複数のプランのプレゼンテーションやそのための資料を作り、上司の承認をとらなければならない。
スタートアップでも、ベンチャーキャピタルなどからの資金を得るために、自らのアイデアを売り込み、その可能性を理解してもらわなければならない。もし、パナソニックの社内のしくみが問題なのであれば(おそらく問題だ)、まず企画や開発のプロセス全体を刷新して、「社員のアイデア」に限らず、全てのプロダクトを「素早く商品化」できるようにすべきだろう。

日本メーカーが、サウス・バイ・サウスウエスト(SXSW)というショーにプロトタイプやコンセプトモデルを出展することも流行りだが、そのようなスタートアップのお祭りで評判がよくても何の意味もない。「社内で評価されなくてもいい。社外から反響があれば製品化しよう」。プロダクトが提供しようとする価値を、社内では評価することができないから顧客に丸投げする。日本を代表するメーカーが、そこまで自信をなくしてしまっているのか。

提供しようとする価値への自信

プロダクト・マーケット・フィットとは、プロダクトとマーケットとのギャップを埋めるプロセス。プロダクトとはメーカーが提供しようとする価値を形にしたものであり、マーケットとはその形から顧客が得られる価値だ。ギャップとは「提供しようとする価値 > 顧客が得られる価値」であり、それは「形」を改善して顧客が得られる価値を向上することによって埋める。

「提供しようとする価値 = 顧客が得られる価値」になっても、マーケットがプロダクトを受け入れない場合は、提供しようとする価値が間違っているということだ。しかし、提供しようとする価値が明確でなかったり、それにメーカーが自信を持っていなければ、いったい何を「形」にし、どのようにプロダクト・マーケット・フィットをしようというのだろうか。

SXSWに出展され、おもわぬ好評を得たという「料理をしながら栄養とカロリーがわかるレンジのような箱」は、どのような価値を提供しようとしているのだろうか。「料理をしながら栄養とカロリーがわかる」というのは機能であり価値ではない。思いついたアイデアで、先に「形」をつくってしまうと、その価値に自信を持つことができない。

メーカーは提供しようとする価値を明確にし、それを社内で共有して「形」にし、自信と責任を持ってプロダクト・マーケット・フィットに取り組まなければならない。新しい価値を提供しようとする製品のプロダクト・マーケット・フィットには時間とコストがかかる。その価値が十分に共有されていなければ、社内に不協和音が生まれて、途中で投げ出してしまいかねない。

ディスラプションへの野心

戦後、欧米のメーカーという明確な目標があって、その目標に追いつき追い越すことに成功した日本のメーカーは、85年のプラザ合意後の円高不況で、グローバルな競争力が急速に低下した。そして、次の目標を見出せないまま、リーマンショックとその後の円高に遭遇して壊滅的な状況に陥ってしまった。

最近になって、金融緩和政策によって誘導された円安とリストラによって、表面的には業績が回復したように見えるが、実は、パナソニックに限らず、日本のコンシューマ・エレクトロニクス製品のメーカーから「魅力的な商品をつくる」力が完全に失われている。多くのメーカーは、生産のコストダウンや海外シフトに気を取られ、競争のパラダイムが生産の力からソフトウェアの力に急速に移りつつあることに気がつかなかった。

製品のイノベーションというと、それまでまったく存在しなかった製品を発明することと考えがちだが、人々の生活に大きな影響を与えるような製品は、iPhoneやiPodのように既存の製品を置き換えるものであることが多い。新しい製品を発明する時代は過ぎた。現代はインターネットとモバイルというグローバルなビジネスの基盤が整備されている。その基盤の上で、ソフトウェアの力によって、すでに大きな市場と多くの顧客を獲得している製品を、再発明して置き換える時代だ。パナソニックは、その対象となる多くの製品事業を抱えている。

パナソニックが「魅力的な商品をつくる」には、自社の製品を置き換えてやろうという野心が必要だ。それは、既存事業を破壊し再構築するディスラプションを招くことになる。長い間放置されてカチンカチンに固まってしまった「パナソニックが魅力的な商品をなかなか出せない原因」を破壊するには、トップは胆力を持ってハンマーを振るう必要があるが、その前に、再構築後のビジョン(目標)を示して社員の野心を掻き立てなければならない。

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川手恭輔(Internet Born & Bred)

Wedge Infinityに寄稿したコラム「中国を見よ!AIスピーカーをやっている場合ではない理由」は、NEWSPICKSで取り上げられて、いろいろなコメントをいただきました。

音声アシスタントはまだまだ発展途上だと思いますが、それは、スマートフォンというハードウェアや、スマホアプリやその先のサービスというエコシステムとは別の、新しいエコシステムを形成する可能性があります。

スマートフォンのエコシステムで存在感を示せなかった日本のメーカーは、その失敗を繰り返さないように、彼らが構築しようとしているエコシステムの構図や可能性を見極め、どのようにポジショニングするかを考える必要があると思います。

例えば、テレビがIoTの標準的なフレームワーク(openHABなど)をサポートすれば、ユーザーがAIスピーカーを使って、音声でテレビを操作できるようになります。しかし、標準的な仕様ですから、可能になる操作は電源のON/OFやボリュームのアップ・ダウン、チャンネルの切り替えといった一般的なものになると思います。

いまのテレビの操作はそんな程度で構わないのかもしれませんが、それではテレビの価値向上とは言えませんし、ユーザーが同じメーカーのAIスピーカーとテレビを購入する意味がありません。

AIというシーズ起点で、ハードウェアをソフトウェアで再定義しようとするとき、次の3つの可能性を考えることができると考えています。

・ユーザーの作業の自動化
・ユーザーインターフェース(音声やテキスト)
・連携するWebサービス(検索やレコメンデーション)

テレビの再定義というと、Netflixなどオンデマンドの配信サービスや、Chromecastなどの受信端末を思い浮かべるかもしれません。今後、そのような動画の視聴スタイルは広がると思いますが、それは「テレビの再定義」ではなく、リビングに置かれた大きなスクリーンの新しい使い方になると思います。

「オンデマンドでない放送コンテンツの受信機」というテレビをソフトウェアで再定義するとは、単なる機能の追加ではなく、上の3つの可能性を組み合わせて新しい体験を創り出すことだと考えます。

ソニーとパナソニックは、テレビやデジタルカメラなど、ソフトウェアによって再定義できる可能性があるハードウェア製品を多く持っています。その再定義に取り組むことは非常に面白いと思うのです。

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ソニーとパナソニックが相次いでスマートスピーカーを発表しました。日本に導入される前に、スマートスピーカーは乱立状態になってしまっていますが、それは日本を代表するメーカーが手がけるべき製品とは思えません。その3つの理由は中国にあります。
  1. すぐにシャオミゼーションの餌食になる
  2. コピーキャットがイノベーターに変身する
  3. 「もの造り」もコモディティ化する
しかし、「もの創り」へのAIの応用は、日本のメーカーに残されたチャンスです。スマートスピーカーなどをつくっている場合ではありません。

中国を見よ!AIスピーカーをやっている場合ではない理由 → Wedge Infinityへ

パナソニックは4月19日のプレス向けの研究開発戦略説明会で、「さらなるイノベーション推進に向けて、今後の成長エンジンとなる新事業モデルの仮説を自ら構築し、リソースを集めて挑戦する仕組みと体制を本社主導で整備する」との発表を行いました。そこで、4月1日に新設されたビジネスイノベーション本部は、次のようなミッションを持つとの説明がありました。
  • 「モノ売り」から脱却し、サービス中心の事業創出を推進
  • 既存に対する破壊的技術になり得る、IoT技術に基づく事業創出を推進
  • 加えて、人工知能(AI)技術などの破壊的技術で事業創出を推進・支援 
また、3月25日の日本経済新聞は「パナソニックは不採算の6事業を対象に一段のリストラに踏み切る」と報じました。デジタルカメラなど、3つの事業部を解体して人員を減らすことなどが計画されています。これまでにもプラズマテレビやプラズマパネルから撤退し、鉛蓄電池などの事業を売却するなどのリストラを断行してきましたが、今回が赤字事業の最終処理だとのことでした。

大規模なリストラによって経営の健全化は進んでいるようですが、まだ新たな収益源の育成に向けた戦略は見えません。5年以内に人工知能(AI)領域の技術者を1,000人規模にまで増強してサービス中心の新しい事業を創出するという「意思」が示され、ビジネスイノベーション本部という「箱」はつくられましたが、それは「戦略」にはなっていません。しかし、新たな本部の副本部長に就任した元SAPジャパンの馬場渉氏が説明会で話した「ユーザーエクスペリエンスとデザインシンキングをパナソニック全社に適用する」という言葉には注目させられました。  
 
AIとデザイン思考でパナソニックは蘇るか?(Wedge Infinity)


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「2016年はIoTのためのMVNOが加速するか」という記事で予告した月刊Wedge2016年1月号の記事は、次のように結んだ。
うがった見方をすれば 、アップルの狙いはeSIMを提供することによって、3rdパーティのiPhoneやiPadのアプリだけでなく、ハードウェアまでもそのエコシステムに組み込もうとしているのではないかと考えることもできる。いろいろなモノにアップルのeSIMが組み込まれてインターネットにつながる。
人々はiPhoneやiPadを使って、モノからの情報を受け取ったりモノに指示を与えたりする。アップルは、そんな世界を創ろうとしているのではないだろうか。このまま日本のモバイル通信がガラパゴス状態から抜け出せないと、IoT時代のエコシステムもアップルに抑えられてしまいかねない。
7月16日のフィナンシャルタイムスは、「アップルとサムスンは、eSIMカードを製品化するために、移動通信の業界団体(GSMA)に参加する話し合いを最終段階に向けて進めている」と報じた。それをうがって見てみたのは、「モノのインターネットの通信は金にならない」からだ。
スマホ向けの格安SIMを提供するMVNOが、(例えば)NTTドコモに支払うXi(LTE)サービスの2014年度の接続料は、10Mbpsという帯域について月額945,059円だ。それを超えると、1.0Mbpsごとに94,505円増加する。もちろんMVNOにとっては、10Mbpsという帯域ではビジネスにならない。その数倍、数十倍の帯域を調達して、多くの顧客を獲得しなければならない。

それに対しIoT端末は、通信するデータ量が小さく、そのスピードも遅くて構わないケースが多い。また、通信の時間をうまく分散できれば、それほどの帯域は必要ない。

例えば、128kbpsの低速で、1回の通信で50文字(半角)のテキストデータ、例えばGPSによる位置情報などをクラウドに送信するIoT端末を考えてみる。単純に10Mbpsを128kbpsで割れば、同時に78台のIoT端末が128kbpsで接続可能だ。128kbpsで50文字(400ビット)を送信する時間は1/320秒なので、1秒を320台で分割すれば合計25000台のIoT端末が通信することができる。

さらに乱暴な計算を続けると、それぞれの端末が1分間に1回の頻度で通信する必要があるケースであれば、10Mbpsの帯域で150万台のIoT端末に通信サービスが提供できることになる。
このような(乱暴な計算の)例の場合、100万円程度で調達した通信を150万台のIoT端末向けに販売するならば、その調達価格は1台あたり月額1円にも満たない。MVNO事業には通信交換機や課金・認証などの初期投資だけでも数十億円かかる設備を保有し、さらに運用や保守も自社で行う必要がある。

これまでのMVNOの形態で、モノのインターネットのためのモバイル通信サービスを提供することは難しい。
アップルがIoT向けのMVNOに乗り出す?

しかしアップルには、その「金にならないモノのインターネットの通信」に参入する戦略的な意味がある。
ジョブズといえども、iPhoneに匹敵するような大成功をもたらす革新的な製品を、また「発明」することは容易なことではなかっただろう。クックが、スマートフォンの市場を拡大して、iPhoneのシェアをさらに増やすことを最も優先すべきだと考えるのは自然なことだ。iPhoneで得られる経験価値をさらに向上させ、iPhoneでなければならない理由をつくる。

WWDCで発表されて大きな話題を呼んだ定額の音楽ストリーミング配信サービス(Apple Music)も、その戦略の一環だと考えることができる。App StoreやiTunes Storeなどで販売される音楽やアプリなどの売り上げは全体の1割にも満たない。しかし、それらのサービスなくしてはiPhoneのビジネスが成り立たないことは明白だ。Apple Musicから得られる利益も、Appleにとって重要なものではないだろう。元々、Appleとしては利益を度外視しているのではないかと思われるほどの、競合他社に圧倒的な差をつけるための価格設定を狙っていたようだ。

Apple Watchも、そのような視点からAppleにおける、その戦略的な位置づけを考えることができるのではないだろうか。Apple Watchを購入すると「iPhoneでなければならない理由」ができ、その顧客はAndroidへの乗り換えを躊躇する。Apple MusicやApple Watchが、少しずつ人々の生活を変えればいい。それによってiPhoneが、さらに人々の生活になくてはならないものになっていく。
すでにアップルは昨年10月から、ユーザが購入後に携帯通信キャリアとデータプランを選ぶことができる独自のApple SIMが付属したiPadを販売しているが、アップルがモバイル通信サービスを提供しているわけではない。しかしアップルが(例によって半ば強引に)世界各地の携帯キャリアと接続し、MVNOとして「モノのインターネットの通信」を、「インターネットにつながったモノ」をつくろうとする企業に提供することは十分に考えられる。

一般消費者向けの「インターネットにつながったモノ」のビジネスモデルにおいて、その通信をどのように提供するかということは大きな課題だ。モノを購入した後で、携帯キャリアやMVNOからSIMを購入して月々の利用契約をしなければならないとしたら非常に面倒だろう。

「インターネットにつながったモノ」を購入する。そのモノと連携するiPhoneのアプリをApp Storeからダウンロードする。そのサービスを利用するには、アプリの利用料金を支払う必要があるが、それにはモノの通信料金が含まれている。ユーザは通信料金を払うのではなく、モノとサービスを利用することで得られる「新しい体験」に対価を支払う。いろいろなモノにアップルのeSIMが組み込まれてインターネットにつながる。それがiPhoneで得られる経験価値をさらに向上させ、iPhoneでなければならない理由をつくる。

米テスラ・モーターズの電気自動車「モデルS」はインターネットにつながっており、スマートフォンのアプリを使って離れた場所から管理・操作することができる。航続可能な距離や充電状況を確認したり、充電完了の通知を受け取ったり、遠隔操作でルーフの開閉や空調のコントロールをしたり、駐車した場所をGPSによって確認したりすることができる。日本ではNTTドコモのSIMが搭載されているが、テスラのオーナーはドコモにもテスラにも通信料金を支払う必要はない。1,000万円もするモノであれば、通信するデータ量が小さく、そのスピードも遅くて構わないIoT端末の通信料金のコストを、端末本体の価格に算入してしまうことが可能になる。

米国で販売されているサムスンのスマートウォッチGalaxy Gear S2には、eSIMが内蔵(エンベッド)されたモデルがある。その3G/4Gに対応したモデルは、AT&T、Verizon、T-Mobileのいずれかのキャリアから購入し、同時にモバイル通信プランを契約する必要がある。例えばAT&Tで購入する場合は、複数の端末で5Gバイトのデータ通信と無制限の音声通話が利用できるモバイル・シェアというプランが月額50ドルになる。これはスマートフォンとGalaxy Gear S2で一つの契約を共有することなどを想定している。別々に購入したスマートフォンとGalaxy Gear S2をペアリングすれば、スマートフォンを持っていないときでも、Galaxy Gear S2で電話をかけたり、メッセージやeメールを送ったり、スマートフォンへの着信通知を受け取ったりすることができる。T-Mobleで購入する場合は、2年縛りで月額15ドルのモバイル通信料金と15ドルのGalaxy Gear S2の割賦料金というプランがあるが、スマートフォンの契約があればモバイル通信の追加料金は5ドルになる。

一般消費者向けのIoT製品の勝負はこれから

日本の製造業から、一般消費者向けのイノベーティブな製品が生み出されなくなって久しい。スマホエコノミーにおいても、その存在感は希薄になってしまった。
スマホエコノミーのスマートフォンの部品のレイヤーには、村田製作所(チップ積層セラミックコンデンサー)、日本電産(振動モーター)、アルプス電気(オートフォーカスと手振れ補正用アクチュエーター)などの、高い技術力を持った日本のメーカーがいる。皮肉なことに、スマートフォン事業が低迷するソニーも、イメージセンサーを他のセットメーカーに提供する事業は好調だ。
しかし、テスラにしてもサムスンにしても「インターネットにつながったモノ」で可能になることは、まだ「新しい体験」と言えるほどのことではない。"nice to have"かもしれないが"must have"なものではないだろう(まあ、なくても良いものだと思う)。テスラの場合は、その通信料金をユーザが意識することがないので「おまけ」と考えることもできるが、サムスンの場合はビジネスモデルを含めてまだまだ試行錯誤の段階だろう。一般消費者向けのIoT製品の勝負はこれからだ。日本の製造業にとっても反転攻勢に出る大きなチャンスと言える。

2014年10月にパナソニックは、企業向けのMVNOに参入すると発表した。同社は2007年にhi-hoというプロバイダー事業から撤退したが、2013年にスマートフォン向けのWonderlinkというブランドの格安SIMの通信ビジネスに再参入した。これはMVNOではあるが、「通信交換機や課金・認証などの初期投資だけでも数十億円かかる設備」を保有するMVNEと呼ばれる他社(富士通とIIJ)のソリューションを利用したものだ。新しい企業向けのMVNO事業は、これらの設備を自社で保有して「お客様の用途に合わせたフレキシブルな無線通信サービスプラン提供を実現し、当社の無線対応機器および保守・運用サービスと組み合わせ、ハードから通信回線・運用まで一気通貫のワンストップソリューションとして企業向けに提案」するという。

言うまでもなく、パナソニックは多くの一般消費者向けの製品をつくる日本を代表する製造業だ。「金にならないモノのインターネットの通信」を事業として考えるよりも、せっかくの自前のMVNOを武器として活用し、自社の製品をIoT化することによって「新しい体験」の価値を創造することにチャレンジして欲しいと思う。
製造業のイノベーション戦略を考えるには、製品と市場という軸を、それぞれの上位概念である技術とドメインという軸で表すとわかりやすい。,魯▲鵐哨佞水平型の多角化と呼んでいるものに近い。すでに獲得している経営資源やバリューネットワークの多くを活用してプロダクトのイノベーションを行う。
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この,「インターネットにつながったモノ」であり、それに必要な「新技術」とは、モノをインターネットにつなげるためのモバイル通信や、モノと通信するクラウド上のサービスや、そのサービスを経由してモノから情報を受け取ったり指示を与えるためのスマートフォンのアプリに関する技術だ。
これまでハードウェアの価値の向上に集中してきた製造業にとって、 Webサービスやスマートフォンのアプリケーションなどは非常に不得手な分野に違いない。ソフトウェアというと、膨大な投資で開発運用する社内の総務関係や生産管理のITシステム、あるいは機器に組み込まれメカや電気の隙間を埋めるだけのファーム・ウェアと呼ばれるものしか思い浮かばない経営層も多いだろう。自社の事業にとっての、スマートフォンのアプリの重要性など想像もつかない。これは、IoT時代を生き抜こうとする製造業にとって致命的な問題だ。
パナソニックの企業向けMVNOは、パナソニックAVCネットワークスという別会社の事業のようだが、製品事業部との壁は他企業との壁よりも厚いのかもしれない。その壁を壊すことが、「アプリの力」以上に必要なことだろう。

「2016年はIoTのためのMVNOが加速するか」という問いについては、「モノのインターネットのための通信は金にならない」ので「これまでのMVNOの形態で、モノのインターネットのためのモバイル通信サービスを提供することは難しい」だろうと答える。しかし、一般消費者向けの製品をつくる製造業において、「インターネットにつながったモノ」をつくるためのバリューネットワークとしてのMVNOを水平統合するという戦略は検討する価値があるのではないだろうか。

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1月7日にパナソニックが発表した「米ディーバ社とデジタルカメラの通信機能の拡充に向け提携」というプレスリリースを見たとき、「カメラを再発明しよう」で書いた潜在的なニーズを 解決するものかもしれないと少し期待をした。
人々は人生の記録のための包括的なソリューションを求めている。
前回の記事でも次のように書いた。
いま、あなたの顧客はスマートフォンのカメラで撮った写真をInstagramで共有したり、仲の良い友達とのセルフィー(自撮り写真)を楽しんでいるかもしれない。あるいは、デジタル一眼レフカメラで家族や友人の結婚式で数百枚の写真を撮っているかもしれない。
彼らが諦めていることが理解できるだろうか。
しかし残念なことに、それは「カメラの再発明」ではなかった。

プレスリリースでは、クラウドをどのように利用するかがわからなかったが、産経WESTの記事によると、ユニークな画像を発信したい投稿愛好者にとっては、スマホのカメラは機能不足で、高性能のデジカメで撮影した写真を自宅のパソコンの画像処理ソフトを使って修整・加工してから、SNSにアップするケースも多いということに着目したソリューションのようだ。パソコンの画像処理ソフトを使わなければならなかったことを、写真を撮った後にカメラでやってしまおうという発想だ。そして、カメラのパワーでは難しいのか、パナソニックに画像処理のノウハウがないのか、それをディーパ社のクラウドの力を借りてやろうということらしい。せっかくLTEをサポートし文字通り(常時)インターネットにつながったデジカメができることは、写真を撮って修正・加工してからSNSにアップするというスマートフォンと同じでしかない。少しスマートフォンを意識しすぎている。カメラの価値は他にあるはずだ。

ユニークな画像を発信したい投稿愛好者は高性能のデジカメで撮影するといっておきながら、このソリューションで提供されるDMC-CM1は、1インチセンサーとf/2.8、28mm相当の単焦点レンズというかなりユーザーが限られるスペックのいわゆる高級コンパクトというジャンルに分類されるデジカメだ。ターゲットはミラーレスを含むレンズが交換可能なデジタル一眼レフのユーザーではないのだろうか。彼らはカメラに強いこだわりをもっている。解決しようとする問題と解決策が矛盾しているように思う。スマートフォンのカメラも高性能になってきており、この程度のスペックであれば、わざわざSNS投稿のために別途購入しようとは思わないだろう。

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DMC-CM1(出展:パナソニックの発表資料)

海外で入手した友人にDMC-CM1を見せてもらったことがあるが、カメラでの画像操作はあまり快適とはいえなかった。画像をクラウドに送って修正や加工をするとなると、カメラ内のアプリかHTML5などを利用したWebアプリで操作することになると思うが、はたして新しいユーザー体験を提供できるのだろうか。

パナソニックのカメラ事業は2013年から営業赤字が続いている。デジカメの生産の大半を中国に移して、国内生産を大幅に縮小するという報道もあった。デジカメの市場が急速に縮小する中で、「カメラの再発明」をしない限りは半数以上の既存のデジカメメーカーは市場からの撤退をよぎなくされるだろう。カメラの再発明といっても、まったく新しい技術が必須というわけではないだろう。パナソニックが持つ技術を応用すれば十分に可能だと思う。パナソニックが最も自信を持っているデジカメをベースにリーン・イノベーションに取り組めばいい。しかし、パナソニックだけでなく、日本のコンスーマエレクトロニクス産業は、サービスやアプリケーションの企画・推進力が致命的に弱いように思う。人材の問題ではなく、そういった企画を評価し推進するしくみがないのだろうと思う。
人々は人生の記録のための包括的なソリューションを求めている。
なんども繰り返すが、カメラメーカーにはこの潜在的なニーズに注目してもらいたい。

 川手恭輔(Internet Born & Bred)
 
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