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タグ:リーンスタートアップ

モノづくりのデザイン思考 (連載 13)

プロダクト・マーケット・フィット 

ウェブサービスとハードウェアビジネスでは、プロダクト・マーケット・フィット、狙う市場を満足させることができるものに製品を育てるプロセスが大きく異なります。エリック・リースは『リーンスタートアップ』の中で、プロダクト・マーケット・フィットのために、製品をプロトタイプの段階から実際のユーザーに使ってもらい「構築 - 計測 - 学習」のサイクルを繰り返すことが重要だと説きました。
stage
十万円程度のパソコンがあれば、ウェブサービスに必要なソフトウェアを開発することができます。そのプロトタイプ、必要な最小限の機能だけを実装した製品(ウェブサービス)を公開して実際のユーザーに使ってもらうためには、開発したソフトウェアをインターネットに接続されたサーバー上で動かす必要がありますが、こちらも最初は年間数万円から数十万円程度でアマゾンのAWSなどのサービスを利用することができます。そして、得られたフィードバックから改良したソフトウェアをアップデートすることは毎日でも可能です。 

また、ウェブサービスのビジネスモデルは、サービスの利用が完全に無料であったりフリーミアムであったりします。プロトタイプ、必要な最小限の機能だけを実装したサービスを、多くのユーザーに使ってもらうことが比較的容易です。

しかしハードウェア製品の場合は「製品をプロトタイプの段階から実際のユーザーに使ってもらう」ことは難しく、限定的なモニターに試してもらうという程度になってしまうでしょう。実際のユーザーに使ってもらいフィードバックを得るには、製品を購入してもらわなければなりません。たとえイノベーターやアーリーアダプター(初期購入者)を想定したものであったとしても、要求される製品の完成度はウェブサービスの場合とは比べものになりません。

リーンスタートアップを誤解し、解決しようとする問題とソリューション(製品)が合致しているかの検証が不十分なまま製品化し、プロダクト・マーケット・フィットの前に販売に多くの投資をして、たくさんの「なくても良い」機能を追加するという失敗も散見されます。

プロブレム・ソリューション・フィット


前回の『iPodの創り方』では、「コンピュータ(iTunes)で音楽を管理する」というソリューションと、「たくさんあるCDを管理できない」という携帯型音楽プレーヤーのユーザーが抱えているであろう問題の組み合わせのアイデアを持って、機能領域から顧客領域に遡上して「観察」を行いました。そして「聴く曲をその場で選びたい(けどできない)」という、より大きな新しい問題を発見し、機能領域に戻って、その問題を解決するための「携帯型音楽プレーヤーにすべても曲を入れて持ち歩く」というソリューションを導きました。このプロブレム・ソリューション・フィットのプロセスは、図のように表すことができます。
iteration
これは、問題とソリューションを合致させる、デザイン思考でいうところの「ニーズとシーズを調和させる」プロセスでは、顧客領域と機能領域をなんども往復しなければならないということを意味しています。それによってソリューションが洗練され、より大きな問題を解決するものになります。
まず技術が最初にあって次に製品、そして新しいアプリケーションが快適になるに連れてニーズがゆっくりと顕在化し、最後にそれが必要不可欠なものになる。- D.A. ノーマン
iPodやiPhoneの例を見ても、ビッグアイデアのプロダクト・マーケット・フィットには少なくとも3年はかかると考えたほうがいいでしょう。その時間で、人々の思いを積み上げ、製品や連携するサービスに改良を加えていかなければなりません。そして徐々に、その価値が人々に理解されていきます。しかし、それにはプロブレム・ソリューション・フィットのプロセスで、その製品が解決しようとする問題を評価しておく必要があります。

それはどんな問題を解決するのか?

その問題を解決することによって、製品のユーザーはどのような新しい体験の価値を得られるのでしょうか。その問題は、すでに存在する他の手段で解決できてしまわないでしょうか。その問題は、解決する価値があるのでしょうか。これらの質問にシンプルに答えられるでしょうか。 

2015年の4月に発売されたApple Watchの狙いについて、ティム・クックは「アップルは人々の生活を変えたいのだ」と次のように話しました。
人々があまりに長いあいだ座っているのはアップルの社内で日常的にみられることだが、それを知らせてくれる機能がある。会議で終わりの時間が近づくと、みなApple Watchのアラームに促されて立ち上がる。多くの医者が、座っていることは癌の原因になると考えている。動くことは間違いなく、誰にとっても良いことだ。 
健康でいたいということが、人々の変わることのない基本的なニーズであることは間違いないでしょう。しかしApple Watchのキラーアプリケーションが「人々を健康にすること」であるならば、解決すべき大きな問題は「会議で長いあいだ座っていること」の他にあるように思います。

Apple Watchは発売から2年が経過しましたが、まだプロダクト・マーケット・フィットを果たしていません。アップルのことですから、もしかするとプロブレム・ソリューション・フィットのプロセスで、人々の健康のために解決すべき大きな問題を発見し、そのためのソリューションを考案してあるのかもしれません。iPodの発売後に音楽のダウンロード販売を開始したり、iTunesをWindowsに対応したりしたように、重要な機能やサービスを追加する準備に手間取っているだけなのでしょうか。
 
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お断り これは連載のために過去の記事を書き直したものです。

D.A.ノーマンの「誰のためのデザイン?」の改訂版 The Design of Everyday Things: Revised and Expanded Edition [Kindle版](邦訳もそろそろ?)では第6章 と第7章が新しく追加されたが、その第6章 Design Thinkingに次のような記述がある。
The prototypes might be scaled objects, constructed  by model makers or 3-D printing method. Even well rendered drawings and videos of cartoons or simple animation sketches can be useful. Virtual reality computer aids allow people to envision themselves using the final product, and in the case of a building, to envision living or working within it. All of these methods can provide rapid feedback before much time or money has been expended.

プロトタイプは、模型製作者や3Dプリンティングなどによる縮小された模型かもしれない。上手に描かれたデッサンやマンガあるいはアニメーションによるスケッチでもいい。コンピュータによるバーチャルリアリティ表現であれば、人々は最終的に製品化された製品を使っている自分自身を創造することができ、その製品が建物ならばそこでの暮らしや仕事を思い浮かべることができる。これらの方法によって、多くの時間とお金を浪費する前に迅速なフィードバックを得ることができる。
エリック・リースの「リーンスタートアップ」をご存じの方であれば、これはMVPの考え方と同じであることに気付いただろう。前々回の記事でLTFについて次のように書いた。
LTF(ルック・トゥ・ザ・フューチャー)はリーンスタートアップで提唱されているMVP(Minimum Viable Product:仮説の検証に必要な最低限の機能を持った製品)と同じようにも思えるがLTFはプロダクトではない。MVPもちゃんとした製品やサービスの形をとらなくてもその一部であったり、その機能を表す何か、たとえばペーパーモックやビデオであったりする。LTFは製品やサービスの説明をするものではない。それが提供されたときの人々の生活を表したものだ。そのストーリーを読んでもらい、そこからプロジェクトで狙いをつけた潜在的なニーズを顕在化させる製品やサービスについての気づきやヒントを得ようというのだ。 
D.A.ノーマンがいろいろなプロトタイプの形を示しているが、製品の種類やその企画・開発の段階によってフィードバックを得るための「プロトタイプ」は異なるだろう。あまりMVPとかLTFなどという定義にこだわらず、仮説を検証するためのフィードバックをえるために必要な「何か」を考えていけばよいのだろう。要は、最初のアイデアを盲信してそのまま時間とお金をかけて作り上げてしまうと痛い目をみるよということだ。もちろん、それで成功すればいいのではあるが。
approach

上の図は、いま取り組んでいるプロジェクトにおけるコンセプトデザインのプロセスを示したものだ。そのテーマがなんであるかをここで紹介することはできないが、例えば(前回と同様に)"What"が「1000曲を持ち歩くことができる携帯ミュージックプレイヤー」だとして考えてみる。それまでのCD-Walkmanでは得られなかった新しい未来の体験のストーリーをLTFに描き、それを用いてアンケートを実施することによって、そのコンセプトに対するフィードバックを得たり、顕在化させようとしている潜在的なニーズの可能性を探る。すなわち"What"という仮説について検証を試みる訳だ。その結果の分析から戦略マップを評価し、必要であれば比較の項目やポイントを修正する。もちろん、"What"自体を見直さなければならない事態もあるということも覚悟しておこう。そして、たとえば社内やクライアントや投資家にコンセプトを説明するためであったり、プロジェクトチームでコンセプトを共有しリファレンスとするためなどに必要であればLTFの視覚化を行う。以前のプロジェクトではこんなLTF視覚化(YouTubeでコンセプトビデオの再生が始まり音楽が鳴ります)を行ったが、プロジェクトのメンバーでコンセプトを共有するだけであればここまで作り込む必要はないだろう(自分はどうしてもこんなところに凝ってしまう)。

戦略マップと視覚化したLTFによってモノのデジタルリマスタリングの2まで進んだことになる。
  1. モノに関連する情報やコンテンツをインターネットで扱うことによって可能になる「新しいユーザー体験」を描く
  2. バリュープロポジションを定義する
  3. それを実現する製品「ハード」「ソフト」「サービス」を再定義する 
バリュープロポジションとは「提供する価値」ということだが、LTFによって新しい経験価値を描き、戦略マップによってそのユニークさを定義する。この段階では必須ではないが、例えば"1,000 songs in your pocket."(1,000曲をポケットに)のように価値を伝えるためのフレーズ(言語化)を考えるのも楽しい。製品やサービスの名称と一緒に訴求するタグラインやキャッチコピーに使うことになるかもしれないが、まずはプロジェクトのメンバーでコンセプトを共有するのに有効だと思う。

そして、当初から想定していた機能要件に、アンケートからその必要性が導かれた新たな機能を加えて要件マップを作成する。まずは要件の羅列からはじめ、それを機能や実現に必要な技術やインフラ、その難易度や負荷などによってマッピングする。要件マップ自体は定義ではなく検討のためのたたき台になるものであるので、複雑にならないようにいくつかの軸ごとに複数のマップをつくるといいと思う。そこから次に"How"を考える訳だ。注意しなければならないことは、この要件マップは単一の製品やサービスで実現するものではないということだ。モノのデジタルリマスタリングの大前提は「ハード」と「ソフト」と「サービス」の組み合わせによって「新しい経験価値」を創出することだ。そのイメージを抱きながら要件マップを作成する。
lean innovation
上の図は、いま取り組んでいる「新たな(経験)価値創造」のプロセスを示したものだ。リーン・スタートアップの考え方あるいは精神を継承したもので、モノづくりのイノベーションすなわち新たな価値創造のためのリーン・イノベーションのプロセスと呼んでもいいのではないかと思っている。
戦略マップと視覚化したLTFによって新しい経験価値"What"をデザインする。そしてそれを実現するための「ハード」と「ソフト」と「サービス」がどのように役割分担するかによってそれぞれを再定義する。しかし、そのアイデアを盲信してそのまま時間とお金をかけて作り上げてしまうと痛い目をみるとD.A.ノーマンもエリック・リースも言っているのだ。実は、僕はなんども痛い目を見ている。しかし、どうだろう。自信満々のアイデアマンは「自分は違う」と思うのではないだろうか。できれば何度か痛い目をみたほうがいいのではないかとも思うのだが。もっとも、先達の考えたいろいろな方法論を駆使してイノベーションに取り組んだとしても、そうそう簡単に成功するものではない。イノベーションへの取り組みは何度か痛い目を見ることになるだろう。

まず1st Stepとして現行の製品とアプリの組み合わせによる価値提案を行ってみる。もちろんそれだけで、いままでになかった新しい価値を実現することはできない。いわば仮説を検証するためのMVPという位置づけだ。モノのデジタルリマスタリングによって創造しようとする新しい経験価値は、「モノに関連する情報やコンテンツをインターネットで扱うことによって可能になる新しいユーザー体験」であり、それを実現する仕組みとして「ハード」と「ソフト」と「サービス」の役割分担を決めてとりあえずのゴールを描いたものがリーン・イノベーションのプロセスの3rd Stepになる。ここではもっと明確に「新しい製品(モノ)」とWebサービスとアプリとしている。すでにアプリはモバイルファーストで考えるべき時代になっているだろう。「現行の製品とアプリの組み合わせ」は1つの実施例にすぎない。End to Endで新しい経験価値を提供するというGoalに向かって、どのようなステップを踏んでいくかという戦略立案もコンセプトデザインの一環に含めるべきだ。 

iPodの創り方」で使った3つの図で考えてみよう。もちろんAppleが考えていたこととは違う。2001年1月にiTunesが"Lip, Mix, Burn"というキャッチフレーズで発表された。パソコン上の「デジタルミュージックボックス」というコンセプトで、音楽CDを取り込んで(Lip)自分の好きなように音楽を編集し(Mix)、それをCD-Rに焼いて(Burn)持ち運びWalkmanで聞くことができるというものだった。これはリーン・イノベーションのプロセスの1st Stepに相当する。
ipod1
Lean 1st Step

そしてリーン・イノベーションのプロセスに従って続きを書くと次のようになる。

iPod_a2
Lean 2nd Step
 
iPod_a3
Lean 3rd Step (Goal)

しかし、2nd Stepと3rd Stepの順序は実際は逆で、2001年10月にiPodが発売され、2003年4月にiTunes Music Storeが開始された。

ipod2
実際の2nd Step
 
ipod3
実際の3rd Step (Goal)


Appleにとって、 もちろんWalkmanは自社の(現行)製品ではなく、他社の現行製品に破壊的なイノベーションを仕掛ける立場にある。Appleが2nd StepでiPodを発売した意味は2つあると思う。

まず、iTunesというMacのアプリケーションによって、コンピュータ上で音楽を管理するという新しい考え方を市場に提案しその理解を得て、次にそのiTunesと一体化したiPodによって携帯ミュージックプレイヤー市場に参入するというシナリオは自然だ。
そして、それまで音楽のインターネットでの販売と配信に抵抗していたコンテンツホルダーも、iPodによってユーザーを味方に付けたAppleについていくしかなくなるという流れをつくり、End to Endのもう一方にあるiTunes Music Storeの構築に成功した。

すでに携帯ミュージックプレイヤー市場におけるNo.1のブランドとシェアを獲得し、また自社にソニーミュージックという音楽コンテンツプロバイダー事業を抱えるソニーが同じGoalを目指していたしたら、リーン・イノベーションのプロセスに示した順番がよかったかもしれない。もっとも元CEOは当時を振り返って「iPodをつくりたかったけど、自分は工場を持っていたのでつくれなかった」と、まったく違うところを見ていたようだ。ここでは「つくる」という言葉は「創る」のはずであり、「作る」とか「造る」ではないのだが。リーン・イノベーションは、段階的にプロダクトを市場に提供し、そのフィードバックを得て市場とコミュニケーションをしながら、市場と自社事業の両方にイノベーションを起こしてゆくための、Build-Measure-Learnのダイナミックなイテレーションプロセスだ。

そしてその過程でユーザーのコミットメントを獲得してゆくということも重要なポイントだ。AppleにとってのiTunesはMacの価値を高める(デジタルハブ構想)というもうひとつの狙いがあった。もしソニーがiTunesを無償で(もちろんWindowsとMacの両方に)提供していたとするとリーン・イノベーションのStep1として「功利主義マーケティング 」という考え方も可能だっただろう。

まったく新しい経験価値を実現するために再定義した「ハード」と「ソフト」と「サービス」を作り上げていく過程で、どうやってユーザーからのフィードバックを得てゆくのか。ノーマンが列挙したようなプロトタイプ、例えば上手に描かれたデッサンやマンガあるいはアニメーションによるスケッチ、あるいはコンピュータによるバーチャルリアリティ表現などでは、すでに実施したLTFアンケートによって得られた"What"に対するフィードバック以上のものは期待できない。潜在ニーズはありそうだ、コンセプトは受け入れられそうだというだけにすぎない。そして"How"については、ユーザーの思いを積み上げていくプロセスが必要だと思う。別の視点から言えば、それはモノづくり企業がイノベーションに挑戦する過程で、「不確実性」を克服してゆくために必要なプロセスでもある。 そのリーン・イノベーションという考え方についてこんな図を描いてみた。

thinkings

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デジタルリマスタリングの最初のステップで少し停滞している。じつは進行中のプロジェクトでの取り組みを、iPodやNike+に置き換えてここで書いているものだから、その進捗のスピードが影響している。そのプロジェクトが停滞している訳ではなく、「新しいユーザー体験」と「潜在的なニーズ」ということについて繰り返し考えることに時間を費やしている。
モノに関連する情報やコンテンツをインターネットというインフラとその周辺の技術やサービスで扱うことによって可能になる新しいユーザー体験をいくつも描いてみると、きっと顧客(とあなた)が諦めていたことが見えてくる。その中から、顧客が本当に必要としているユーザー体験を抽出することができるはずだ。(過去記事より)
ここで、もう一度「顧客の諦めの式」を見てみよう。
公式
WalkmanからiPodへの変化をあてはめると次のようになる。もちろん、(いまさらであるが)これは説明のためのものであり実際にはもっと複雑だ。
公式例
式を入れ替えると次のようになる。
公式例変換
新しいユーザー体験とは、「どこででもその場で選んだ音楽を聴くことができる」と「どこでも(あらかじめ選んで持ってきたCDから)自分の選んだ音楽を聴くことができる」との差分であることがわかる。この差分を描けばいいわけだ。
この2つの「こと」の差を価値として感じるかどうかは人や状況によって大きく異なるだろう。誰も価値を感じてくれないとしたら、その潜在的なニーズを具現化できない(あるいはそれを潜在的なニーズとした仮説が間違っている)ことになる。間違った仮説に基づいてサービスやモノを創ったら悲惨なことになる。
「新しいユーザー体験を描く」という作業には実は非常に大きな意味がある。

新しいユーザー体験はペルソナ/シナリオで描く。これはHCD(人間中心デザイン)のアプローチでも用いられているものに似ている。しかし、その目的とアプローチ上の位置づけ(順番)が異なる。
HCDのアプローチでは、
  1. 問題の設定
  2. ユーザー調査とニーズ分析
  3. ペルソナ/シナリオ作成によるコンセプトの抽出
という順番になる。
問題あるいはニーズは、それを解決する(満たす)モノが現れて初めて顕在化する。それまで潜在的なニーズというものは存在しない。モノが現れてから、あたかも潜在していたニーズが顕在化したように見えるだけだ。存在しないものを見つけることは不可能だ。モノのデジタルリマスタリングではデザイン思考のアプローチ、すなわちまず本当の問題を特定してからその解決策を考えるというアプローチは機能しないのだ。サービスデザインと同じ取り組みでは、モノの機能や仕様の改善にしか結びつかない。(過去記事より)
ノーマンの"Technology First, Needs Last"にそそのかされて非常に断定的に書いてしまったが、もちろん僕自身がHCDやサービスデザイン思考のアプローチを否定しているわけではない。
HCDでは、問題設定からインタビューなどのユーザー調査とニーズ分析を行い潜在的なニーズを特定する。それに対し、ここ(モノのデジタルリマスタリング)では、「モノに関連する情報やコンテンツをインターネットというインフラとその周辺の技術やサービスで扱うことによって可能になること」という取り組みから始めている。

以前にも紹介したが、ノーマンの『誰のためのデザイン?』の全面改訂版"The Design of Everyday Things: Revised and Expanded Edition"には次のような記述がある。
Incremental innovation starts with existing products and makes them better. Radical innovation starts fresh, often driven by new technologies that make possible new capabilities. 

インクリメンタルイノベーションは既存の製品をもとにそれらをよりよくするという取り組みである。それに対しラディカルイノベーションは何もないところからスタートし、何かを可能にする新しい技術によってドライブされることが多い。
The techniques of human-centered design are appropriate to incremental innovation: they cannot lead to radical innovation.

HCDの手法はインクリメンタルなイノベーションに適している。ラディカルなイノベーションを導くことはできない。
ラディカルな(製品の)イノベーションは、それまでに存在しなかったものが新しい技術の発明によって生み出されるという意味で使われている。それまでなかった画期的な新しい製品を生み出すのは技術に依るところだという。

HCDのアプローチでは、まず解決すべき問題を設定し、ユーザー調査とニーズ分析によってユーザーの行動と感情を理解するところから始まる。そしてターゲットとするユーザー像をペルソナによって明確にし、そのペルソナが製品やサービスを使う様子をシナリオで表現する。この2つのステップを通して、設定した問題の原因やユーザーのニーズを発見してデザインのコンセプトをまとめる。すなわちペルソナ/シナリオは製品やサービスの改善すべきことを浮き彫りにするために用いられることが多い。ノーマンの言うインクリメンタルなイノベーションである。

「どこででもその場で選んだ音楽を聴くことができる」という潜在的なニーズの仮説だけみると、HCDのアプローチでも導くことができそうであるが、これは上でも書いたように説明のために簡略化したものであり、さらに「新しい技術やインフラによって可能になることは」という探索によって、iTunesというデジタルハブやiTunes Music Storeというコンテンツ配信サービスなどの新しい技術寄りのアイデアから導かれたものだ。ここまでは人間不在だ。
ノーマンが言うように「問題あるいはニーズは、それを解決する(満たす)モノが現れて初めて顕在化する」のであるならば、解決するモノが現れるまで、ユーザー調査やニーズ分析を行っても問題やニーズの発見はできないことになる。もちろん、すべての問題やニーズではなく、ラディカルなイノベーションによって解決される問題やニーズを指している。
この人間不在デザインと天才的なひらめきを頼りに、新しい技術やインフラによって実現が可能になる製品やサービスを発明し、人々の潜在的なニーズを顕在化させて大きな成功を得ることが技術者の夢だ。
しかし、数少ない大きな成功の裏側には多くの失敗が累々としている。たとえ天才的なひらめきによるものであっても、その不確実性は確実に存在する。

デザイン思考によって製品(モノ)をデザインすることを、ここではあえてモノの(デジタル)リマスタリングと呼んでいる。それはモノの価値を再定義し、モノが提供する機能的な価値だけでなく、そのモノを購入したユーザーが、そのモノに関連して経験することによって得られる価値にまで視点を拡張してデザインし直すことだ。
新しい技術やインフラによって可能になる新しいモノのアイデアを思いつき、それが人々に大きな価値を提供できると確信しても、まずデジタルリマスタリングのアプローチを試してみる価値はあると思う。
  1. インターネットによって可能になる「新しいユーザー体験」を描く
  2. バリュープロポジションを定義する
  3. それを実現する製品とWebサービスをデザインする 
iPodの場合はオリジナルのデジタルビジネスデザインのステップの方がフィットするが、新しいユーザー体験を描く」というステップは同じだ。
  1. デジタルコンバージェンスを可能にする技術やインフラを定義する
  2. それによって可能になる「新しいユーザー体験」を描く
  3. バリュープロポジションを定義する
  4. それを実現する製品「ハード」「ソフト」「サービス」を再定義する 
iPodというハードウェアとiTunesというソフトウェア、iTunes Music Storeというサービスの役割分担を決めるのは最後になる。
「どこででもその場で選んだ音楽を聴くことができる」という潜在的なニーズが満たされるということは、どのような価値が生まれるということなのかをペルソナ/シナリオで描いてみる。 どんな人(ペルソナ)が、どんなときに、どんな場所で、どんな音楽を聴きたくなるか。そしてそのとき、どんなことができたらどんな気持ちになるか。これはHCDのアプローチの場合と異なり、ペルソナが価値を感じるシナリオでなければならない。この時点では、プロジェクトチームの思い入れで構わないので、いろいろなペルソナとシナリオを考えてみる。
異なったペルソナでいろいろなシナリオが書けるだろうか。そのシナリオはペルソナにとって、他では得られない価値のある経験だろうか。きっと書きながらいろいろな疑問や課題が見えて、アイデアを少し客観的に評価することができる。そしてそれだけでなく、新たなアイデアが生まれるかもしれない。きっとターゲットとなるユーザー層やアーリーアダプタも見えてくるに違いない。

次は、ここまでの人間不在デザインを人間中心デザインに転換するための、ペルソナ/シナリオを用いた「共感アンケート」について書こうと思っている。これはリーンスタートアップのMVPという考え方から発想したものだ。

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